法観寺(八坂の塔)京都府京都市

春の法観寺(八坂の塔)1 春の法観寺(八坂の塔)2 春の法観寺(八坂の塔)3 春の法観寺(八坂の塔)4
秋の法観寺(八坂の塔)1 秋の法観寺(八坂の塔)2 秋の法観寺(八坂の塔)3 秋の法観寺(八坂の塔)4 秋の法観寺(八坂の塔)5
  • 聖徳太子が如意輪観音の夢告により建立したと伝わる東山の古刹
  • 永享12年(1440)に足利義教が再興した五重塔を残す臨済宗建仁寺派の寺院
  • 八坂通の坂上にそびえ、東山の町並みを象徴する「八坂の塔」で知られる名所

法観寺とは、京都府京都市東山区八坂上町にある臨済宗建仁寺派の寺院である。山号は霊応山で、通称「八坂の塔」として知られる五重塔を中心に、東山の景観を代表する寺院として親しまれている。寺伝では、聖徳太子が如意輪観音の夢告により建立したとされ、古くは延喜式七ヶ寺の一つに数えられるほど栄えたという。現在は往時の大伽藍の多くを失い、八坂塔、太子堂、薬師堂を中心とする寺観となっている。八坂塔は本瓦葺の五重塔で、高さ約46mを誇る和様建築である。創建以来、たびたび火災により焼失したが、そのたびに再建され、現在の塔は永享12年(1440)に室町幕府6代将軍・足利義教によって再興された。塔内には五智如来像が安置され、須弥壇の下には古い中心礎石が残る。八坂神社から清水寺へ向かう東山散策路の途中にあり、石畳の道、町家、坂道と五重塔が重なる姿は、京都らしい景観の一つとなっている。

法観寺の特長
目的 五智如来への信仰、聖徳太子ゆかりの寺院信仰、東山の仏教文化の継承、八坂の塔を中心とする歴史的景観の保存、清水寺・八坂神社間の歴史散策
特長 法観寺、八坂の塔、霊応山、臨済宗建仁寺派、聖徳太子、如意輪観音、延喜式七ヶ寺、足利義教、五重塔、五智如来、大日如来、釈迦如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、中心礎石、仏舎利、太子堂、薬師堂、八坂通、二年坂、三年坂、清水寺、八坂神社、東山
他の寺院との違い ・現在の伽藍は小規模ながら、五重塔が東山の町並み全体の象徴となっている寺院である
・八坂塔は室町時代中期の五重塔で、東山に残る貴重な重要文化財建造物である
・塔内に五智如来を安置し、中心礎石や心柱など、古代寺院以来の塔の信仰構造を感じられる
・八坂通の坂道と五重塔が重なる景観は、京都を代表する写真スポットの一つである
・八坂神社、高台寺、二年坂、三年坂、清水寺とあわせて巡ることで、東山の寺社と町並みの連続性を理解しやすい
法観寺DATA
別称 八坂の塔、八坂塔、法観禅寺
正式名称 霊応山法観寺
所在地 京都府京都市東山区
創建 寺伝では、聖徳太子が如意輪観音の夢告により建立したと伝わる。年代には諸説があり、飛鳥時代創建の古寺とされる
開基 聖徳太子と伝わる
宗派 臨済宗建仁寺派
山号 霊応山
本尊 五智如来。塔内に大日如来、釈迦如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来を安置する
主な関係者 聖徳太子、足利義教
主な建築 五重塔、太子堂、薬師堂
主な見どころ 八坂塔、五智如来像、中心礎石、太子堂、薬師堂、八坂通から見上げる塔の景観
文化財指定 法観寺五重塔は国指定重要文化財。紙本著色八坂塔絵図も国指定重要文化財
住所 京都府京都市東山区八坂上町388
電話番号 075-551-2417
拝観時間 10時~15時
休館日 不定休
拝観料 中学生以上400円。小学生以下は拝観不可
アクセス 市バス「東山安井」または「清水道」から徒歩約5分。京阪本線祇園四条駅から徒歩圏内
備考 法観寺は、八坂通の坂上にそびえる五重塔で知られる寺院である。現在の塔は永享12年(1440)に足利義教によって再興されたもので、高さ約46m、本瓦葺の和様建築である。塔内には五智如来像が安置され、須弥壇の下には古い松香石製の中心礎石が残る。かつては大きな伽藍を持った寺院であったが、現在は八坂塔、太子堂、薬師堂を残す。東山の町並みと一体になった景観が魅力で、八坂神社、高台寺、二年坂、三年坂、清水寺を結ぶ散策ルートの中で訪れやすい。ただし拝観日は不定期のため、内部拝観を目的にする場合は事前確認が望ましい。
法観寺(八坂の塔)への交通アクセス
JR「京都」駅からバス「清水道」下車、徒歩約5分。

HISTORY 法観寺(八坂の塔)について

法観寺の歴史
飛鳥時代 寺伝では、聖徳太子が如意輪観音の夢告により法観寺を建立したと伝わる
古代 法観寺は、平安京遷都以前から東山周辺に存在した古い寺院とされ、古代の八坂地域の信仰と関わる寺院であったと考えられている
平安時代 往時の法観寺は、延喜式七ヶ寺の一つに数えられるほど隆盛を極めたと伝わる
中世以前 五重塔はたびたび災火により焼失したが、その都度再建された
室町時代前期 室町幕府の保護を受け、法観寺の五重塔再興が進められる
1440年 永享12年、室町幕府6代将軍・足利義教により、現在の五重塔が再興される
室町時代中期 八坂塔は東山にそびえる五重塔として、周辺の寺社や町並みの中で重要な景観要素となる
1467年~1477年 応仁の乱により、法観寺の伽藍は大きな被害を受けたとされる
応仁の乱後 往時の堂塔の多くは失われ、法観寺は五重塔を中心に寺院として存続する
江戸時代 東山や清水寺周辺への参詣が盛んになる中、八坂塔は東山の名所として知られるようになる
江戸時代 八坂通や清水道周辺の町並みとともに、法観寺の五重塔は京都東山を象徴する景観として親しまれる
1897年 明治30年、法観寺五重塔が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1905年 明治38年、紙本著色八坂塔絵図が国の重要文化財に指定される
近代 東山周辺が京都観光の代表的な地域となる中、八坂塔は写真や絵葉書にも多く登場する名所となる
現代 法観寺五重塔は国指定重要文化財として保存され、東山の歴史的景観を象徴する建築として親しまれている
現在 法観寺は、八坂の塔の名で知られる東山の寺院として、八坂神社から清水寺へ向かう散策路の中で多くの参拝者・観光客を迎えている