天龍寺京都府京都市

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  • 暦応2年(1339)に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため創建した禅寺
  • 夢窓疎石を開山とし、京都五山第一位に位置づけられた臨済宗天龍寺派の大本山
  • 曹源池庭園、法堂の雲龍図、大方丈、嵐山の借景で知られる世界文化遺産

天龍寺とは、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町にある臨済宗天龍寺派の大本山である。正式には霊亀山天龍資聖禅寺と号し、嵯峨嵐山を代表する禅寺として知られる。創建は暦応2年(1339)。室町幕府初代将軍・足利尊氏が、南朝の後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として建立した。寺地は、平安時代に檀林皇后が開いた檀林寺の跡地であり、その後は後嵯峨上皇、亀山上皇の離宮「亀山殿」が営まれた地でもある。康永4年(1345)に落慶すると、天龍寺は京都五山の第一位に列せられ、室町幕府と深く結びつく禅宗寺院として栄えた。度重なる火災や応仁の乱、元治元年(1864)の兵火により主要伽藍は失われたが、夢窓疎石が作庭した曹源池庭園は創建当初の面影を伝えている。曹源池庭園は、嵐山や亀山を借景に取り込んだ池泉回遊式庭園で、国の史跡・特別名勝に指定されている。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。現在は大方丈、庫裏、法堂、多宝殿、百花苑、法堂天井の雲龍図などが見どころとなり、嵐山観光の中心的な寺院となっている。

天龍寺の特長
目的 後醍醐天皇の菩提を弔うための寺院、室町幕府による禅宗保護、臨済宗天龍寺派の本山、禅の修行道場、曹源池庭園を中心とする禅宗庭園の継承、京都五山第一位としての格式、世界文化遺産としての保存と公開
特長 天龍寺、霊亀山天龍資聖禅寺、臨済宗天龍寺派、足利尊氏、夢窓疎石、後醍醐天皇、光厳上皇、足利直義、天龍寺船、京都五山第一位、嵯峨嵐山、亀山殿、檀林寺、曹源池庭園、池泉回遊式庭園、借景庭園、龍門瀑、鯉魚石、大方丈、庫裏、法堂、雲龍図、加山又造、多宝殿、百花苑、精進料理篩月、世界文化遺産
他の寺院との違い ・後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が創建した室町幕府ゆかりの禅寺である
・京都五山第一位に列せられ、室町時代の禅宗寺院の格式を象徴する存在である
・曹源池庭園は夢窓疎石の作庭とされ、嵐山と亀山を借景に取り込む大きな構成を持つ
・度重なる火災や兵火で伽藍の多くを失いながら、庭園は創建当初の面影を伝えている
・嵐山、渡月橋、竹林の道、亀山公園とあわせて巡ることで、天龍寺がかつて広大な境内を持つ嵯峨嵐山の中心的寺院であったことを理解しやすい
天龍寺DATA
別称 嵯峨天龍寺、天龍資聖禅寺、京都五山第一位の寺
正式名称 霊亀山天龍資聖禅寺
所在地 京都府京都市右京区
創建 暦応2年(1339)。足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として創建した
落慶 康永4年(1345)
開基 足利尊氏
開山 夢窓疎石
宗派 臨済宗天龍寺派
寺格 臨済宗天龍寺派大本山、京都五山第一位
山号 霊亀山
本尊 釈迦如来
主な関係者 足利尊氏、夢窓疎石、後醍醐天皇、光厳上皇、足利直義、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光、加山又造
主な建築 大方丈、小方丈、庫裏、法堂、多宝殿、祥雲閣、甘雨亭、龍門亭、精耕館
主な見どころ 曹源池庭園、大方丈、庫裏、法堂の雲龍図、多宝殿、百花苑、龍門瀑、鯉魚石、嵐山の借景、精進料理篩月
文化財指定 曹源池庭園は国の史跡・特別名勝。天龍寺は平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
電話番号 075-881-1235
参拝時間 庭園は8時30分~17時、受付終了16時50分
諸堂参拝時間 大方丈・書院・多宝殿は8時30分~16時45分、受付終了16時30分。行事等により参拝できない日あり
法堂「雲龍図」公開 9時~16時30分、受付終了16時20分。原則として土曜日・日曜日・祝日の公開で、春夏秋の特別参拝期間は毎日公開
休館日 庭園参拝はなし。諸堂・法堂は行事や特別公開日程により休止の場合あり
拝観料 庭園は高校生以上500円、小中学生300円、未就学児無料。諸堂は庭園参拝料に300円追加。法堂「雲龍図」は別途500円
備考 天龍寺は、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建した禅寺である。造営費用をまかなうため、足利直義と夢窓疎石は元との貿易を再開し、その船は「天龍寺船」と呼ばれた。落慶後、天龍寺は京都五山第一位となり、室町幕府の保護を受けて繁栄した。大きな火災や兵火により伽藍は何度も焼失したが、曹源池庭園は夢窓疎石作庭当時の面影を残す庭園として高く評価されている。法堂の天井には、平成9年(1997)に加山又造が描いた八方睨みの雲龍図がある。北門を出ると竹林の道、大河内山荘、常寂光寺方面へつながり、渡月橋や嵐山公園とあわせて巡りやすい。
天龍寺への交通アクセス
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅徒歩約13分。

HISTORY 天龍寺について

天龍寺の歴史
平安時代 この地には、嵯峨天皇の皇后である橘嘉智子、檀林皇后が開いた禅寺・檀林寺があった
鎌倉時代 檀林寺の廃絶後、後嵯峨上皇がこの地に仙洞御所を造営し、のちに亀山上皇が離宮として亀山殿を営む
1339年 暦応2年、後醍醐天皇が吉野で崩御する
1339年 足利尊氏が、後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として天龍寺を創建する
創建時 足利尊氏や光厳上皇が荘園を寄進するが、造営費が不足したため、足利直義と夢窓疎石は元との貿易再開を計画する
1342年 康永元年、天龍寺造営費を得るための貿易船、いわゆる天龍寺船が元へ派遣される
1345年 康永4年、天龍寺が落慶する。南禅寺を五山の上とし、天龍寺は京都五山第一位に列せられる
1346年 貞和2年、夢窓疎石が天龍寺十境を選び、境内と嵐山周辺の景観を禅の名勝として位置づける
1351年 観応2年、開山の夢窓疎石が示寂する
1358年 延文3年、天龍寺が火災に遭う
1367年 貞治6年、天龍寺が再び火災に遭う
1373年 応安6年、火災により伽藍が被害を受ける
1380年 康暦2年、火災により伽藍が被害を受ける
室町時代前期 天龍寺は京都五山第一位の禅寺として、足利将軍家の保護を受けて大きな寺勢を保つ
1447年 文安4年、火災により大きな被害を受ける
1468年 応仁2年、応仁の乱の兵火により伽藍が大きな被害を受ける
戦国時代 文安の火災と応仁の乱の被害により、天龍寺は長く復興が進まない時期を迎える
1585年 天正13年、豊臣秀吉の寄進を受け、天龍寺の復興が進み始める
安土桃山時代 豊臣秀吉の朱印を受け、天龍寺は寺領を確保し、再興へ向かう
江戸時代 徳川幕府の時代にも、天龍寺は臨済宗の大寺院として存続する
1815年 文化12年、火災により伽藍が被害を受ける
1864年 元治元年、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火により伽藍が焼失する
明治初年 上地令により、嵐山や亀山、嵯峨の平坦部を含む広大な境内地の多くを失い、現在の境内は往時の規模より大幅に縮小する
1876年 明治9年、天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山となる
1899年 明治32年、法堂、大方丈、庫裏が完成し、近代の復興が進む
1923年 大正12年、曹源池庭園が国の史跡に指定される
1924年 大正13年、小方丈、すなわち書院が再建される
1934年 昭和9年、多宝殿が再建される。あわせて茶席の祥雲閣、甘雨亭も整えられる
1935年 昭和10年、元寇600年記念として多宝殿の奥殿や廊下などが建立され、現在に近い寺観が整う
1955年 昭和30年、曹源池庭園が国の特別名勝に指定される
1957年 昭和32年、物外道人により大方丈の襖絵「雲龍図」が描かれる
1983年 昭和58年、曹源池庭園の護岸石組の修復工事が行われる
1983年 昭和58年、百花苑が整備され、北門から竹林の道へ抜ける参拝動線が整えられる
1994年 平成6年、天龍寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
1997年 平成9年、法堂移築100年、夢窓国師650年遠諱記念事業として、加山又造により法堂天井に雲龍図が描かれる
2000年 平成12年、夢窓国師650年遠諱記念事業として龍門亭が再現される
現在 天龍寺は、臨済宗天龍寺派の大本山、京都五山第一位の禅寺、世界文化遺産として、曹源池庭園、法堂の雲龍図、大方丈、嵐山の借景を目当てに多くの参拝者を迎えている