下鴨神社とは、京都府京都市左京区下鴨泉川町にある神社である。正式名称は賀茂御祖神社といい、上賀茂神社、正式名称・賀茂別雷神社とともに賀茂社を構成する。御祭神は、西殿に賀茂建角身命、東殿に玉依媛命を祀る。賀茂建角身命は古代の京都を拓いた神、また神武天皇を導いた八咫烏の神として信仰され、玉依媛命は賀茂別雷大神の母神として、縁結び、子宝、安産、子育ての神として信仰されている。創祀年代は明らかではないが、社伝では崇神天皇7年に瑞垣の修造が行われたとされ、それ以前から祀られていた古社と考えられている。賀茂川と高野川が合流する地に広がる糺の森に鎮座し、平安京遷都後は王城鎮護の社、山城国一宮として朝廷から篤く崇敬された。賀茂祭、現在の葵祭は京都三大祭の一つで、平安王朝の雅を今に伝える祭礼である。境内には国宝の本殿2棟をはじめ、楼門、舞殿、神服殿、橋殿、細殿など多くの重要文化財が残る。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。
| 目的 | 賀茂建角身命・玉依媛命への信仰、国家安泰、王城鎮護、厄除、導き、勝利祈願、縁結び、子宝、安産、子育て、交通安全、家内安全、世界文化遺産としての社殿・糺の森の保存継承、葵祭をはじめとする賀茂信仰の継承 |
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| 特長 | 下鴨神社、賀茂御祖神社、賀茂社、山城国一宮、賀茂建角身命、玉依媛命、賀茂別雷大神、八咫烏、糺の森、賀茂川、高野川、葵祭、賀茂祭、御蔭祭、流鏑馬神事、式年遷宮、国宝本殿、楼門、舞殿、神服殿、橋殿、細殿、相生社、連理の賢木、河合神社、御手洗社、言社、御手洗池、みたらし団子発祥伝承、世界文化遺産 |
| 他の神社との違い | ・賀茂川と高野川の合流地点に鎮座し、古代からの森である糺の森と一体になった神社である ・上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神の祖父神と母神を祀ることから、賀茂御祖神社と呼ばれる ・平安京遷都後は、王城鎮護の社、山城国一宮として朝廷から特別に崇敬された ・葵祭の舞台として知られ、賀茂斎院、式年遷宮、御蔭祭など王朝文化と神事の伝統を今に伝えている ・境内に相生社、河合神社、御手洗社、言社など多様な摂末社があり、縁結び、美麗祈願、厄除、干支守護など多面的な信仰を感じられる |
| 別称 | 下鴨神社、賀茂御祖神社、下鴨さん、鴨社、山城国一宮 |
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| 正式名称 | 賀茂御祖神社 |
| 所在地 | 京都府京都市左京区 |
| 創祀 | 不詳。社伝では崇神天皇7年に瑞垣の修造が行われたとされ、それ以前から祀られていた古社と考えられている |
| 社殿造営 | 白鳳6年(677)に山背国司に命じて造営が行われたと伝わる |
| 祭神 | 西殿に賀茂建角身命、東殿に玉依媛命を祀る |
| 御神徳 | 国家安泰、世界平和、厄除、導き、勝利、縁結び、子宝、安産、子育て、交通安全、家内安全 |
| 社格 | 式内社、名神大社、山城国一宮、二十二社、旧官幣大社 |
| 主な関係者 | 賀茂建角身命、玉依媛命、賀茂別雷大神、桓武天皇、歴代天皇、賀茂斎王、徳川幕府 |
| 主な社殿 | 東本殿、西本殿、楼門、舞殿、神服殿、橋殿、細殿、四脚中門、幣殿、叉蔵、摂社三井神社、摂社出雲井於神社、御手洗社、相生社、河合神社 |
| 主な見どころ | 国宝本殿、糺の森、楼門、舞殿、神服殿、御手洗池、相生社、連理の賢木、河合神社、干支の守護社である言社、御蔭神社、葵祭、流鏑馬神事 |
| 文化財指定 | 東本殿・西本殿は国宝。楼門、舞殿、神服殿、橋殿、細殿など多数の社殿は国指定重要文化財。境内は国指定史跡。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録 |
| 住所 | 京都府京都市左京区下鴨泉川町59 |
| 電話番号 | 075-781-0010 |
| 参拝時間 | 楼門内は6時30分~17時。神事、祭典、季節により変更の場合あり |
| 御祈祷受付 | 9時~16時30分。予約不要 |
| 休館日 | 境内参拝はなし。神事、祭典、行事、工事等により参拝範囲が変更される場合あり |
| 拝観料 | 境内参拝無料。御祈祷、正式参拝、特別拝観、授与品等は別途初穂料が必要 |
| アクセス | 京阪本線・叡山電鉄出町柳駅から徒歩約12分~15分。市バス「下鴨神社前」または「糺ノ森前」下車すぐ |
| 備考 | 下鴨神社は、賀茂川と高野川が合流する三角州に広がる糺の森の中に鎮座する。糺の森は古代の植生を残す貴重な森で、境内全体が都市の中に残された神域として守られている。賀茂建角身命は八咫烏の神として導きや勝利の神徳を持ち、玉依媛命は縁結び、子宝、安産、子育ての神として信仰される。境内の相生社は縁結びの社として知られ、そばにある連理の賢木は2本の木が1本に結ばれた御神木である。御手洗社の御手洗池は、葵祭に先立つ斎王代禊の儀や土用の丑の日の御手洗祭で知られ、みたらし団子発祥の伝承にも関わる。境内摂社の河合神社は美麗祈願、女性守護の神社として知られる。上賀茂神社、河合神社、京都御苑、出町柳周辺とあわせて巡りやすい。 |
| 神代 | 賀茂建角身命は、神武天皇を導いた八咫烏の神として伝わり、京都を拓いた神として信仰される |
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| 神代 | 玉依媛命は、鴨川で禊をしていた際に上流から流れてきた丹塗矢によって賀茂別雷大神を生んだと伝わる |
| 創祀不詳 | 下鴨神社の創祀年代は明らかではないが、賀茂川と高野川の合流地点に古くから祀られていたと考えられている |
| 紀元前90年頃 | 社伝では、崇神天皇7年に神社の瑞垣修造が行われたと伝わる |
| 古代 | 糺の森周辺では古代の土器や弥生時代の住居跡が見つかっており、古くから人々の生活と信仰の場であったことがうかがえる |
| 544年 | 欽明天皇5年、賀茂祭が始まったと伝わる |
| 677年 | 白鳳6年、山背国司に命じて賀茂御祖神社の社殿造営が行われたと伝わる |
| 698年 | 文武天皇2年、『続日本紀』に、賀茂祭に見物人が多く集まるため警備を命じた記事が見える |
| 奈良時代 | 賀茂祭はすでに大きな祭礼として知られ、賀茂御祖神社は有力な古社として朝廷に認識されていた |
| 794年 | 延暦13年、平安京遷都が行われる。遷都にあたって下鴨神社に成功祈願が行われたと伝わる |
| 平安時代初期 | 下鴨神社は上賀茂神社とともに、王城鎮護の社、山城国一宮として朝廷の崇敬を受ける |
| 810年 | 弘仁元年頃、皇女が賀茂社に奉仕する賀茂斎院の制度が定められる |
| 819年 | 弘仁10年、賀茂祭が朝廷の中祀として位置づけられたとされる |
| 927年 | 延長5年、『延喜式』神名帳に名神大社として記される |
| 平安時代中期 | 下鴨神社は『源氏物語』『枕草子』など王朝文学にも登場し、文化と信仰の中心地の一つとなる |
| 1036年 | 長元9年、第1回の式年遷宮が行われたとされ、以後、式年遷宮の制度が整えられる |
| 平安時代後期 | 全国に60余か所の荘園・御厨が寄進され、神社の経済的基盤を支える |
| 鎌倉時代 | 武家政権の時代になっても、下鴨神社は王城鎮護と賀茂信仰の社として崇敬される |
| 室町時代 | 戦乱や社会変動により荘園とのつながりが弱まるが、地域の信仰に支えられて神社は維持される |
| 中世 | 下鴨神社を舞台とする能や謡曲が作られ、賀茂信仰は文学・芸能の中にも広がる |
| 1467年以降 | 応仁の乱により京都は大きな被害を受けるが、下鴨神社は復興を重ねて社殿と神事を守る |
| 江戸時代前期 | 徳川幕府から社領が寄せられ、下鴨神社は国と国民の幸福を祈る神社として維持される |
| 1628年 | 寛永5年、楼門、舞殿、神服殿、橋殿、細殿など現在に伝わる多くの社殿が造営される |
| 江戸時代 | 賀茂祭、式年遷宮、御蔭祭などの神事が継承され、糺の森と社殿が守られる |
| 1863年 | 文久3年、東本殿・西本殿が造替される。現在の国宝本殿2棟である |
| 明治時代初期 | 神社制度の整備により、下鴨神社は官幣大社の首位に置かれる |
| 1901年 | 明治34年、東本殿・西本殿をはじめ社殿が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける |
| 1953年 | 昭和28年、東本殿・西本殿が国宝に指定される |
| 1983年 | 昭和58年、境内の糺の森を含む一帯が国の史跡に指定される |
| 1994年 | 平成6年、下鴨神社が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される |
| 2015年 | 平成27年、第34回式年遷宮が行われ、社殿修理と伝統神事の継承が進められる |
| 2024年 | 令和6年、鴨社禮殿が再興され、御祈祷所として使用される |
| 2036年 | 令和18年、第35回式年遷宮の節目を迎える予定である |
| 現在 | 下鴨神社は、京都最古級の古社、山城国一宮、糺の森に鎮座する世界文化遺産として、多くの参拝者を迎えている |