清水寺京都府京都市

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秋の清水寺1 秋の清水寺2 秋の清水寺3 秋の清水寺4 秋の清水寺5
  • 宝亀9年(778)に延鎮上人が音羽の滝のほとりに草庵を結んだことに始まる寺院
  • 坂上田村麻呂が堂塔を整えたと伝わる、観音信仰の霊場
  • 国宝本堂、清水の舞台、音羽の滝、三重塔で知られる世界文化遺産

清水寺とは、京都府京都市東山区清水にある北法相宗の大本山である。正式には音羽山清水寺と号し、東山・音羽山の中腹に広がる観音霊場として古くから信仰を集めてきた。開創は宝亀9年(778)。奈良で修行していた僧・賢心が夢告を受けて北へ向かい、音羽山で清らかな水が湧く滝を見つけ、行叡居士から霊木を授かったことに始まると伝わる。賢心はのちに延鎮と名を改め、音羽の滝のほとりに草庵を結び、観音霊地を守った。延暦17年(798)には、坂上田村麻呂が延鎮に帰依し、妻の三善高子とともに十一面千手観世音菩薩を本尊とする仏殿を建立したとされる。寺名の「清水」は、音羽山から湧き出る清らかな水に由来する。現在の本堂は寛永10年(1633)に徳川家光の寄進により再建されたもので、崖に張り出す懸造の舞台は「清水の舞台」として知られる。境内には本堂のほか、仁王門、西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、阿弥陀堂、奥の院、音羽の滝、子安塔などがあり、平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。

清水寺の特長
目的 十一面千手観世音菩薩への信仰、観音霊場への参拝、諸願成就、厄除、開運、健康長寿、学業成就、恋愛成就、安産祈願、音羽の滝による心身清浄、世界文化遺産としての伽藍保存
特長 清水寺、音羽山、北法相宗、延鎮上人、賢心、行叡居士、坂上田村麻呂、三善高子、桓武天皇、徳川家光、十一面千手観世音菩薩、清水型観音、音羽の滝、清水の舞台、懸造、本堂、仁王門、西門、三重塔、轟門、経堂、開山堂、阿弥陀堂、奥の院、子安塔、成就院、地主神社、三年坂、清水坂、世界文化遺産
他の寺院との違い ・音羽の滝の霊水を起源とし、寺名そのものが清らかな水に由来する寺院である
・国宝本堂は崖に張り出す懸造の大建築で、舞台から京都市街を一望できる
・本尊の十一面千手観世音菩薩は、両腕を頭上に掲げる独特の姿から「清水型観音」と呼ばれる
・平安時代から庶民に開かれた観音霊場として親しまれ、文学や絵画にも多く描かれてきた
・清水坂、三年坂、二年坂、八坂の塔、高台寺、祇園方面へ続く東山散策の中心に位置する
清水寺DATA
別称 清水の観音さん、音羽山清水寺、清水観音
正式名称 音羽山清水寺
所在地 京都府京都市東山区
開創 宝亀9年(778)。僧・賢心、のちの延鎮上人が音羽の滝のほとりに草庵を結んだことに始まる
堂塔建立 延暦17年(798)。坂上田村麻呂が延鎮上人に帰依し、仏殿を建立したと伝わる
開山 延鎮上人。賢心とも称される
大本願 坂上田村麻呂
宗派 北法相宗
寺格 北法相宗大本山
山号 音羽山
本尊 十一面千手観世音菩薩。秘仏で、清水型観音と呼ばれる
札所 西国三十三所観音霊場第十六番札所、洛陽三十三所観音霊場第十二番札所
主な関係者 行叡居士、延鎮上人、坂上田村麻呂、三善高子、桓武天皇、徳川家光、大西良慶和上
主な建築 本堂、仁王門、西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、阿弥陀堂、奥の院、子安塔、成就院
主な見どころ 国宝本堂、清水の舞台、音羽の滝、仁王門、西門、三重塔、奥の院、阿弥陀堂、子安塔、成就院庭園、随求堂、地主神社
文化財指定 本堂は国宝。仁王門、西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、阿弥陀堂、奥の院、子安塔など多数の建造物が国指定重要文化財。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 京都府京都市東山区清水1丁目294
電話番号 075-551-1234
拝観時間 6時~18時。7月・8月は18時30分閉門。春・夏・秋の夜間特別拝観期間は21時受付終了
授与所・納経所 お守り授与所、納経所での授与は8時頃から
休館日 無休。行事、法要、特別拝観、工事等により参拝範囲や時間が変更される場合あり
拝観料 一般500円。小中学生は200円
アクセス 京阪本線祇園四条駅、阪急京都線京都河原町駅から市バス利用。「清水道」または「五条坂」下車、徒歩約10分
備考 清水寺は、音羽の滝に由来する観音霊場である。現在の伽藍の多くは、寛永10年(1633)に徳川家光の寄進で再建された。本堂は崖に張り出す懸造の建築で、釘を使わない伝統的な木組みによって支えられている。舞台は「清水の舞台から飛び降りる」という言葉で知られ、大きな決断のたとえにもなっている。音羽の滝は三筋の水が流れ落ちる霊水で、寺名の由来である。境内は春の桜、夏の青もみじ、秋の紅葉、冬の雪景色が美しく、夜間特別拝観ではライトアップも行われる。清水坂、三年坂、二年坂、八坂の塔、高台寺、八坂神社とあわせて巡りやすいが、周辺は混雑しやすいため朝の参拝が向いている。
清水寺への交通アクセス
JR「京都」駅からバス「五条坂」下車、徒歩約10分。

HISTORY 清水寺について

清水寺の歴史
778年 宝亀9年、奈良で修行していた僧・賢心が夢告を受けて北へ向かい、音羽山で清らかな滝を見つける
778年 賢心は滝のほとりで修行する行叡居士と出会い、霊木を授けられ、観音像を造ってこの地を守るよう託されたと伝わる
778年 賢心は音羽の滝のほとりに草庵を結び、観音霊地を守る。これが清水寺の開創とされる
780年 宝亀11年頃、鹿狩りに音羽山を訪れた坂上田村麻呂が賢心と出会い、観音信仰に帰依したと伝わる
798年 延暦17年、坂上田村麻呂が妻の三善高子とともに十一面千手観世音菩薩を本尊とする仏殿を建立したと伝わる
平安時代前期 清水寺は桓武天皇の勅願寺となったと伝わり、都の東山にある観音霊場として信仰を集める
平安時代 清水寺は貴族や庶民の参詣を集め、文学作品や史書にも清水詣の様子が記されるようになる
10世紀 『枕草子』などに清水寺参詣が登場し、平安京の人々に親しまれた寺院であったことがうかがえる
11世紀 西国三十三所観音霊場の札所として、観音巡礼の信仰が広がる
平安時代後期 清水寺は法相宗の寺院として、奈良興福寺との関係を深める
鎌倉時代 武家や庶民の観音信仰を背景に、清水寺への参詣が続く
室町時代 京都の戦乱や火災により、清水寺はたびたび被害を受ける
1469年 文明元年、応仁の乱の兵火により、仁王門などが焼失する
室町時代後期 仁王門は再建され、清水寺の正門として参詣者を迎える建築となる
戦国時代 戦乱の中でも、清水寺は観音霊場として信仰を保ち続ける
1629年 寛永6年、火災により本堂をはじめ多くの堂塔が焼失する
1631年 寛永8年、徳川家光の寄進により、清水寺伽藍の再建が始まる
1633年 寛永10年、本堂をはじめ現在に残る多くの堂塔が再建される
江戸時代 清水寺は観音信仰の寺として、庶民の参詣を広く集める
江戸時代 清水の舞台から飛び降りる願掛けの風習が生まれ、のちに「清水の舞台から飛び降りる」という言葉が大きな決断のたとえとして広まる
江戸時代 清水寺遊楽図屏風などに、境内や門前町で参詣を楽しむ人々の姿が描かれる
明治時代 神仏分離や近代制度の変化を受けながら、清水寺は観音霊場として存続する
1897年 明治30年、古社寺保存法により本堂などが旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1914年 大正3年、のちに清水寺中興の祖とされる大西良慶和上が入寺する
1934年 昭和9年、室戸台風により境内の建造物が被害を受ける
1944年 昭和19年、仁王門の解体修理が始まる
1949年 昭和24年、仁王門の解体修理が完了する
1950年 昭和25年、文化財保護法の施行により、清水寺の建造物は国宝・重要文化財として改めて位置づけられる
1952年 昭和27年、本堂が国宝に指定される
1965年 昭和40年、大西良慶和上により北法相宗が立宗され、清水寺は北法相宗大本山となる
1972年 昭和47年、開創1200年記念事業が始まり、境内整備や文化財保存が進められる
1994年 平成6年、清水寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
2003年 平成15年、仁王門の平成の解体修理が完了する
2008年 平成20年、平成の大修理が始まり、境内の堂塔の保存修理が段階的に進められる
2017年 平成29年、本堂の檜皮屋根葺き替え工事が本格化し、本堂全体が素屋根で覆われる
2020年 令和2年、本堂の屋根葺き替えを含む平成の大修理が一区切りを迎え、清水の舞台の景観が再び現れる
現在 清水寺は、北法相宗大本山、国宝本堂を擁する観音霊場、京都を代表する世界文化遺産として、多くの参拝者を迎えている

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