銀閣寺京都府宇治市

夏の銀閣寺1 夏の銀閣寺2 夏の銀閣寺3 夏の銀閣寺4 夏の銀閣寺5 夏の銀閣寺6 夏の銀閣寺7 夏の銀閣寺8
  • 室町幕府8代将軍・足利義政が造営した山荘「東山殿」を起源とする寺院
  • 義政の没後、法号「慈照院」にちなみ慈照寺となった臨済宗相国寺派の寺院
  • 国宝の観音殿「銀閣」、東求堂、銀沙灘、向月台、東山文化で知られる世界文化遺産

銀閣寺とは、京都府京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院である。正式名称は東山慈照寺で、相国寺の山外塔頭の一つである。銀閣寺の名は、江戸時代に金閣寺に対して銀閣寺と呼ばれるようになったとされる。寺の起源は、室町幕府8代将軍・足利義政が文明14年(1482)から造営した山荘「東山殿」にある。義政は応仁の乱後の政治的混乱の中で将軍職を退いたのち、東山の地に自らの美意識を投影した山荘を築いた。東山殿には、会所、常御所、観音殿、東求堂などが設けられ、連歌、茶、香、花、絵画、庭園、書院造など、のちに東山文化と呼ばれる文化が育まれた。義政の没後、東山殿は義政の法号「慈照院」にちなみ慈照寺となった。現在、創建当初の建築として観音殿「銀閣」と東求堂が残り、ともに国宝に指定されている。銀閣は長享3年(1489)に建てられた二層の楼閣で、一層を心空殿、二層を潮音閣という。東求堂は文明17年(1485)頃の建築で、内部の同仁斎は書院造の源流を示す空間として知られる。庭園には錦鏡池、銀沙灘、向月台、お茶の井、漱蘚亭跡などがあり、静かな山荘文化と禅の美意識を今に伝えている。

銀閣寺の特長
目的 足利義政の山荘東山殿としての造営、東山文化の形成、観音信仰、阿弥陀信仰、禅宗寺院としての法灯継承、庭園・建築・書院造の保存、世界文化遺産としての文化財公開
特長 銀閣寺、東山慈照寺、慈照寺、東山殿、足利義政、慈照院、臨済宗相国寺派、相国寺山外塔頭、夢窓疎石、東山文化、観音殿、銀閣、心空殿、潮音閣、東求堂、同仁斎、書院造、銀沙灘、向月台、錦鏡池、洗月泉、お茶の井、漱蘚亭跡、月待山、哲学の道、世界文化遺産
他の寺院との違い ・足利義政が造営した山荘「東山殿」を起源とし、政治権力よりも美意識を強く反映した寺院である
・観音殿「銀閣」は金箔で飾られた金閣とは対照的に、簡素で渋い意匠に東山文化の美を伝えている
・東求堂の同仁斎は、四畳半、付書院、違棚を備え、書院造や茶室文化の源流として重要である
・銀沙灘と向月台は、白砂による抽象的な造形で、庭園に独特の緊張感と月待ちの趣を与えている
・哲学の道、法然院、真如堂、南禅寺方面とあわせて巡ると、東山北部の寺院文化と山麓景観を理解しやすい
銀閣寺DATA
別称 銀閣寺、銀閣、東山殿、東山山荘
正式名称 東山慈照寺
所在地 京都府京都市左京区
創建 足利義政の没後、東山殿を禅寺に改めたことに始まる。寺名は義政の法号「慈照院」にちなむ
東山殿造営 文明14年(1482)。足利義政が浄土寺跡に山荘東山殿の造営を始めた
開基 足利義政
勧請開山 夢窓疎石
宗派 臨済宗相国寺派
寺格 相国寺山外塔頭
山号 東山
本尊 釈迦牟尼仏。方丈に安置される
主な関係者 足利義政、日野富子、足利義尚、足利義視、夢窓疎石、相阿弥、村田珠光、与謝蕪村、池大雅
主な建築 観音殿「銀閣」、東求堂、方丈、庫裏、書院、弄清亭
主な見どころ 国宝銀閣、国宝東求堂、同仁斎、銀沙灘、向月台、錦鏡池、洗月泉、漱蘚亭跡、お茶の井、展望所、月待山の景観
文化財指定 観音殿「銀閣」と東求堂は国宝。庭園は国の特別史跡・特別名勝。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 京都府京都市左京区銀閣寺町2
電話番号 075-771-5725
拝観時間 3月1日~11月30日は8時30分~17時、下山17時20分。12月1日~2月末日は9時~16時30分、下山16時50分
休館日 年中無休。行事、特別拝観、文化財保護等により拝観内容が変更される場合あり
拝観料 大人、高校生以上1,000円。小中学生500円。障がい者等減免100円。団体割引なし
特別公開 通常は庭園拝観のみ。東求堂、方丈、弄清亭は春と秋に特別公開される。観音殿「銀閣」内部は非公開
アクセス 京都市バス「銀閣寺道」下車、徒歩約10分。京都市バス「銀閣寺前」下車、徒歩約5分
備考 銀閣寺は、足利義政の山荘東山殿を起源とする寺院である。銀閣は長享3年(1489)建立の二層楼閣で、一層は書院風、二層は禅宗様を基調とした仏堂風につくられている。東求堂は文明17年(1485)頃の建築で、持仏堂と書斎を兼ねた建物である。内部の同仁斎は四畳半敷で、付書院と違棚を備え、書院造や茶室の原型として知られる。庭園は池泉回遊式で、錦鏡池を中心に銀閣、東求堂、月待山の景観を組み合わせている。方丈前の銀沙灘と向月台は近世以後に整えられた砂盛とされ、銀閣寺を象徴する景観となっている。門前には哲学の道が続き、法然院、熊野若王子神社、南禅寺方面へ散策しやすい。
銀閣寺への交通アクセス
JR「京都」駅からバス「銀閣寺道」下車、徒歩約9分。

HISTORY 銀閣寺について

銀閣寺の歴史
平安時代 現在の銀閣寺周辺には浄土寺があったとされ、東山山麓の寺院地として信仰を集めていた
鎌倉時代 浄土寺は延暦寺の門跡寺院と関わりを持ち、浄土寺門跡の住房が営まれたとされる
1436年 永享8年、のちに東山殿を造営する足利義政が生まれる
1441年 嘉吉元年、足利義政の父である6代将軍・足利義教が嘉吉の乱で殺害される
1449年 宝徳元年、足利義政が室町幕府8代将軍となる
1467年 応仁元年、応仁の乱が始まり、京都の多くの寺社や町が戦火に巻き込まれる
応仁の乱期 浄土寺は兵火により焼失し、その跡地がのちに東山殿造営の地となる
1473年 文明5年、足利義政が将軍職を子の足利義尚に譲る
1482年 文明14年、足利義政が浄土寺跡に山荘「東山殿」の造営を始める
1485年 文明17年頃、持仏堂として東求堂が建てられる。内部の同仁斎は、書院造の源流を示す空間として知られる
1489年 長享3年、観音殿、すなわち現在の銀閣が建てられる
1490年 延徳2年、足利義政が東山殿で死去する
1490年以後 義政の遺命により東山殿は禅寺となり、義政の法号「慈照院」にちなみ慈照寺と名付けられる
室町時代後期 東山殿を中心に、茶、花、香、連歌、水墨画、庭園、書院造など、東山文化と呼ばれる文化が育まれる
16世紀中期 戦乱により慈照寺は一時荒廃し、観音殿と東求堂以外の多くの建物を失う
江戸時代前期 方丈、庫裏などが再建され、庭園や諸堂の修理が進められる
1615年頃 現在の慈照寺庭園は、戦国期に荒廃した庭園を改修したものと考えられている
江戸時代 金閣寺に対して、観音殿を銀閣、寺を銀閣寺と呼ぶ通称が広まったとされる
1742年 寛保2年、東求堂の修理が行われる
18世紀後期 銀閣、方丈などの修理が行われる
1818年~1830年頃 文政年間頃、東求堂の修理が行われる
19世紀後半 壇信徒の援助により、東求堂、方丈、銀閣の修理と庭園整備が行われる
明治20年代 銀沙灘と向月台が現在に近い姿に整えられたとされる
1900年 明治33年、銀閣が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1903年 明治36年、東求堂が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1914年 大正3年、銀閣の半解体修理が行われる
1931年 昭和6年、慈照寺庭園の山腹で石組や敷石などが発掘される
1951年 昭和26年、観音殿「銀閣」と東求堂が国宝に指定される
1952年 昭和27年、庭園が特別史跡および特別名勝に指定される
1965年 昭和40年、東求堂の解体修理が行われ、調査により創建当初の姿が判明し復原される
1987年 昭和62年、お茶の井庭園が復原整備される
1994年 平成6年、慈照寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
2008年~2010年 平成20年から平成22年にかけて、銀閣の保存修理が行われる
現在 銀閣寺は、足利義政の美意識を伝える東山文化の象徴、国宝銀閣・東求堂を有する世界文化遺産として、多くの参拝者を迎えている