伏見稲荷大社京都府京都市

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秋の伏見稲荷大社1 秋の伏見稲荷大社2 秋の伏見稲荷大社3 秋の伏見稲荷大社4
  • 和銅4年(711)に稲荷大神が稲荷山三ヶ峰に御鎮座したと伝わる古社
  • 全国約3万社の稲荷神社の総本宮として信仰を集める神社
  • 千本鳥居、稲荷山のお山めぐり、商売繁昌・五穀豊穣の信仰で知られる京都屈指の名社

伏見稲荷大社とは、京都府京都市伏見区深草薮之内町にある神社である。全国約3万社にのぼる稲荷神社の総本宮であり、古くから「おいなりさん」として親しまれてきた。社伝では、和銅4年(711)2月初午の日、深草の長者・伊呂具秦公が勅命を受け、稲荷大神を山城国紀伊郡の稲荷山三ヶ峰に祀ったことに始まるとされる。稲荷という名は「稲成り」、すなわち稲が実ることに由来するとされ、当初は五穀豊穣の神として信仰された。その後、時代とともに商売繁昌、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達、諸願成就の神として広く崇敬されるようになった。伏見稲荷大社の信仰の原点は稲荷山にあり、山中には一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰、間ノ峰、御劔社、御膳谷奉拝所などの神蹟や、多数のお塚が点在している。本殿の背後から続く千本鳥居は、崇敬者が祈りと感謝を鳥居奉納によって表した信仰の形で、江戸時代から続く稲荷信仰を象徴する景観である。

伏見稲荷大社の特長
目的 稲荷大神への信仰、五穀豊穣、商売繁昌、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達、開運招福、諸願成就、稲荷山の神蹟巡拝、鳥居奉納による祈願と感謝
特長 伏見稲荷大社、稲荷大神、おいなりさん、稲荷神社総本宮、稲荷山、和銅4年、初午、秦伊呂具、秦氏、宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神、本殿、楼門、千本鳥居、奥社奉拝所、おもかる石、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰、御膳谷奉拝所、お塚信仰、稲荷塗、朱の鳥居
他の神社との違い ・全国に広がる稲荷神社の総本宮であり、稲荷信仰の原点となる神社である
・社殿だけでなく、稲荷山そのものが信仰の中心であり、神蹟を巡る「お山めぐり」ができる
・千本鳥居は、崇敬者が願いと感謝を込めて奉納した鳥居が連なる、信仰そのものが景観化した参道である
・五穀豊穣の神から、商売繁昌、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達へと、時代に応じて信仰が広がった
・JR稲荷駅の目の前にありながら、奥へ進むほど山岳信仰の場へと変わる、都市近郊型の大規模な信仰空間である
伏見稲荷大社DATA
別称 おいなりさん、稲荷神社総本宮、伏見稲荷
所在地 京都府京都市伏見区
創建 和銅4年(711)。2月初午の日、深草の長者・伊呂具秦公が勅命を受け、稲荷大神を稲荷山三ヶ峰に祀ったことに始まると伝わる
創建者 秦伊呂具、または伊呂具秦公と伝わる
祭神 宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神。これら五柱を総称して稲荷大神とする
社格 延喜式名神大社、二十二社、旧官幣大社
主な社殿 本殿、楼門、外拝殿、内拝殿、奥社奉拝所、御膳谷奉拝所
主な見どころ 楼門、本殿、千本鳥居、奥社奉拝所、おもかる石、熊鷹社、一ノ峰、二ノ峰、間ノ峰、三ノ峰、御劔社、御膳谷奉拝所、荒神峰、お塚、稲荷山
文化財指定 本殿、権殿、楼門、外拝殿、南北廻廊、奥宮、白狐社、御茶屋などが国指定重要文化財
住所 京都府京都市伏見区深草薮之内町68
電話番号 075-641-7331
参拝時間 境内参拝自由。夜間も参拝可能だが、稲荷山を巡拝する場合は足元や安全に注意が必要
御祈祷受付 ご祈祷は8時30分~16時30分。受付は16時頃まで。正月期間や祭典時は変更の場合あり
社務所受付 問い合わせ受付は9時~16時
休館日 なし
拝観料 境内参拝無料
アクセス JR奈良線稲荷駅下車すぐ。京阪本線伏見稲荷駅から徒歩約5分。市バス「稲荷大社前」から徒歩約7分
備考 伏見稲荷大社は、稲荷大神が稲荷山に御鎮座したことに始まる稲荷信仰の総本宮である。本殿は明応8年(1499)に再興された重要文化財で、五社相殿に五柱の神々を祀る。楼門は天正17年(1589)に豊臣秀吉の造営とされ、神社の楼門としては大規模な建築である。千本鳥居は、崇敬者が願いと感謝を込めて奉納した朱の鳥居が連なる参道で、江戸時代から続く鳥居奉納の信仰によって形づくられた。稲荷山は標高233mの霊峰で、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰をはじめとする神蹟を巡る「お山めぐり」ができる。全体を巡る場合は時間と体力が必要なため、本殿、千本鳥居、奥社奉拝所までの参拝と、稲荷山全体を巡る参拝は分けて考えるとよい。
伏見稲荷大社への交通アクセス
JR奈良線「稲荷」駅から徒歩約1分。

HISTORY 伏見稲荷大社について

伏見稲荷大社の歴史
古代以前 深草の里は早くから開かれた土地で、渡来系氏族である秦氏と深い関わりを持つ地域であった
711年 和銅4年2月初午の日、稲荷大神が山城国紀伊郡の稲荷山三ヶ峰に御鎮座したと伝わる
711年 社伝では、深草の長者・伊呂具秦公が勅命を受け、三柱の神を稲荷山三ヶ峰に祀ったことに始まるとされる
奈良時代 稲荷大神は、稲の実りや五穀豊穣をもたらす神として信仰される
827年 天長4年、東寺の塔造営の用材として稲荷山の御神木を伐った祟りにより病が起こったとされ、稲荷神に従五位下が授けられる
908年 延喜8年、藤原時平が稲荷社三箇社を修造する
927年 延長5年、『延喜式』神名帳に山城国紀伊郡稲荷神社三座、名神大社として記載される
942年 天慶5年、稲荷神が正一位に累進する
平安時代 稲荷山は都の人々にとって身近な信仰の山となり、初午の日の稲荷詣が広がる
1000年 長保2年、清少納言の『枕草子』に、二月初午の日に稲荷山へ参詣したことが記される
平安時代後期 稲荷信仰は宮廷や貴族だけでなく、庶民の信仰としても広がっていく
鎌倉時代 稲荷社は、五穀豊穣に加え、家業繁栄や生活守護の神として信仰を集める
1336年 延元元年、後醍醐天皇が神器を奉じて吉野へ向かう際、稲荷社前で和歌を詠んだと伝わる
室町時代 稲荷信仰は商業や都市生活の発展と結びつき、さらに広がる
1467年 応仁元年、応仁の乱が起こる
1468年 応仁2年、兵火により稲荷社の山上・山下の社殿、堂塔が焼失する
1499年 明応8年、応仁の乱で焼失した社殿が再興される。現在の本殿はこの再興に由来する
戦国時代 稲荷社は武家や町衆からも信仰を集め、京都の重要な信仰拠点として復興していく
1589年 天正17年、豊臣秀吉の寄進により楼門が造営されたと伝わる
江戸時代 商業の発展とともに、稲荷信仰は商売繁昌の神として全国に広がる
江戸時代 崇敬者が祈りと感謝を込めて鳥居を奉納する信仰が盛んになり、奥社参道に朱の鳥居が連なる千本鳥居の景観が形づくられていく
江戸時代 稲荷山には、個々の信仰者が神名を刻んだ石を奉納するお塚信仰が広がる
1694年 元禄7年、社殿の修復が行われる
明治時代 神仏分離により神社としての形が整えられ、近代社格制度のもとで整備が進む
1871年 明治4年、官幣大社に列せられる
1877年 明治10年頃、稲荷山の神蹟改修を契機として、お塚信仰がさらに広がる
1909年 明治42年、本殿が国宝保存法により国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1946年 昭和21年、宗教法人伏見稲荷大社の登記を完了する
1961年 昭和36年、御鎮座1250年奉祝大祭が斎行される
1975年 昭和50年、奥社奉拝所の社殿が後方へ移され、前に拝所が設けられる
1999年 平成11年、明応度御本殿造営500年記念大祭が斎行される
2011年 平成23年、御鎮座1300年奉祝大祭が斎行される
現在 伏見稲荷大社は、稲荷神社の総本宮、千本鳥居と稲荷山のお山めぐりで知られる京都を代表する神社として、国内外から多くの参拝者を迎えている