赤堤六所神社とは、東京都世田谷区赤堤にある神社である。正式には六所神社で、赤堤の地名を冠して赤堤六所神社とも呼ばれる。天正12年(1584)12月、平貞盛の後裔とされる服部貞殷が、武蔵国府中の六所宮、現在の大國魂神社を勧請し、赤堤の鎮守として祀ったことに始まると伝わる。はじめは服部家の祈願所として奉斎されたが、地域の人々からも厚く崇敬され、やがて赤堤村の産土神となった。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にも、松原村との境にある六所宮として記され、村の鎮守であったことがうかがえる。祭神は、大己貴命、瓊々杵尊、素盞嗚命、大宮売命、伊弉冉命、布留大神とされ、六所の名にふさわしく複数の神々を祀る。現在は東急世田谷線松原駅から近い住宅地に鎮座し、例大祭や御朱印、地域行事を通じて、赤堤の歴史と信仰を伝えている。
| 目的 | 赤堤地域の総鎮守、服部家の祈願所、六所信仰、大國魂神社の分霊奉斎、地域守護、家内安全、厄除、商売繁盛、交通安全、初宮詣、七五三、地域祭礼の中心 |
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| 特長 | 赤堤六所神社、六所神社、六所明神、赤堤総鎮守、府中六所宮、大國魂神社、服部貞殷、服部家、平貞盛、赤堤村、産土神、大己貴命、瓊々杵尊、素盞嗚命、大宮売命、伊弉冉命、布留大神、旧村社、例大祭、御朱印、松原駅、豪徳寺駅、赤堤幼稚園 |
| 他の神社との違い | ・府中の六所宮、現在の大國魂神社を勧請したと伝わる、六所信仰の神社である ・服部家の祈願所として始まり、のちに赤堤村の産土神となった地域密着型の神社である ・世田谷区内の八幡社や天神社とは異なり、複数の神々を祀る「六所」の名を持つ点が特徴である ・住宅地の中にありながら、社叢と朱色の社殿が残り、赤堤の古い鎮守の雰囲気を感じられる ・松原駅、豪徳寺駅、山下駅から徒歩圏内にあり、豪徳寺、世田谷八幡宮、世田谷城跡、世田谷代官屋敷とあわせて巡りやすい |
| 別称 | 六所神社、六所明神、赤堤総鎮守 |
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| 所在地 | 東京都世田谷区 |
| 創建 | 天正12年(1584)12月。平貞盛の後裔とされる服部貞殷が、府中の六所宮、現在の大國魂神社を勧請し、赤堤の鎮守として奉斎したことに始まると伝わる |
| 創建者 | 服部貞殷 |
| 祭神 | 大己貴命、瓊々杵尊、素盞嗚命、大宮売命、伊弉冉命、布留大神 |
| 旧社格 | 村社 |
| 住所 | 東京都世田谷区赤堤2-25-2 |
| 電話番号 | 03-3321-5396 |
| 受付時間 | 9時~17時 |
| 休館日 | なし |
| 拝観料 | 無料 |
| 備考 | 赤堤六所神社は、赤堤地域の総鎮守として信仰を集める神社である。天明7年(1787)9月に社殿が再建され、明治7年(1874)には赤堤村社と定められた。江戸時代には、服部家の祈願所であるとともに、赤堤村の産土神として崇敬された。例祭日は9月23日で、前後の日程で宵宮や神輿渡御などが行われる。境内には社殿、神楽殿、境内社などがあり、地域では「六所さん」として親しまれている。最寄りは東急世田谷線松原駅で、豪徳寺駅や山下駅からも徒歩圏内である。 |
| 1584年 | 天正12年12月、平貞盛の後裔とされる服部貞殷が、府中の六所宮、現在の大國魂神社を勧請し、赤堤の鎮守として祀ったと伝わる |
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| 安土桃山時代 | 赤堤六所神社は、はじめ服部家の祈願所として奉斎されたとされる |
| 江戸時代前期 | 服部家だけでなく地域の人々からも崇敬されるようになり、赤堤村の産土神としての性格を強める |
| 江戸時代 | 六所明神、六所宮などと呼ばれ、赤堤村の鎮守として信仰を集める |
| 江戸時代 | 別当寺は西福寺であったとされ、神仏習合の形で地域の祭祀が行われる |
| 1787年 | 天明7年9月、社殿が再建される |
| 江戸時代後期 | 『新編武蔵風土記稿』に、松原村との境にある六所宮として記され、村の鎮守であったことがうかがえる |
| 1868年以降 | 明治維新後の神仏分離により、西福寺との別当関係が整理され、神社としての運営が整えられる |
| 1874年 | 明治7年、赤堤村社と定められる |
| 明治時代 | 赤堤村の鎮守として、地域の祭礼や人生儀礼を支える神社となる |
| 昭和時代 | 戦後の地域整備の中で、社殿や境内の整備が進められる |
| 1960年 | 昭和35年、鳥居の再建、参道や境内の整備が行われる |
| 1969年 | 昭和44年、御本殿の再建と神楽殿の新築が行われる |
| 1979年 | 昭和54年、社務所が再建される |
| 現在 | 赤堤六所神社は、赤堤地域の総鎮守として、例大祭、御朱印、地域行事などを通じて多くの参拝者を集めている |