西芳寺京都府京都市

春の西芳寺1 春の西芳寺2 春の西芳寺3 春の西芳寺4
  • 天平3年(731)に行基が法相宗「西方寺」として開いたと伝わる洛西の古刹
  • 暦応2年(1339)に夢窓疎石が禅寺として再興し、庭園の原型を整えた寺院
  • 約120種の苔に覆われた庭園、黄金池、湘南亭で知られる世界文化遺産

西芳寺とは、京都府京都市西京区松尾神ヶ谷町にある臨済宗系の寺院である。洪隠山西芳寺と号し、境内を苔が覆うことから「苔寺」の名で広く知られている。寺の起源は奈良時代にさかのぼり、天平3年(731)、聖武天皇の詔により行基菩薩が法相宗の寺として「西方寺」を開いたことに始まると伝わる。その後、平安時代には弘法大師空海が入山し、境内の黄金池で放生会を行ったとされる。鎌倉時代には法然上人により浄土宗の寺となったが、荒廃と再興を繰り返した。大きな転機となったのは暦応2年(1339)である。松尾大社の宮司・藤原親秀の招請により、夢窓疎石、夢窓国師が入寺し、禅寺として再興した。この時、寺名は「西方寺」から同じ音を持つ「西芳寺」へ改められた。夢窓疎石は、池泉回遊式庭園と枯山水を組み合わせた革新的な庭園を整え、西芳寺の庭はのちの金閣寺庭園、銀閣寺庭園にも影響を与えたとされる。応仁・文明の乱や洪水により建物の多くは失われたが、庭園の地割や石組は残り、長い年月の中で苔に覆われて現在の姿となった。現在は、事前申込制による少人数参拝を行い、本堂で写経・参拝をした後、静かな苔庭を巡る寺として知られている。

西芳寺の特長
目的 阿弥陀如来への信仰、禅の修行と写経、庭園を通じた自己との対話、世界文化遺産としての庭園保存、苔庭の景観保全、夢窓疎石ゆかりの禅宗庭園の継承
特長 西芳寺、苔寺、洪隠山、西方寺、行基菩薩、聖武天皇、弘法大師空海、法然上人、夢窓疎石、夢窓国師、藤原親秀、足利義満、足利義政、千少庵、岩倉具視、黄金池、心字池、池泉回遊式庭園、枯山水庭園、湘南亭、少庵堂、潭北亭、西来堂、夕日の清水、朝日の清水、苔庭、世界文化遺産
他の寺院との違い ・約120種の苔が境内を覆い、「苔寺」として知られる寺院である
・庭園は下段の池泉回遊式庭園と上段の枯山水庭園からなる二段構成である
・夢窓疎石が整えた庭園は、金閣寺や銀閣寺など後世の庭園に影響を与えたとされる
・一般的な自由拝観ではなく、前日までの事前申込制による少人数参拝を行っている
・本堂で写経・参拝を行った後に庭園を巡るため、観光地というよりも静かな参拝体験として訪れる寺院である
西芳寺DATA
別称 苔寺、西芳寺、苔の寺
正式名称 洪隠山西芳寺
所在地 京都府京都市西京区
創建 天平3年(731)。聖武天皇の詔により、行基菩薩が法相宗の寺「西方寺」として開いたと伝わる
中興 暦応2年(1339)。夢窓疎石が禅寺として再興し、寺名を西芳寺へ改めた
開山 行基菩薩
中興開山 夢窓疎石、夢窓国師
宗派 臨済宗系の寺院。歴史的には法相宗、浄土宗を経て、夢窓疎石により臨済宗の禅寺となった
山号 洪隠山
本尊 阿弥陀如来。行基菩薩ゆかりの阿弥陀三尊像を本尊とする
主な関係者 聖武天皇、行基菩薩、弘法大師空海、法然上人、親鸞聖人、北条時頼、藤原親秀、夢窓疎石、足利義満、足利義政、千少庵、岩倉具視、堂本印象
主な建築 本堂、西来堂、湘南亭、少庵堂、潭北亭、観音堂、衆妙門
主な見どころ 苔庭、黄金池、池泉回遊式庭園、枯山水庭園、湘南亭、少庵堂、潭北亭、本堂の堂本印象筆襖絵、夕日の清水、朝日の清水
文化財指定 西芳寺庭園は国の史跡・特別名勝。湘南亭は国指定重要文化財。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 京都府京都市西京区松尾神ヶ谷町56
電話番号 075-391-3631
参拝時間 事前申込時に指定された日時に参拝。基本の「日々参拝」は本堂で写経・参拝の後、庭園を拝観する形式
申込方法 オンラインまたは往復はがきによる事前申込制。オンライン申込は2か月前から前日23時59分まで受付
参拝冥加料 日々参拝のオンライン申込は4,000円以上。別途システム利用料が必要
参拝対象 通常の日々参拝は参拝日時点で13歳以上。年に数回、子ども向けの参拝企画が行われる場合あり
休館日 参拝枠の設定による。通常の自由拝観は行っていないため、必ず事前申込が必要
アクセス 京都バス「苔寺・すず虫寺」下車、徒歩約3分。阪急嵐山線松尾大社駅から徒歩圏内
備考 西芳寺は、約120種の苔に覆われた庭園で知られる寺院である。庭園は上下二段に分かれ、下段は黄金池を中心とする池泉回遊式庭園、上段は夢窓疎石が築いた枯山水庭園である。上段の枯山水は通常非公開である。黄金池は「心」の字を象る池とされ、朝日ヶ島、夕日ヶ島が浮かぶ。湘南亭は桃山時代に千少庵により建立された茶室で、岩倉具視が幕府から逃れる際に隠れた場所とも伝わる。昭和44年(1969)に再建された本堂・西来堂には、堂本印象による抽象的な襖絵が描かれている。昭和52年(1977)から、寺の静寂と苔庭を守るため事前申込制による少人数参拝を行っている。近くには鈴虫寺、地蔵院、松尾大社があり、松尾・洛西エリアの寺社めぐりとあわせて訪れやすい。
西芳寺への交通アクセス
阪急嵐山線「上桂」駅から徒歩約19分。

HISTORY 西芳寺について

西芳寺の歴史
古代 西芳寺のある松尾・西山の地には、古代に秦氏が関わったとされ、周辺には古墳も点在する
伝承時代 現在の西芳寺周辺には、聖徳太子の別荘があったと伝えられる
731年 天平3年、聖武天皇の詔により、行基菩薩が法相宗の寺として「西方寺」を開いたと伝わる
奈良時代 行基菩薩は自作の阿弥陀三尊像を刻み、阿弥陀如来を中心に観音菩薩、勢至菩薩を脇侍として祀ったとされる
平安時代 弘法大師空海が西方寺に入山し、境内の黄金池で放生会を行ったと伝わる
平安時代 西方寺は、阿弥陀如来への信仰と水辺の霊地としての性格を持つ寺院として続く
1190年~1199年 建久年間、摂津守中原師員が荒廃した寺を修復し、西方寺と穢土寺に分け、法然上人を迎えたとされる
鎌倉時代初期 法然上人により、西方寺は浄土宗の寺院となる
鎌倉時代 親鸞聖人も西方寺にとどまり、愚禿堂を建立したと伝わる
1257年~1259年 正嘉年間、鎌倉幕府執権・北条時頼が桜堂を築いたとされ、寺運は一時大いに栄える
鎌倉時代後期 中原師員の没後、西方寺は再び荒廃する
1339年 暦応2年、松尾大社の宮司・藤原親秀の招請により、夢窓疎石が入寺し、禅寺として再興する
1339年 夢窓疎石は、寺名を「西方寺」から同じ音を持つ「西芳寺」へ改める
室町時代前期 夢窓疎石は仏殿を「西来堂」と名付け、庭園の大規模な修復と作庭を行う
室町時代前期 西芳寺庭園は、下段の池泉回遊式庭園と上段の枯山水庭園を持つ革新的な庭園として整えられる
室町時代 足利義満や足利義政が西芳寺を訪れ、坐禅に励んだとされる
室町時代 西芳寺の庭園は、のちの金閣寺庭園や銀閣寺庭園の原型になったといわれる
1469年 文明元年、応仁・文明の乱の兵火により、西芳寺の建物は焼失する
1485年 文明17年、洪水により西芳寺は大きな被害を受ける。本願寺の蓮如上人の援助により再建されたと伝わる
戦国時代 丹波の柳本勢による放火で再び焼失したとされるが、織田信長が天龍寺の策彦周良に命じて殿舎を再興させたと伝わる
桃山時代 茶人・千少庵により湘南亭が建立されたとされる。湘南亭は現在、国指定重要文化財である
江戸時代 西芳寺川の氾濫により、たびたび洪水の被害を受ける
江戸時代 建物の多くを失い、荒廃が進む一方で、庭園には苔が広がり始める
幕末 湘南亭は、岩倉具視が幕府から逃れる際に隠れた場所とも伝わる
明治時代 廃仏毀釈や寺地縮小の影響を受け、西芳寺は厳しい時代を迎える
1923年 大正12年、西芳寺庭園が国の史跡および名勝に指定される
1928年 昭和3年、阪急嵐山線の開通と同じ頃、西芳寺庭園の一般公開が始まる
1950年 昭和25年、大佛次郎の小説『帰郷』が映画化され、苔に覆われた庭園の美しさが広く知られるようになる
1952年 昭和27年、西芳寺庭園が国の特別名勝に指定される
戦後 庭園ブームの中で西芳寺は多くの参拝者を集め、「苔寺」の名が定着していく
1969年 昭和44年、応仁・文明の乱で焼失した本堂・西来堂が約500年ぶりに再建される
1969年 本堂内部には、堂本印象による104面の抽象的な襖絵が描かれる
1977年 昭和52年、境内の静寂と苔庭を守るため、往復はがきによる事前申込制の少人数参拝が始まる
1994年 平成6年、西芳寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
現代 オンライン申込が導入され、日々参拝では本堂で写経・参拝した後、庭園を拝観する形式が続けられている
2031年 西芳寺は開山1300年の節目を迎える
現在 西芳寺は、夢窓疎石ゆかりの庭園、約120種の苔に覆われた苔寺、世界文化遺産として、静かな事前申込制の参拝を受け入れている