京極家の家紋「平四つ目結」
田辺城とは、京都府舞鶴市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。本能寺の変後に隠居した細川幽斎が住む城として、伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に築かれた。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い前夜には、細川幽斎が西軍の大軍を相手に籠城し、古今伝授を惜しんだ朝廷の勅命によって包囲が解かれたことで知られる。江戸時代には細川氏・京極氏・牧野氏の居城として約290年間、田辺藩の政庁となった。現在は本丸付近が舞鶴公園として整備され、田辺城資料館が城と城下町の歴史を伝えている。
| 目的 | 細川幽斎の居城、丹後田辺藩の政庁、丹後西部の支配拠点 |
|---|---|
| 特長 | 田辺城籠城戦、細川幽斎、古今伝授、舞鶴公園、田辺城資料館、平城 |
| 他の城との違い | ・関ヶ原前夜の田辺城籠城戦の舞台である ・細川幽斎の古今伝授をめぐり、朝廷の勅命で包囲が解かれた城として知られる ・舞鶴の地名は、田辺城の別名「舞鶴城」に由来する |
| 石垣 | 一部現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡あり |
| 種類 | 石垣、土塁、堀、平城、城門、城下町 |
| 石材 | 自然石など |
| 特長 | 田辺城は、伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に築かれた平城である。現在、城郭建造物の大半は失われているが、本丸付近は舞鶴公園となり、復元された城門風の田辺城資料館や石垣、堀跡などから城の面影をたどることができる。城跡としては、天守や高石垣を見せる城ではなく、川に囲まれた立地、城下町、田辺城籠城戦の歴史をあわせて理解するのが自然である。 |
| 別称 | 舞鶴城 |
|---|---|
| 所在地 | 京都府舞鶴市 |
| 築城 | 1580年代 |
| 築城者 | 細川幽斎、細川藤孝 |
| 住所 | 京都府舞鶴市字南田辺15-22 |
| 電話番号 | 0773-76-7211 |
| 開館時間 | 田辺城資料館は9時~17時。最終入館は16時30分まで |
| 休館日 | 月曜日。月曜日が祝日の場合はその翌々日。祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日) |
| 入館料 | 大人200円、学生100円。未就学児無料。舞鶴市内在住または市内へ通学の学生は無料 |
| 備考 | 現在、本丸付近は舞鶴公園として整備されている。田辺城資料館では、細川幽斎を中心とした歴代城主や、田辺城290年の歴史、城下町の暮らしを紹介している。平成4年(1992)に城門風の資料館が完成した。 |
| 1580年 | 細川幽斎・忠興父子が丹後国を領する |
|---|---|
| 1580年代 | 細川幽斎により、伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に田辺城が築かれる |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い前夜、西軍が田辺城を包囲する |
| 1600年 | 細川幽斎が田辺城に籠城し、田辺城籠城戦が起こる |
| 1600年 | 古今伝授を惜しんだ朝廷の勅命により、西軍の包囲が解かれる |
| 江戸時代初期 | 京極氏が田辺城主となり、丹後田辺藩の政庁として整備される |
| 1668年 | 牧野親成が田辺城主となり、以後、牧野氏が明治維新まで城を治める |
| 1873年 | 廃城により田辺城の建物の多くが失われる |
| 1992年 | 城門風の田辺城資料館が完成する |
京極家の家紋「平四つ目結」
| 藩庁 | 田辺城 |
|---|---|
| 旧地域 | 丹後国 |
| 石高 | 3万5000石 |
| 譜代・外様 | 外様・譜代 |
| 主な藩主 | 京極家、牧野家 |
京都府舞鶴市にあった田辺城は、天正年間に細川幽斎が築いた平城です。城が南北に長く、近くの峠から眺めると鶴が舞っているように見えることから「舞鶴城」とも呼ばれ、「舞鶴」の地名の由来になりました。関ヶ原の戦いの前哨戦として、西軍を前に細川幽斎が少数で籠城戦を繰り広げた「田辺城の戦い」の舞台として知られています。現在は大手門や隅櫓が再建されています。