浅草寺東京都台東区

冬の浅草寺1 冬の浅草寺2 冬の浅草寺3 冬の浅草寺4 冬の浅草寺5
  • 推古天皇36年(628)に始まる、東京都内最古級の観音霊場
  • 聖観世音菩薩を本尊とする、浅草を代表する聖観音宗の本山
  • 雷門、仲見世、宝蔵門、本堂、五重塔が連なる江戸・東京屈指の名所

浅草寺とは、東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院である。山号は金龍山で、「浅草観音」として広く親しまれている。寺伝では、推古天皇36年(628)3月18日、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦、現在の隅田川で漁をしていたところ、投網の中から一体の聖観世音菩薩像を感得したことに始まる。土地の長であった土師中知は、この像が観音菩薩であることを知り、自宅を寺に改めて礼拝供養したとされる。その後、大化元年(645)に勝海上人が観音堂を建立し、夢告により本尊を秘仏と定めた。平安時代には慈覚大師円仁が来山し、御前立本尊を刻んだと伝わる。中世には源頼朝、足利尊氏、北条氏綱ら武将の信仰を集め、江戸時代には徳川家康により幕府の祈願所とされた。現在の浅草寺は、雷門から仲見世、宝蔵門、本堂へと続く参道を中心に、浅草神社、五重塔、二天門、伝法院などを含む広い境内を持ち、信仰、観光、門前町文化が一体となった東京を代表する寺院である。

浅草寺の特長
目的 聖観世音菩薩への信仰、観音霊場としての参拝、江戸・東京の庶民信仰の中心、徳川幕府の祈願所、坂東三十三観音札所第十三番、江戸三十三観音札所第一番、浅草門前町文化の中心
特長 浅草寺、金龍山、浅草観音、聖観音宗、聖観世音菩薩、檜前浜成、檜前竹成、土師中知、勝海上人、慈覚大師円仁、源頼朝、足利尊氏、北条氏綱、徳川家康、天海、雷門、仲見世、宝蔵門、本堂、五重塔、浅草神社、三社祭、四万六千日、ほおずき市、羽子板市、伝法院、二天門、東京大空襲、戦後復興
他の寺院との違い ・推古天皇36年(628)に始まると伝わる、東京を代表する古寺である
・本尊の聖観世音菩薩は秘仏とされ、現在も直接拝観することはできない
・雷門、仲見世、宝蔵門、本堂へと続く参道空間が、信仰と観光を一体化している
・江戸時代には徳川幕府の祈願所となり、浅草は参詣、行楽、興行が集まる庶民文化の中心地となった
・東京大空襲で本堂などを焼失したが、戦後に本堂、雷門、宝蔵門、五重塔が再建され、現在の浅草の象徴となっている
浅草寺DATA
別称 浅草観音、金龍山浅草寺
所在地 東京都台東区
創建 推古天皇36年(628)。檜前浜成・竹成兄弟が隅田川で聖観世音菩薩像を感得し、土師中知が私宅を寺に改めて奉安したことに始まると伝わる
観音堂建立 大化元年(645)。勝海上人が浅草の地を訪れ、観音堂を建立し、本尊を秘仏と定めたとされる
中興開山 慈覚大師円仁
宗派 聖観音宗
山号 金龍山
本尊 聖観世音菩薩
住所 東京都台東区浅草2-3-1
電話番号 03-3842-0181
参拝時間 本堂の開堂時間は6時~17時。10月~3月は6時30分開堂。その他の諸堂の開堂時間は要確認
休館日 なし
拝観料 無料
備考 浅草寺は、坂東三十三観音札所第十三番、江戸三十三観音札所第一番の観音霊場である。昭和25年(1950)より聖観音宗となり、その本山となった。雷門は浅草寺の総門で、雷門から仲見世、宝蔵門を経て本堂へ向かう参道が浅草観光の中心となっている。現在の本堂は昭和33年(1958)に再建されたもので、雷門は昭和35年(1960)、宝蔵門は昭和39年(1964)、五重塔は昭和48年(1973)に再建された。浅草神社は、観音像を感得した檜前浜成・竹成兄弟と、観音像を祀った土師中知を祀る神社で、三社祭で知られる。浅草寺、浅草神社、仲見世、伝法院、旧浅草六区をあわせて見ると、浅草の信仰と庶民文化の広がりを理解しやすい。
浅草寺への交通アクセス
各線「浅草」駅から徒歩約5分

HISTORY 浅草寺について

浅草寺の歴史
628年 推古天皇36年3月18日、檜前浜成・竹成兄弟が江戸浦、現在の隅田川で漁をしていた際、投網の中から一体の尊像を感得する
628年 土地の長であった土師中知が尊像を聖観世音菩薩であると知り、私宅を寺に改めて奉安供養したと伝わる
645年 大化元年、勝海上人が浅草の地を訪れ、観音堂を建立する。夢告に従い、本尊を秘仏と定めたとされる
857年 天安元年、慈覚大師円仁が来山し、聖観世音菩薩像を刻んで御前立本尊としたと伝わる
942年 天慶5年、武蔵守に任じられた平公雅が祈願成就の報謝として堂塔伽藍を再建し、田園を寄進する
1041年 長久2年、大地震により本堂や堂舎が倒壊する
1051年 永承6年、寂円上人の尽力により本堂が再建される
1070年 延久2年、源義家が奥州征討の途中に浅草寺で戦勝を祈願する
1079年 承暦3年、原因不明の火災により本堂が炎上する
1180年 治承4年、源頼朝が平氏追討の途中で浅草寺に参詣し、勝利を祈願する
1189年 文治5年、源頼朝が奥州藤原氏征討に際し、浅草寺へ田園を寄進したと伝わる
1192年 建久3年、『吾妻鏡』に浅草寺の僧侶が後白河法皇の四十九日忌の百僧供養に出仕したことが記される
鎌倉時代初期 坂東三十三観音札所が整えられ、浅草寺は第十三番霊場となる
1352年 観応3年、足利尊氏が浅草寺に参詣し、寺領を安堵する
1413年 応永20年、鎌倉公方・足利持氏が経蔵を再建して寄進する
1539年 天文8年、北条氏綱が浅草寺を祈願所とし、堂塔を再建する
1590年 天正18年、徳川家康が江戸に入府し、浅草寺を祈願所と定め、寺領500石を寄進する
1600年 慶長5年、徳川家康が関ヶ原の戦いを前に浅草寺で祈祷を行わせたとされる
1618年 元和4年、徳川秀忠が浅草寺境内に東照宮廟を建立する。浅野長晟が石橋を寄進する
1631年 寛永8年、浅草寺が火災により炎上する
1635年 寛永12年、本堂が再建される。この頃、小堀遠州が伝法院庭園を築いたとされる
1642年 寛永19年、門前町家の失火により浅草寺が類焼する
1649年 慶安2年、徳川家光の時代に浅草寺本堂と仁王門が再建される
1654年 承応3年、浅草寺が江戸で最初の寺院開帳を行う
1672年 寛文12年、霊元天皇より勅願所の綸旨を受ける
1685年 貞享2年、浅草寺は寛永寺の支配下に入り、幕末まで寛永寺との関係が続く
江戸時代 浅草寺は参詣、行楽、興行が集まる江戸有数の盛り場となり、奥山や門前町に庶民文化が花開く
1772年 明和9年、目黒行人坂からの大火により伝法院が焼失し、多くの古文書を失う
1827年 文政10年、本尊示現1200年を記念し、50日間の開帳が行われる
明治時代 明治維新後、浅草寺の寺領は公収され、境内地は公園に指定される。浅草六区などの近代的な盛り場が形成されていく
1911年 明治44年、本堂と五重塔が国宝建造物に指定される
1923年 大正12年、関東大震災が発生する。仲見世は焼失したが、主要堂宇は火難を免れ、境内には多くの避難者が集まった
1933年 昭和8年、本堂の修復が完成し、落慶開帳が行われる
1945年 昭和20年3月10日、東京大空襲により本堂、仁王門、五重塔、輪蔵などが焼失する。本尊は事前に地下へ避難され、焼失を免れた
1950年 昭和25年、浅草寺は天台宗から独立し、聖観音宗の本山となる
1958年 昭和33年、現在の本堂が再建される
1960年 昭和35年、雷門が再建される。慶応元年(1865)の焼失以来、95年ぶりの再建となる
1964年 昭和39年、宝蔵門が再建される
1973年 昭和48年、五重塔が再建される
2010年 平成22年、本堂の大営繕が完了する
2011年 平成23年、伝法院庭園が国の名勝に指定される
2015年 平成27年、伝法院の建造物6棟が重要文化財に指定される
現在 浅草寺は、浅草観音として信仰を集めるとともに、雷門、仲見世、宝蔵門、本堂、五重塔を中心とする東京屈指の名所として多くの参拝者を迎えている