南禅寺京都府京都市

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  • 正応4年(1291)に亀山法皇が離宮を禅寺に改めたことに始まる寺院
  • 京都五山の上に置かれた、臨済宗南禅寺派の大本山
  • 国宝方丈、三門、方丈庭園、水路閣で知られる京都屈指の禅寺

南禅寺とは、京都府京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山である。正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺と号し、京都五山、鎌倉五山のさらに上に置かれた別格の禅寺として知られる。もとは亀山天皇の離宮「禅林寺殿」であったが、正応2年(1289)に亀山上皇がこの離宮で出家して法皇となり、正応4年(1291)、無関普門禅師を開山として離宮を禅寺へ改めたことに始まる。創建当初は伽藍が整っていなかったため、第2世の規庵祖円禅師が伽藍整備を進め、嘉元3年(1305)頃には寺観が整ったとされる。室町時代には足利将軍家の保護を受け、京都五山第一位を経て、のちに五山之上という別格の地位に置かれた。応仁の乱などで伽藍は大きな被害を受けたが、江戸時代には以心崇伝らの尽力により再興された。現在の境内には、国宝の方丈、重要文化財の三門、勅使門、法堂、南禅院、方丈庭園、水路閣などがあり、禅宗寺院の格式と近代京都の景観が重なる名所となっている。

南禅寺の特長
目的 禅の修行道場、臨済宗南禅寺派の本山、亀山法皇ゆかりの祈りの場、国家鎮護、坐禅・法話・写経、禅宗庭園の鑑賞、京都五山文化の理解、近代京都の琵琶湖疏水景観の継承
特長 南禅寺、瑞龍山、太平興国南禅禅寺、臨済宗南禅寺派、亀山法皇、無関普門、大明国師、規庵祖円、以心崇伝、京都五山之上、禅林寺殿、方丈、方丈庭園、虎の子渡しの庭、三門、天下竜門、五鳳楼、法堂、南禅院、勅使門、水路閣、琵琶湖疏水、金地院、天授庵、南禅寺界隈別荘群
他の寺院との違い ・亀山法皇の離宮を禅寺に改めた、皇室ゆかりの禅寺である
・京都五山、鎌倉五山のさらに上に位置づけられた「五山之上」の寺格を持つ
・国宝方丈、方丈庭園、三門、南禅院などを通じて、鎌倉末期から江戸初期にかけての禅宗文化を感じられる
・境内に琵琶湖疏水の水路閣が通り、古刹の景観と明治近代化の土木遺産が共存している
・永観堂、岡崎、蹴上インクライン、琵琶湖疏水記念館、金地院、天授庵とあわせて巡ると、東山山麓の寺院文化と近代京都の都市計画を理解しやすい
南禅寺DATA
別称 南禅寺、南禅禅寺、五山之上の寺
正式名称 瑞龍山太平興国南禅禅寺
所在地 京都府京都市左京区
創建 正応4年(1291)。亀山法皇が離宮「禅林寺殿」を禅寺に改め、無関普門禅師を開山に迎えたことに始まる
開基 亀山法皇
開山 無関普門禅師。諡号は大明国師
創建開山 規庵祖円禅師。第2世として伽藍整備を進めたため、創建開山とも呼ばれる
宗派 臨済宗南禅寺派
寺格 臨済宗南禅寺派大本山、京都五山之上
山号 瑞龍山
本尊 釈迦如来
主な関係者 亀山法皇、無関普門、規庵祖円、足利義満、以心崇伝、徳川家康、藤堂高虎、小堀遠州
主な建築 三門、法堂、方丈、勅使門、南禅院、庫裏、本坊、金地院、天授庵
主な見どころ 三門、方丈、方丈庭園、虎の子渡しの庭、南禅院庭園、法堂、勅使門、水路閣、琵琶湖疏水、金地院、天授庵、南禅寺界隈の紅葉
文化財指定 方丈は国宝。三門、勅使門などは国指定重要文化財。方丈庭園は国指定名勝
住所 京都府京都市左京区南禅寺福地町86
電話番号 075-771-0365
拝観時間 12月1日~2月28日は8時40分~16時30分。3月1日~11月30日は8時40分~17時。受付は拝観時間終了の20分前まで
休館日 12月28日~31日は一般拝観休止。年始は休みなし
拝観料 方丈庭園は一般600円、高校生500円、小中学生400円。三門は一般600円、高校生500円、小中学生400円。南禅院は一般500円、高校生450円、小中学生350円
アクセス 京都市営地下鉄東西線蹴上駅から徒歩約10分。市バス「南禅寺・永観堂道」から徒歩圏内
備考 南禅寺は、亀山法皇の離宮を禅寺に改めたことに始まる大本山である。方丈は慶長16年(1611)に御所の建物を移して再建されたとされ、国宝に指定されている。方丈庭園は小堀遠州作と伝わる枯山水庭園で、石組の姿から「虎の子渡しの庭」と呼ばれる。三門は寛永5年(1628)に藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した家臣の菩提を弔うため再建したもので、「天下竜門」とも呼ばれる。境内を通る水路閣は、明治時代に造られた琵琶湖疏水の水路橋で、禅寺の境内に近代土木遺産が溶け込む独特の景観をつくっている。永観堂、蹴上インクライン、琵琶湖疏水記念館、岡崎エリアとあわせて巡りやすい。
南禅寺への交通アクセス
地下鉄東西線「蹴上」駅から徒歩約10分。

HISTORY 南禅寺について

南禅寺の歴史
1249年 建長元年、のちに南禅寺を開く亀山法皇が、後嵯峨上皇の皇子として生まれる
1259年 正元元年、亀山天皇が即位する
13世紀後半 亀山天皇は退位後、東山の地に離宮「禅林寺殿」を営む
1289年 正応2年、亀山上皇が離宮禅林寺殿で出家し、亀山法皇となる
1291年 正応4年、亀山法皇が無関普門禅師を開山に迎え、離宮禅林寺殿を禅寺に改める。これが南禅寺の創建である
1291年 開山の無関普門禅師が同年12月に遷化する
1292年 正応5年、亀山法皇が第2世として規庵祖円禅師を選ぶ。規庵祖円は伽藍整備を担い、創建開山と呼ばれる
1305年 嘉元3年頃、規庵祖円禅師による伽藍整備が進み、南禅寺の寺観が整う。同年、亀山法皇が崩御する
鎌倉時代末期 南禅寺は、亀山法皇ゆかりの禅寺として、皇室と禅宗文化の結びつきを象徴する寺院となる
1334年 建武元年、南禅寺は京都五山第一位に列せられる
室町時代 足利将軍家の保護を受け、南禅寺は禅宗寺院の最高位として重んじられる
1386年 至徳3年、足利義満により、南禅寺は京都五山・鎌倉五山のさらに上位である「五山之上」に位置づけられたとされる
1393年 明徳4年、火災により伽藍が焼失する
1447年 文安4年、火災により三門などが焼失する
1467年 応仁元年、応仁の乱が始まり、京都の多くの寺院と同様に南禅寺も大きな被害を受ける
戦国時代 度重なる兵火や社会の混乱により、南禅寺の伽藍は荒廃する
1605年 慶長10年、以心崇伝が南禅寺の第270世住職となり、荒廃した伽藍の復興に尽力する
1608年 慶長13年、以心崇伝が徳川家康に招かれて駿府へ赴き、幕政にも関わるようになる
1611年 慶長16年、御所の建物の下賜を受け、現在の方丈が再建される
江戸時代初期 以心崇伝は金地院を拠点に徳川家康の側近として活動し、南禅寺の復興と寺勢回復を進める
1628年 寛永5年、藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した家臣の菩提を弔うため、現在の三門を再建する
1633年 寛永10年、以心崇伝が示寂する
1703年 元禄16年、南禅院方丈が徳川綱吉の母・桂昌院の寄進により再建される
江戸時代 南禅寺は臨済宗の大本山として復興し、塔頭寺院とともに禅宗文化を伝える寺院として存続する
1868年以降 明治維新後の制度変化により、南禅寺の境内や塔頭のあり方も変化する
1885年 明治18年、琵琶湖から京都へ水を引く琵琶湖疏水の工事が始まる
1890年 明治23年、琵琶湖疏水が竣工する。南禅寺境内には赤煉瓦造りの水路閣が設けられ、近代京都の象徴的景観となる
1899年 明治32年、三門が国指定重要文化財となる
1951年 昭和26年、方丈庭園が国の名勝に指定される
1953年 昭和28年、方丈が国宝に指定される
1966年 昭和41年、小方丈庭園「如心庭」が作庭される
現代 南禅寺は、方丈庭園、三門、南禅院、水路閣、塔頭寺院を通じて、禅宗寺院の格式と京都近代化の景観を同時に伝える名所となる
現在 南禅寺は、臨済宗南禅寺派大本山、京都五山之上の禅寺として、国内外から多くの参拝者を迎えている