龍安寺京都府京都市

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  • 宝徳2年(1450)に細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受けて創建した禅寺
  • 白砂に15個の石を配した方丈庭園で知られる臨済宗妙心寺派の寺院
  • 石庭、鏡容池、吾唯足知の蹲踞で知られる世界文化遺産

龍安寺とは、京都府京都市右京区龍安寺御陵下町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は大雲山で、本尊は釈迦如来である。宝徳2年(1450)、室町幕府の有力守護大名であった細川勝元が、徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺第五世・義天玄承を招いて禅寺としたことに始まる。義天玄承は、その師である日峰宗舜を開山とし、自らは創建開山となった。応仁の乱では境内が焼失したが、勝元の子・細川政元により再興され、明応8年(1499)には方丈が建立されたとされる。龍安寺を最も有名にしているのが、方丈の南側に広がる枯山水庭園である。築地塀に囲まれた白砂の矩形空間に、大小15個の石を5群に分けて配した庭で、「虎の子渡しの庭」とも呼ばれる。作者や作庭意図には諸説があり、見る人によって解釈が変わる余白こそが魅力となっている。境内には、石庭のほか、鏡容池を中心とする池泉庭園、茶室蔵六庵、豊臣秀吉が賞賛したと伝わる侘助椿、禅の教えを象徴する「吾唯足知」の蹲踞などがある。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。

龍安寺の特長
目的 禅の修行道場、細川氏ゆかりの菩提寺、枯山水庭園による禅的空間の表現、釈迦如来への信仰、世界文化遺産としての庭園・建築保存、静寂の中で自己と向き合う参拝
特長 龍安寺、大雲山、臨済宗妙心寺派、細川勝元、義天玄承、日峰宗舜、細川政元、徳大寺家別荘、方丈庭園、石庭、虎の子渡しの庭、枯山水、白砂、15個の石、鏡容池、龍安寺庭園、方丈、吾唯足知、蹲踞、侘助椿、蔵六庵、西源院、世界文化遺産
他の寺院との違い ・方丈庭園は、白砂と15個の石だけで構成された、きわめて抽象性の高い枯山水庭園である
・庭の作者、作庭意図、石の配置の意味が明確に定まっておらず、見る人の解釈に委ねられている
・方丈庭園の静的な石庭と、鏡容池を中心とする池泉庭園の対比を楽しめる
・「吾唯足知」の蹲踞により、禅の思想を短い言葉と造形で体感できる
・金閣寺、仁和寺、妙心寺、等持院とあわせて巡ると、衣笠・御室周辺の室町文化と禅宗寺院の広がりを理解しやすい
龍安寺DATA
別称 石庭の寺、虎の子渡しの庭の寺
正式名称 大雲山龍安寺
所在地 京都府京都市右京区
創建 宝徳2年(1450)。細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺第五世・義天玄承を招いて禅寺とした
開基 細川勝元
開山 日峰宗舜。義天玄承は創建開山とされる
宗派 臨済宗妙心寺派
山号 大雲山
本尊 釈迦如来
主な関係者 細川勝元、義天玄承、日峰宗舜、細川政元、豊臣秀吉、徳川氏、エリザベス2世
主な建築 方丈、庫裏、山門、勅使門、茶室蔵六庵、西源院
主な見どころ 方丈庭園、石庭、鏡容池、龍安寺庭園、吾唯足知の蹲踞、侘助椿、龍安寺垣、蔵六庵、方丈襖絵、桜、睡蓮、紅葉
文化財指定 方丈庭園は国の史跡・特別名勝。鏡容池を中心とする龍安寺庭園は国の名勝。方丈は国指定重要文化財。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
電話番号 075-463-2216
拝観時間 3月1日~11月30日は8時~17時。12月1日~2月末日は8時30分~16時30分
御朱印受付 9時~16時。都合により時間が前後する場合あり
休館日 無休。行事、法要、工事等により拝観内容が変更される場合あり
拝観料 大人600円、高校生500円、小中学生300円
アクセス 京福電鉄北野線「龍安寺」駅から徒歩約7分。市バス・JRバス「龍安寺前」下車すぐ。市バス「立命館大学前」から徒歩約7分
備考 龍安寺は、細川勝元が徳大寺家の別荘跡に創建した禅寺である。方丈庭園は、幅約25m、奥行約10mの空間に白砂を敷き、15個の石を5群に分けて配した枯山水庭園である。石庭は一度に15個すべての石が見えないともいわれ、禅的な余白と解釈の広さを持つ。現在の方丈は寛政9年(1797)の火災後、西源院方丈を移築したものである。鏡容池は徳大寺家の別荘時代の名残を伝える池で、かつては石庭よりも池泉庭園の方が名所として知られていた。昭和50年(1975)には英国のエリザベス2世が訪れたことで、石庭は海外でも広く知られるようになった。龍安寺は、金閣寺、仁和寺、妙心寺、等持院と近く、衣笠・御室エリアの寺院めぐりに組み込みやすい。
龍安寺への交通アクセス
JR「京都」駅からバス「立命館大学前」下車、徒歩約7分。

HISTORY 龍安寺について

龍安寺の歴史
平安時代 現在の龍安寺の地は、貴族・徳大寺家の別荘地として用いられていた
1450年 宝徳2年、細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺第五世・義天玄承を招いて禅寺とする
1450年 義天玄承は、その師である日峰宗舜を開山とし、自らは創建開山となる
室町時代中期 龍安寺は細川氏ゆかりの禅寺として整えられ、妙心寺派の寺院として寺勢を持つ
1467年 応仁元年、応仁の乱が始まる。開基の細川勝元は東軍の中心人物となる
応仁の乱期 龍安寺は戦乱により焼失する
1473年 文明5年、細川勝元が死去する
1488年 長享2年、細川勝元の子・細川政元により龍安寺が再興される
1499年 明応8年、方丈が建立されたとされる。この頃、石庭の原型が整えられたとも伝わる
室町時代後期 方丈南庭に白砂と石組による枯山水庭園が築かれたと考えられている
戦国時代 龍安寺には名僧が相次いで住し、細川氏ゆかりの禅寺として寺運を保つ
安土桃山時代 豊臣秀吉が龍安寺を訪れ、方丈東庭の侘助椿を賞賛したと伝わる
江戸時代前期 徳川氏から寺領の寄進を受け、龍安寺は塔頭を持つ寺院として栄える
江戸時代 最盛期には塔頭が二十三を数えたとされ、寺域も広がっていた
1606年 慶長11年、のちに龍安寺方丈となる西源院方丈が建立される
江戸時代中期 鏡容池を中心とする池泉庭園が名所として知られ、参詣者を集める
1797年 寛政9年、火災により方丈などが焼失する
1797年以後 西源院方丈が移築され、現在の龍安寺方丈となる
江戸時代後期 龍安寺は再建されるが、盛時の大きな寺観までは復興しなかった
明治時代 近代の文化財保護制度の中で、方丈庭園や方丈の価値が評価されるようになる
1924年 大正13年、龍安寺方丈庭園が国の史跡・名勝に指定される
1954年 昭和29年、龍安寺方丈庭園が国の特別名勝に指定される
1975年 昭和50年、英国のエリザベス2世が龍安寺を訪れ、石庭を鑑賞する。これを契機に石庭は海外でも広く知られるようになる
1976年 昭和51年、豪雨により方丈庭園の築地塀の一部が崩壊する
1977年 昭和52年、築地塀の発掘調査と修理が行われ、屋根は瓦葺から柿葺へ復原的に変更される
1994年 平成6年、龍安寺が「古都京都の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
現代 方丈庭園は、世界的に知られる枯山水庭園として、多くの研究者や参拝者の関心を集める
現在 龍安寺は、臨済宗妙心寺派の寺院、石庭を代表する世界文化遺産として、国内外から多くの参拝者を迎えている