御香宮神社とは、京都府京都市伏見区御香宮門前町にある神社である。主祭神は神功皇后で、仲哀天皇、応神天皇ほか六柱を合祀する。神功皇后は応神天皇の母神として知られ、無事に御子を出産し、育て上げた功績から、御香宮神社では安産・子育ての神として篤く信仰されている。創建年代は明らかではないが、『御香宮縁起』によれば、貞観4年(862)9月9日、境内から香りのよい水が湧き出し、その水を飲むと病が癒えたという奇瑞により、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったとされる。この清泉が、現在の御香水である。御香水は伏見七名水の一つ「石井の御香水」と呼ばれ、昭和60年(1985)には環境省の名水百選に認定された。室町時代には伏見九郷の精神的な支えとなり、豊臣秀吉は伏見城築城に際して城の鬼門除けの神として崇敬した。慶長10年(1605)には徳川家康が現在地へ戻し、本殿を造営した。現在の本殿は極彩色の彫刻を施した桃山時代の大型社殿として国の重要文化財に指定され、表門は伏見城大手門を移したと伝わる重要文化財である。伏見桃山の歴史、名水、安産信仰、伏見城ゆかりの建築を一度に感じられる神社である。
| 目的 | 神功皇后への信仰、安産祈願、子育て祈願、初宮参り、七五三、病気平癒、家内安全、伏見九郷の地域守護、名水信仰、伏見城ゆかりの歴史継承、神幸祭による氏子町の結束 |
|---|---|
| 特長 | 御香宮神社、御香宮、ごこんさん、伏見九郷総鎮守、神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、御香水、石井の御香水、伏見七名水、名水百選、徳川家康、豊臣秀吉、伏見城、伏見城大手門、本殿、表門、拝殿、石庭、小堀遠州、中根金作、東照宮、豊国社、桃山天満宮、伏見祭、神幸祭、鳥羽伏見の戦い |
| 他の神社との違い | ・香りのよい水が湧き出た奇瑞により、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝わる神社である ・主祭神の神功皇后にちなみ、安産・子育ての社として信仰されている ・本殿は徳川家康の命で造営された極彩色の大型社殿で、桃山時代の特色を伝える重要文化財である ・表門は伏見城の大手門を移したと伝わり、伏見城ゆかりの建築遺構としても重要である ・豊臣秀吉、徳川家康、鳥羽伏見の戦いと関わり、伏見桃山の政治史・城郭史・町衆文化を重ねて感じられる |
| 別称 | 御香宮、ごこんさん、伏見九郷総鎮守、安産・子育ての社 |
|---|---|
| 正式名称 | 御香宮神社 |
| 所在地 | 京都府京都市伏見区 |
| 創建 | 不詳。『御香宮縁起』では、貞観4年(862)に境内から香りのよい水が湧き出た奇瑞により、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝わる |
| 別伝 | 香椎宮編年記では、弘仁14年(823)に神功皇后の神託により、この地に宮殿を修造し、椎を植えて神木としたと伝わる |
| 祭神 | 主祭神は神功皇后。仲哀天皇、応神天皇、宇部大明神、瀧祭神、河上大明神、高良大明神、若宮、白菊大明神を合祀する |
| 御神徳 | 安産、子育て、初宮参り、七五三、病気平癒、家内安全、厄除、地域守護 |
| 社格 | 旧府社。伏見九郷の総鎮守 |
| 主な関係者 | 神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、清和天皇、豊臣秀吉、徳川家康、徳川頼房、徳川頼宣、小堀遠州、中根金作 |
| 主な社殿 | 本殿、拝殿、表門、東照宮、松尾社、厳島社、稲荷社、大神宮、豊国社、桃山天満宮、能舞台 |
| 主な見どころ | 重要文化財本殿、重要文化財表門、京都府指定文化財拝殿、御香水、石庭、東照宮、豊国社、桃山天満宮、伏見義民の碑、伏見城跡出土遺物展示室、神幸祭 |
| 文化財指定 | 本殿と表門は国指定重要文化財。拝殿は京都府指定文化財。御香水は環境省の名水百選に認定 |
| 住所 | 京都府京都市伏見区御香宮門前町174 |
| 電話番号 | 075-611-0559 |
| 参拝時間 | 境内参拝自由。社務所受付は9時~16時 |
| 御祈祷受付 | 9時~15時30分 |
| 石庭拝観 | 9時~15時30分。拝観料200円。行事、正月準備等により拝観停止の場合あり |
| 休館日 | 境内参拝はなし。石庭、展示、社務所受付等は行事や時期により変更の場合あり |
| 拝観料 | 境内参拝無料。石庭拝観は200円 |
| アクセス | 京阪本線伏見桃山駅から徒歩約5分。近鉄京都線桃山御陵前駅から徒歩約5分。市バス「御香宮前」下車、徒歩約1分 |
| 備考 | 御香宮神社は、伏見桃山に鎮座する伏見九郷の総鎮守である。御香水は、貞観4年(862)に湧き出たと伝わる清泉で、伏見七名水の一つ「石井の御香水」と呼ばれる。明治以降に一度涸れたが、昭和57年(1982)に復元され、昭和60年(1985)に名水百選へ認定された。本殿は慶長10年(1605)に徳川家康の命で造営された五間社流造の社殿で、極彩色の彫刻が特徴である。表門は元和8年(1622)に徳川頼房が伏見城大手門を拝領して寄進したと伝わる。拝殿は寛永2年(1625)に徳川頼宣が寄進したとされ、伏見城御車寄を拝領したものと伝わる。石庭は小堀遠州が伏見奉行所内に作った庭を、昭和32年(1957)に中根金作が遠州流の手法で移築・作庭したものである。10月上旬の神幸祭は「伏見祭」とも呼ばれ、伏見を代表する大祭として知られる。 |
| 古代 | 御香宮神社の創建年代は明らかではないが、古くから伏見の地に鎮座し、地域の氏神として信仰された |
|---|---|
| 823年 | 弘仁14年、香椎宮編年記では、神功皇后の神託によりこの地に宮殿を修造し、椎を植えて神木としたと伝わる |
| 862年 | 貞観4年9月9日、境内から香りのよい水が湧き出たとされる |
| 862年 | この水を飲むと病がたちまち癒えたという奇瑞により、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝わる |
| 平安時代 | 御香水は「石井の御香水」と呼ばれ、伏見の名水として信仰されるようになる |
| 中世 | 御香宮神社は伏見九郷の荘民たちの精神的な支えとなり、地域の氏神として信仰を集める |
| 室町時代 | 伏見九郷の「一庄同心」の中心として、地域共同体を支える社となる |
| 1590年 | 天正18年、豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼして天下統一を進める際、御香宮神社に戦勝祈願を行い、太刀と願文を納め、社領300石を寄進する |
| 1594年 | 文禄3年、豊臣秀吉が伏見城築城に際し、御香宮神社を城の鬼門除けの神として、伏見城内の艮の隅に勧請する |
| 1600年 | 慶長5年、関ヶ原の戦い後、伏見城と伏見の支配構造が徳川方へ移っていく |
| 1605年 | 慶長10年、徳川家康が御香宮神社を再び元の社地に戻し、本殿を造営する。あわせて豊臣秀吉にならい社領300石を寄進する |
| 1605年 | 現在の本殿は、徳川家康の命により京都所司代板倉勝重を普請奉行として建立されたとされる |
| 1622年 | 元和8年、徳川頼房が伏見城の大手門を拝領し、御香宮神社の表門として寄進する |
| 1622年 | 末社東照宮の本殿が、水野遠江守の造営により建立される |
| 1625年 | 寛永2年、徳川頼宣が拝殿を寄進したと伝わる。拝殿は伏見城御車寄の拝領とも伝えられる |
| 1642年 | 寛永19年、末社東照宮の拝殿が小堀遠江守の寄進により建てられる |
| 江戸時代 | 御香宮神社は伏見の町の総鎮守として信仰され、社殿修復には徳川御三家の寄進や氏子の浄財が充てられた |
| 江戸時代 | 10月上旬の神幸祭は伏見九郷の総鎮守の例祭として行われ、「伏見祭」と称されるようになる |
| 1780年頃 | 『都名所図会』にも御香宮神社が紹介され、伏見の名所として知られる |
| 1868年 | 慶応4年正月、鳥羽伏見の戦いの際、伏見奉行所に旧幕府軍が拠り、御香宮神社は新政府軍、薩摩藩の屯所となる |
| 1868年 | 鳥羽伏見の戦いでは、幸いにも御香宮神社は戦火を免れた |
| 1873年 | 明治6年、末社豊国社が創建され、豊臣秀吉を祀る |
| 1891年 | 明治24年、伏見酒造組合の献納により、酒造祖神を祀る松尾社が建立される |
| 1906年 | 明治39年、表門が国の重要文化財に指定される |
| 1907年 | 明治40年、豊国社が現在地へ遷される |
| 明治時代以降 | 御香水は一時涸れるが、名水への信仰と関心は受け継がれる |
| 1957年 | 昭和32年、小堀遠州が伏見奉行所内に作ったと伝わる石庭を、中根金作が遠州流の手法を用いて御香宮神社に移築・作庭する |
| 1961年 | 昭和36年、国道24号線拡張工事に伴う境内地譲渡により、東照宮、厳島社などが現在の位置へ遷される |
| 1982年 | 昭和57年、明治以降涸れていた御香水が復元される |
| 1985年 | 昭和60年、御香水が環境庁、現在の環境省により名水百選に認定される |
| 1985年 | 昭和60年、本殿が国の重要文化財に指定される |
| 1990年以降 | 本殿の修理が進められ、約390年ぶりに極彩色が復元される |
| 1997年 | 平成9年、拝殿の半解体修理が竣工し、極彩色が復元される |
| 現代 | 御香宮神社は、安産・子育ての社、伏見の名水の社、伏見城ゆかりの社として多くの参拝者を集める |
| 現在 | 御香宮神社は、伏見九郷総鎮守、名水百選の御香水、重要文化財本殿・表門、伏見祭を伝える伏見桃山の神社として親しまれている |