金閣寺京都府京都市

春の金閣寺1 春の金閣寺2 春の金閣寺3 春の金閣寺4 春の金閣寺5 春の金閣寺6
  • 室町幕府3代将軍・足利義満が造営した山荘「北山殿」を起源とする寺院
  • 義満の没後、法号「鹿苑院殿」にちなみ鹿苑寺となった臨済宗相国寺派の寺院
  • 舎利殿「金閣」、鏡湖池、北山文化、世界文化遺産で知られる京都屈指の名刹

金閣寺とは、京都府京都市北区金閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院である。正式名称は鹿苑寺で、相国寺の山外塔頭の一つである。舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般には金閣寺の名で広く知られている。寺の起源は、室町幕府3代将軍・足利義満が応永4年(1397)に西園寺家の山荘「北山第」を譲り受け、山荘「北山殿」として造営したことに始まる。北山殿は、義満の政治・外交・文化活動の舞台であり、後小松天皇の行幸や明との貿易を背景に、北山文化を象徴する空間となった。金閣は、鏡湖池のほとりに建つ三層の舎利殿で、一層は寝殿造風、二層は武家住宅風、三層は禅宗仏堂風という異なる様式を重ねた建築である。義満の死後、北山殿は遺言により禅寺となり、夢窓疎石を勧請開山として、義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられた。現在の金閣は昭和25年(1950)の放火により焼失した後、昭和30年(1955)に再建されたものである。鏡湖池を中心とする庭園は特別史跡・特別名勝に指定され、平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。

金閣寺の特長
目的 足利義満の山荘北山殿としての造営、極楽浄土を表す庭園と建築、禅宗寺院としての法灯継承、舎利信仰、北山文化の継承、世界文化遺産としての文化財保存、京都を代表する景観の公開
特長 金閣寺、鹿苑寺、北山殿、北山第、足利義満、鹿苑院殿、臨済宗相国寺派、相国寺山外塔頭、夢窓疎石、舎利殿、金閣、鏡湖池、池泉回遊式庭園、葦原島、鶴島、亀島、龍門滝、夕佳亭、不動堂、陸舟の松、北山文化、後小松天皇、明との貿易、世界文化遺産
他の寺院との違い ・足利義満が造営した山荘「北山殿」を起源とし、室町幕府の権威と北山文化を象徴する寺院である
・舎利殿「金閣」は、一層・二層・三層で異なる建築様式を重ね、公家文化、武家文化、禅宗文化を一つの建築に表している
・鏡湖池を中心とする庭園は、金閣を水面に映し、衣笠山を望む構成により、極楽浄土をこの世に表した景観とされる
・昭和25年(1950)に金閣は焼失したが、明治期の詳細な実測図などをもとに昭和30年(1955)に再建された
・銀閣寺と同じ臨済宗相国寺派の山外塔頭であり、金閣寺と銀閣寺を比較すると、北山文化と東山文化の違いが理解しやすい
金閣寺DATA
別称 金閣寺、金閣、北山殿、鹿苑禅寺
正式名称 北山鹿苑寺
所在地 京都府京都市北区
起源 応永4年(1397)。足利義満が西園寺家の山荘「北山第」を譲り受け、山荘「北山殿」を造営したことに始まる
寺院化 応永15年(1408)に足利義満が死去した後、遺言により禅寺となり、義満の法号「鹿苑院殿」にちなみ鹿苑寺と名付けられた
開基 足利義満
勧請開山 夢窓疎石
宗派 臨済宗相国寺派
寺格 相国寺山外塔頭
山号 北山
本尊 聖観世音菩薩。方丈本尊として安置される
主な関係者 西園寺公経、足利義満、足利義持、夢窓疎石、後小松天皇、春屋妙葩、義堂周信、西笑承兌、徳川家康
主な建築 舎利殿「金閣」、方丈、庫裏、不動堂、夕佳亭、鐘楼、総門
主な見どころ 金閣、鏡湖池、葦原島、鶴島、亀島、龍門滝、陸舟の松、夕佳亭、不動堂、安民沢、白蛇の塚、庭園の逆さ金閣
文化財指定 庭園は国の特別史跡・特別名勝。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 京都府京都市北区金閣寺町1
電話番号 075-461-0013
参拝時間 9時~17時。特別拝観時は時間が異なる場合あり
休館日 年中無休
参拝料 大人、高校生以上500円。小中学生300円。団体割引なし
アクセス 京都市バス「金閣寺道」下車、徒歩圏内。京都駅、四条河原町、銀閣寺方面から市バスでアクセス可能
備考 金閣寺は、足利義満が築いた北山殿を起源とする禅寺である。舎利殿「金閣」は三層構造で、一層は法水院、二層は潮音洞、三層は究竟頂と呼ばれる。二層と三層には金箔が施され、屋根上には鳳凰が置かれている。鏡湖池を中心とする庭園は、金閣を池に映すように構成され、池の中には葦原島、鶴島、亀島などが配されている。現在の金閣は昭和25年(1950)の焼失後、昭和30年(1955)に再建されたもので、昭和62年(1987)には金箔の全面張り替えを含む修理が行われた。周辺には龍安寺、仁和寺、北野天満宮、等持院があり、衣笠・御室エリアの寺社めぐりとあわせて巡りやすい。
金閣寺への交通アクセス
JR「京都」駅からバス「金閣寺道」下車、徒歩約3分。

HISTORY 金閣寺について

金閣寺の歴史
平安時代 北山の地には霊厳寺、興隆寺、法音寺などの寺院があり、天皇陵や塚も多く存在したとされる
鎌倉時代 この地は西園寺家の所領となり、権勢を誇った西園寺公経が山荘「北山第」を営む
1224年 元仁元年、西園寺公経が氏寺として西園寺を建立し、盛大な落慶供養を行ったとされる
鎌倉時代後期 西園寺家の山荘北山第は、池や滝を備えた華麗な山荘として知られた
1333年 鎌倉幕府滅亡後、西園寺家は勢力を失い、北山第も次第に荒廃していく
1358年 延文3年、のちに北山殿を造営する足利義満が生まれる
1368年 応安元年、足利義満が室町幕府3代将軍となる
1378年 永和4年、足利義満が室町第を整え、幕府の政治拠点とする。花の御所と呼ばれ、室町幕府の権威を示す空間となる
1392年 明徳3年、南北朝合一が実現し、足利義満の政治的権威が高まる
1394年 応永元年、足利義満が将軍職を子の足利義持に譲る
1395年 応永2年、足利義満が出家する
1397年 応永4年、足利義満が荒廃していた西園寺家の北山第を譲り受け、山荘「北山殿」の造営を始める
1397年以後 北山殿には庭園、会所、寝殿、舎利殿などが整えられ、義満の政治・外交・文化活動の舞台となる
1404年 応永11年頃、明との勘合貿易が始まり、北山殿は対明外交の舞台ともなる
1408年 応永15年、後小松天皇が北山殿へ行幸し、義満は盛大な宴を催す。これは北山殿行幸として知られる
1408年 応永15年、足利義満が死去する
1408年以後 義満の遺言により、北山殿は禅寺に改められ、夢窓疎石を勧請開山として鹿苑寺と名付けられる
室町時代前期 鹿苑寺は相国寺の塔頭寺院として位置づけられ、足利将軍家ゆかりの禅寺として存続する
1422年 応永29年、北山殿は禅寺鹿苑寺として整えられたとされる
1467年 応仁元年、応仁の乱が始まる。相国寺をはじめ京都の多くの禅寺が戦火を受ける
応仁の乱期 鹿苑寺も被害を受けるが、金閣、石不動堂、護摩堂などは焼失を免れたとされる
戦国時代 足利将軍家の権威低下とともに鹿苑寺も衰退し、寺院経営は困難になる
江戸時代初期 徳川家康の命により、西笑承兌が鹿苑寺の住職となる。寺は経済的基盤を整え、再興へ向かう
江戸時代 鹿苑寺は相国寺派の禅寺として維持され、金閣と庭園も修理を重ねながら守られる
明治時代 廃仏毀釈や寺領制度の変化により経済的基盤を失うが、歴代住職の努力により維持される
1894年 明治27年、大阪で開かれた共進会にあわせ、鹿苑寺の拝観が始められたとされる
1904年 明治37年、金閣の修理が行われ、詳細な実測図が作成される。のちの再建時の重要な資料となる
1925年 大正14年、鹿苑寺庭園が史跡・名勝に指定される
1929年 昭和4年、金閣が旧国宝に指定される
1950年 昭和25年、放火により金閣が焼失する。義満時代から残っていた舎利殿は失われる
1955年 昭和30年、明治期の修理図面などをもとに金閣が再建される
1956年 昭和31年、鹿苑寺庭園が特別史跡・特別名勝に指定される
1987年 昭和62年、金閣の金箔張り替えを含む大規模な修理工事が行われる
1988年~1990年 昭和63年から平成2年にかけて、防火設備を中心とする防災工事が行われる
1994年 平成6年、鹿苑寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
2003年 平成15年、鹿苑寺庭園の発掘調査報告などにより、北山殿・鹿苑寺庭園の遺構理解が進む
現在 金閣寺は、足利義満の北山文化を象徴する寺院、鏡湖池に映る舎利殿「金閣」を伝える世界文化遺産として、多くの参拝者を迎えている