仁和寺とは、京都府京都市右京区御室大内にある真言宗御室派総本山の寺院である。仁和2年(886)、光孝天皇の勅願により創建が始まり、仁和4年(888)に宇多天皇によって完成した。寺号は創建時の元号「仁和」に由来する。宇多天皇は退位後に出家して仁和寺に入り、寺内に御室、すなわち御座所を設けたため、仁和寺は「御室御所」と呼ばれるようになった。以後、明治維新まで皇子・皇孫が門跡を務め、門跡寺院の筆頭として高い格式を保った。応仁の乱では伽藍の多くを焼失したが、江戸時代前期に徳川家光の援助を受けて再興された。現在の金堂は、京都御所の紫宸殿を移築したもので、現存最古の紫宸殿遺構として国宝に指定されている。境内には二王門、中門、五重塔、御影堂、観音堂、経蔵、御所庭園、霊宝館などがあり、春には遅咲きの御室桜が境内を彩る。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。
| 目的 | 真言密教の修法、真言宗御室派の本山、皇室ゆかりの門跡寺院、宇多法皇への崇敬、阿弥陀如来への信仰、御室流文化の継承、文化財保存、御室桜を中心とする景観継承 |
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| 特長 | 仁和寺、御室御所、旧御室御所、真言宗御室派、光孝天皇、宇多天皇、宇多法皇、門跡寺院、御室、仁和4年、国宝金堂、阿弥陀三尊像、五重塔、二王門、中門、御影堂、観音堂、経蔵、御所庭園、宸殿、白書院、黒書院、北庭、南庭、飛濤亭、遼廓亭、御室桜、霊宝館、御室八十八ヶ所霊場、世界文化遺産 |
| 他の寺院との違い | ・宇多法皇が出家後に住まいを置いたことから「御室御所」と呼ばれ、皇室ゆかりの門跡寺院として発展した ・明治維新まで皇子・皇孫が門跡を務め、門跡寺院の筆頭として高い格式を保った ・国宝金堂は京都御所の紫宸殿を移築したもので、現存最古の紫宸殿遺構として貴重である ・遅咲きの御室桜は国の名勝であり、京都の春を締めくくる桜として知られる ・御所風の御所庭園、江戸初期の伽藍、御室八十八ヶ所霊場をあわせて巡ることで、宮廷文化、真言密教、近世再興の歴史を一体で理解できる |
| 別称 | 御室御所、旧御室御所、御室仁和寺、御室の寺 |
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| 正式名称 | 大内山仁和寺 |
| 所在地 | 京都府京都市右京区 |
| 創建 | 仁和4年(888)。仁和2年(886)に光孝天皇の勅願で創建が始まり、宇多天皇により完成した |
| 開基 | 宇多天皇 |
| 勅願 | 光孝天皇 |
| 宗派 | 真言宗御室派 |
| 寺格 | 真言宗御室派総本山。旧門跡寺院 |
| 山号 | 大内山 |
| 本尊 | 阿弥陀如来。創建当時の本尊である阿弥陀三尊像は国宝として伝わる |
| 主な関係者 | 光孝天皇、宇多天皇、宇多法皇、性信親王、覚行法親王、徳川家光、覚深法親王、光格天皇 |
| 主な建築 | 金堂、二王門、中門、五重塔、御影堂、観音堂、経蔵、九所明神、御所庭園、宸殿、白書院、黒書院、霊明殿、勅使門 |
| 主な見どころ | 国宝金堂、五重塔、二王門、御影堂、観音堂、御所庭園、北庭、南庭、御室桜、霊宝館、飛濤亭、遼廓亭、御室八十八ヶ所霊場 |
| 文化財指定 | 金堂は国宝。二王門、五重塔、御影堂、観音堂、中門、経蔵などは国指定重要文化財。御室桜は国の名勝。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録 |
| 住所 | 京都府京都市右京区御室大内33 |
| 電話番号 | 075-461-1155 |
| 拝観時間 | 3月~11月は9時~17時、受付終了16時30分。12月~2月は9時~16時30分、受付終了16時 |
| 休館日 | なし。行事、法要、展示替え、天候等により拝観内容が変更される場合あり |
| 拝観料 | 境内参拝無料。仁和寺御所庭園は大人800円、高校生以下無料。霊宝館は期間限定公開で大人500円、高校生以下無料。御室花まつり期間は特別入山料として大人800円、高校生以下無料 |
| アクセス | 嵐電北野線「御室仁和寺」駅から徒歩約3分。JR嵯峨野線花園駅から徒歩約15分。市バス・JRバス「御室仁和寺」下車すぐ |
| 備考 | 仁和寺は、宇多法皇が御室を設けて住したことから「御室御所」と呼ばれた。江戸時代の再興では、京都御所の紫宸殿が金堂として移築され、清涼殿の部材を用いて御影堂が造営された。二王門は高さ18.7mの大きな門で、知恩院三門、南禅寺三門と並ぶ京都三大門の一つに数えられる。五重塔は寛永21年(1644)頃の建立で、各層の幅にあまり差がない姿が特徴である。御室桜は背丈が低く遅咲きの桜として知られ、春には「御室花まつり」が行われる。境内の北西には、四国八十八ヶ所霊場を模した御室八十八ヶ所霊場があり、約3kmの山道を巡拝できる。龍安寺、妙心寺、等持院、北野天満宮とあわせて巡りやすい。 |
| 886年 | 仁和2年、光孝天皇の勅願により、西山御願寺の創建が始まる |
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| 887年 | 仁和3年、光孝天皇が崩御する。寺の完成は次代の宇多天皇に引き継がれる |
| 888年 | 仁和4年、宇多天皇により寺院が完成し、年号を取って仁和寺と名付けられる |
| 888年 | 創建時の本尊として阿弥陀三尊像が造立される。現在も国宝として伝わる |
| 897年 | 寛平9年、宇多天皇が譲位する |
| 899年 | 昌泰2年、宇多上皇が出家して宇多法皇となり、仁和寺に入る |
| 平安時代前期 | 宇多法皇は仁和寺内に御室、すなわち御座所を設けて住したため、仁和寺は御室御所と呼ばれるようになる |
| 930年 | 延長8年、宇多法皇が崩御する。以後、仁和寺は宇多法皇ゆかりの寺として崇敬される |
| 平安時代中期 | 皇族が住持となる門跡寺院としての性格が強まり、仁和寺は高い格式を持つ寺院となる |
| 11世紀 | 性信親王が仁和寺に入り、のちに御室門跡の基盤が整えられていく |
| 平安時代後期 | 仁和寺は皇室ゆかりの門跡寺院として、真言密教の修法と宮廷文化を伝える寺院となる |
| 鎌倉時代 | 仁和寺は門跡寺院として寺勢を保ち、皇族・貴族社会と密接に結びつく |
| 室町時代 | 仁和寺は御室御所として格式を保つが、京都の戦乱の影響を受けるようになる |
| 1467年 | 応仁元年、応仁の乱が始まる |
| 1467年~1477年 | 応仁の乱により、仁和寺の堂塔伽藍は多くが焼失する |
| 戦国時代 | 仁和寺は荒廃した状態が続くが、寺の由緒と門跡寺院としての格式は受け継がれる |
| 1634年 | 寛永11年、仁和寺第21世の覚深法親王が、徳川家光に仁和寺再興を願い出る |
| 1641年 | 寛永18年頃、徳川家光の援助により、仁和寺の伽藍再興が本格化する |
| 1641年~1644年 | 寛永から正保年間にかけて、現在の主要伽藍が再興される。京都御所の紫宸殿は金堂として移築され、清涼殿の部材は御影堂に用いられた |
| 1644年 | 正保元年頃、二王門と五重塔が完成する。いずれも江戸時代前期の仁和寺再興を象徴する建築となる |
| 江戸時代前期 | 再興された仁和寺は、御室御所としての格式を回復し、真言宗御室派の中心寺院として存続する |
| 1693年 | 元禄6年、伽藍建物の修理が行われる |
| 1742年 | 寛保2年、伽藍建物の修理が行われる |
| 江戸時代後期 | 仁和寺の門跡は皇族が務め、寺内には御所風の文化が受け継がれる |
| 1827年 | 文政10年頃、成就山に御室八十八ヶ所霊場が開かれ、身近に四国八十八ヶ所巡礼を体験できる霊場として信仰を集める |
| 1868年以降 | 明治維新後、門跡制度の変化により、仁和寺は皇族が住持を務める御室御所としてのあり方を終える |
| 1887年 | 明治20年、仁和寺御殿が焼失する |
| 1909年 | 明治42年、黒書院が竣工する |
| 1913年 | 大正2年、現在の勅使門が竣工する |
| 1914年 | 大正3年、現在の宸殿が竣工する。また、金堂の解体修理が行われる |
| 1924年 | 大正13年、御室桜が国の名勝に指定される |
| 1938年 | 昭和13年、二王門の半解体修理が行われる |
| 1951年 | 昭和26年、御影堂の半解体修理が行われる |
| 1952年 | 昭和27年、金堂が国宝に指定される |
| 1960年代以降 | 文化財建造物や庭園の保存修理が進められ、仁和寺の御所風の景観が整えられていく |
| 1994年 | 平成6年、仁和寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される |
| 2011年 | 平成23年、仁和寺御殿の建造物群が登録有形文化財となる |
| 現在 | 仁和寺は、真言宗御室派総本山、旧御室御所、世界文化遺産として、国宝金堂、五重塔、二王門、御所庭園、御室桜を目当てに多くの参拝者を迎えている |