上賀茂神社とは、京都府京都市北区上賀茂本山にある神社である。正式名称は賀茂別雷神社といい、御祭神は賀茂別雷大神である。賀茂別雷大神は、神代の昔に本殿の北北西に位置する神山へ御降臨したと伝わる神で、雷の御神威により厄を祓い、災難を除く神として信仰されてきた。社伝では、賀茂玉依比売命が賀茂川上流で拾った丹塗矢により御子神を生み、その御子神がのちに神山へ御降臨したことが上賀茂神社の起源とされる。天武天皇6年(677)には山背国により賀茂神宮が造営され、平安京遷都後は皇城鎮護の神、山城国一之宮として歴代天皇の崇敬を受けた。境内は御物忌川と御手洗川が流れる清らかな神域で、二ノ鳥居を入った正面には神山を象った一対の立砂が置かれている。本殿と権殿は文久3年(1863)の造替で、流造の古制を伝える国宝建築である。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。
| 目的 | 賀茂別雷大神への信仰、厄除、災難除、方除、雷除、電気産業守護、皇城鎮護、山城国一之宮としての地域守護、国家安泰、五穀豊穣、家内安全、交通安全、開運招福 |
|---|---|
| 特長 | 上賀茂神社、賀茂別雷神社、賀茂別雷大神、神山、降臨石、賀茂玉依比売命、賀茂建角身命、丹塗矢、山城国一之宮、皇城鎮護、賀茂祭、葵祭、二葉葵、立砂、本殿、権殿、流造、細殿、楼門、橋殿、片山御子神社、渉渓園、神馬、賀茂競馬、賀茂曲水宴、世界文化遺産 |
| 他の神社との違い | ・神山への賀茂別雷大神の御降臨を起源とする、京都でも最古級の神社である ・下鴨神社とともに賀茂社を構成し、賀茂祭、いわゆる葵祭を担う神社である ・本殿・権殿は同形同大で並び、式年遷宮の際には権殿が仮の本殿となる ・二ノ鳥居正面の立砂は、御祭神が降臨した神山を象ったもので、上賀茂神社を象徴する景観である ・神社後方の神山を含む自然環境まで信仰空間として捉えられ、境内全域が世界文化遺産に登録されている |
| 別称 | 上賀茂神社、山城国一之宮、賀茂社、上社 |
|---|---|
| 正式名称 | 賀茂別雷神社 |
| 所在地 | 京都府京都市北区 |
| 創祀 | 神代。賀茂別雷大神が、本殿の北北西に位置する神山へ御降臨したことに始まると伝わる |
| 社殿造営 | 天武天皇6年(677)。山背国により賀茂神宮が造営され、現在まで続く社殿の基が築かれたとされる |
| 祭神 | 賀茂別雷大神 |
| 関係神 | 賀茂玉依比売命、賀茂建角身命 |
| 社格 | 延喜式名神大社、山城国一之宮、二十二社、旧官幣大社 |
| 主な社殿 | 本殿、権殿、楼門、細殿、橋殿、土屋、楽屋、馬場殿、庁屋、片山御子神社、新宮神社 |
| 主な見どころ | 国宝本殿・権殿、立砂、楼門、細殿、橋殿、御手洗川、御物忌川、片山御子神社、渉渓園、ならの小川、神馬舎、神山遥拝 |
| 文化財指定 | 本殿・権殿は国宝。細殿、橋殿、楼門など多数の社殿は国指定重要文化財。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録 |
| 住所 | 京都府京都市北区上賀茂本山339 |
| 電話番号 | 075-781-0011 |
| 参拝時間 | 二ノ鳥居は5時30分~17時。楼門および授与所は8時~16時45分 |
| 御祈祷受付 | 9時~16時。随時斎行、予約不要 |
| 特別参拝 | 10時~16時。初穂料500円。時期により休止や時間変更、特別企画期間の初穂料変更あり |
| 休館日 | 境内参拝はなし。祭典、神事、行事等により参拝範囲や受付時間が変更される場合あり |
| 拝観料 | 境内参拝無料。国宝本殿特別参拝は初穂料500円 |
| アクセス | 市バス「上賀茂神社前」下車すぐ。地下鉄烏丸線北山駅または北大路駅から徒歩約25分 |
| 備考 | 上賀茂神社は、神山に降臨した賀茂別雷大神を祀る山城国一之宮である。二ノ鳥居を入った正面にある立砂は、神山を象ったもので、頂には三本と二本の松葉が立てられ、陰陽一対を表す。国宝の本殿・権殿は文久3年(1863)の造替で、全国の神社建築に多い流造の原型を伝える。上賀茂神社と下鴨神社の例祭である賀茂祭は葵祭として知られ、毎年5月15日に京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう行列が行われる。境内には御手洗川、御物忌川、ならの小川が流れ、神山、川、社殿が一体となった古代的な信仰空間を今に伝えている。 |
| 神代 | 賀茂別雷大神が、本殿の北北西に位置する神山へ御降臨したと伝わる |
|---|---|
| 神代 | 賀茂玉依比売命が賀茂川上流で丹塗矢を持ち帰り、その神威により御子神を生んだと伝わる |
| 神代 | 御子神は、賀茂建角身命の祝宴の席で「我が父は天津神なり」と告げ、天へ昇ったとされる |
| 神代 | 賀茂玉依比売命の夢に御子神が現れ、葵や楓を飾って神迎えの祭を行うよう告げたため、御神託に従って祭を行うと、御子神が賀茂別雷大神として神山へ御降臨したと伝わる |
| 神武天皇の御代 | 賀茂別雷大神が神山に御降臨・御鎮座したと社伝に伝わる |
| 欽明天皇の御代 | 賀茂祭、のちの葵祭が始まったと伝わる |
| 677年 | 白鳳6年、天武天皇6年、山背国により賀茂神宮が造営される |
| 794年 | 延暦13年、平安京遷都後、賀茂社への天皇行幸が始まり、皇城鎮護の神として崇敬される |
| 806年 | 大同元年、賀茂祭の日には国司が祭場に臨み、祭が正しく行われているかを検察するよう勅せられる |
| 807年 | 大同2年、賀茂祭が勅祭として始められ、賀茂別雷大神に神階正一位が授けられる |
| 810年 | 弘仁元年、嵯峨天皇により賀茂斎王の制度が始まる |
| 819年 | 弘仁10年、賀茂祭を中祀に準じて斎行するよう勅が下され、伊勢の神宮と並ぶ重要な祭として扱われる |
| 859年~876年 | 貞観年間、勅祭賀茂祭の儀式次第が整えられ、壮麗な祭儀として完成していく |
| 927年 | 延長5年、『延喜式』神名帳に名神大社として記される |
| 1036年 | 長元9年、後一条天皇の御代に、以後21年ごとの式年遷宮が定められる |
| 1093年 | 寛治7年、宮中武徳殿の競馬が奉納され、賀茂競馬の始まりとされる |
| 1182年 | 寿永元年、神主・重保が曲水宴を設け、賀茂曲水宴の基となる |
| 1183年 | 寿永2年、源頼朝の下文により、諸国の荘園が安堵される |
| 1212年 | 建暦2年、賀茂斎院の礼子内親王が退下し、賀茂斎王の制度が廃絶する |
| 1334年 | 建武元年、後醍醐天皇が賀茂社へ行幸する。以後、孝明天皇まで天皇行幸は断絶する |
| 1467年以降 | 応仁の乱など京都の内乱の影響により、賀茂社も大きな影響を受ける |
| 1476年 | 文明8年、本殿と諸社殿が焼失する |
| 1574年 | 天正2年、織田信長が賀茂競馬に馬を出す |
| 1591年 | 天正19年、豊臣秀吉により御遷宮が行われる |
| 1600年 | 慶長5年、徳川家康が賀茂社に参拝する |
| 1610年 | 慶長15年、駿府城の徳川家康に葵を献上し、「葵使」が始まる |
| 1628年 | 寛永5年、後水尾天皇・東福門院の御願により、徳川秀忠による大規模な御造営が行われる |
| 1708年 | 宝永5年、内裏の火災により、東山天皇が細殿を行在所とする |
| 1863年 | 文久3年、攘夷祈願のため孝明天皇が賀茂社へ行幸し、将軍・徳川家茂が諸侯を率いて供奉する |
| 1863年 | 文久3年、本殿・権殿が造替される。現在の国宝本殿・権殿はこの時の建物である |
| 1868年 | 慶応4年、王政復古の奉告のため、明治天皇が賀茂社へ行幸する |
| 1871年 | 明治4年、官幣大社の首位に置かれる |
| 1901年 | 明治34年、古社寺保存法により、本殿・権殿などが特別保護建造物に指定される |
| 1953年 | 昭和28年、本殿・権殿が国宝に指定され、三十六棟が重要文化財に指定される |
| 1956年 | 昭和31年、賀茂祭行列に斎王代を中心とする女人列が復興される |
| 1973年 | 昭和48年、第四十回式年遷宮が斎行され、檜皮屋根の葺き替えが行われる |
| 1994年 | 平成6年、第四十一回式年遷宮が斎行され、御神宝が新調される。同年、「古都京都の文化財」の構成資産として境内全域が世界文化遺産に登録される |
| 2006年 | 平成18年、古文書一括が「賀茂別雷神社文書」として重要文化財に指定される |
| 2015年 | 平成27年、第四十二回式年遷宮の正遷宮が斎行される |
| 現在 | 上賀茂神社は、賀茂別雷大神を祀る山城国一之宮、賀茂祭を担う古社、世界文化遺産として、多くの参拝者を迎えている |