勝竜寺城京都府長岡京市

勝竜寺城DATA
別称 小竜寺城
築城 1339年
住所 京都府長岡京市勝竜寺13-1
電話番号 075-952-1146
開館時間 9:00〜17:00
休館日 12月28日〜1月4日
登閣料 無料

勝竜寺城への交通アクセス

JR「長岡京」駅から徒歩約10分

勝竜寺城について

勝竜寺城と関連する事件を読む

本能寺の変明智光秀が謀反?謎に包まれた織田信長の死
戦国史最大の謎として知られるのが、天正10年(1582年)6月2日に起きた「本能寺の変」です。織田信長が京都の本能寺(現京都府京都市中京区)で明智光秀に討たれた、戦国時代で最も驚かれたであろうクーデターはなぜ起きたのか。光秀の背後に黒幕はいたのか。今も多くの歴史家たちが研究を進めており、新しい史料の発見で新説が登場するなど、今も盛んに議論されています。今回は
山崎の戦い明智光秀の「三日天下」の終焉
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」。その後、光秀は「中国大返し」で京に引き返してきた羽柴(豊臣)秀吉と、6月13日に山崎(現京都府乙訓郡大山崎町)から勝龍寺城(京都府長岡京市)の一帯で戦います。この信長の弔い合戦である山崎の戦い(天王山の戦い)に勝利した秀吉が、その後天下を統一し、敗れた光秀は居城の坂本城(滋賀県大津市

勝竜寺城と関連する人物記を読む

細川忠興秀吉子飼いの七将
戦いに明け暮れた戦国時代、そんな荒れた時代にも文化の華は大きく咲きました。茶の湯や連歌です。戦国の世で文化を育みながら、室町幕府から織田・豊臣・徳川に仕えた大名が細川忠興です。忠興は細川藤孝の子として生まれ、父の盟友だった明智光秀の娘玉子(ガラシャ)を娶りました。そのような環境の中で忠興は、熊本の大大名にまで上り詰めたのです。今回は、細川忠興を見ていきます。