上野東照宮東京都台東区

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  • 寛永4年(1627)に東叡山寛永寺の境内に創建された東照宮
  • 徳川家康公・徳川吉宗公・徳川慶喜公を祀る上野公園内の神社
  • 慶安4年(1651)造営の金色殿・唐門・透塀が残る国指定重要文化財

上野東照宮とは、東京都台東区上野公園にある神社である。東照宮とは、徳川家康公を神格化した東照大権現を祀る神社で、日光東照宮や久能山東照宮と同じく、徳川家ゆかりの信仰を伝えている。上野東照宮の始まりは、元和2年(1616)、危篤の徳川家康公が天海僧正と藤堂高虎に、三人一つ処に末永く魂鎮まる場所を作ってほしいと遺言したことにある。天海僧正は、藤堂高虎らの屋敷地であった現在の上野公園の地を拝領して東叡山寛永寺を開き、寛永4年(1627)、その境内に東照社を創建した。正保3年(1646)には朝廷より宮号を授けられ、東照宮となった。現在残る金色殿、唐門、透塀は、慶安4年(1651)に三代将軍・徳川家光が日光東照宮に準じて造営替えしたものである。幕末の上野戦争、関東大震災、東京大空襲を免れ、江戸初期の豪華な権現造の社殿を現在に伝える貴重な神社である。

上野東照宮の特長
目的 徳川家康公を祀る東照宮信仰、江戸の人々の東照大権現参拝、徳川家の祖霊祭祀、出世・勝利・健康長寿の祈願、上野寛永寺境内における徳川幕府の権威表現
特長 上野東照宮、東照社、東照宮、徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公、東照大権現、天海僧正、藤堂高虎、徳川家光、東叡山寛永寺、上野公園、金色殿、唐門、透塀、権現造、生彩色、置上彩色、銅灯籠、栄誉権現社、御神木、ぼたん苑、冬ぼたん、春のぼたん祭、国指定重要文化財
他の神社との違い ・江戸の人々が日光まで行かずに東照大権現を参拝できるよう、上野の山に造営された東照宮である
・現存する金色殿、唐門、透塀は慶安4年(1651)の造営で、江戸初期の豪華な神社建築を現在に伝えている
・上野戦争、関東大震災、東京大空襲を免れ、上野の山に残る貴重な江戸初期建築である
・東照宮でありながら、寛永寺、上野公園、上野動物園、不忍池、東京国立博物館などと一体で、上野の歴史文化を構成している
・金色の社殿、唐門の彫刻、透塀の動植物彫刻、全国の大名が奉納した銅灯籠など、徳川幕府の権威と工芸技術をあわせて見ることができる
上野東照宮DATA
別称 上野権現様、東照社
所在地 東京都台東区
創建 寛永4年(1627)。天海僧正が東叡山寛永寺を開き、その境内に東照社を創建したことに始まる
創建者 天海僧正、藤堂高虎
造営替え 慶安4年(1651)。三代将軍・徳川家光により、日光東照宮に準じた豪華な社殿へ造営替えされた
主な造営者 徳川家光
祭神 徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公
主な文化財 金色殿、唐門、透塀、銅灯籠
文化財指定 国指定重要文化財
住所 東京都台東区上野公園9-88
電話番号 03-3822-3455
参拝時間 冬季10月~2月は9時~16時30分、夏季3月~9月は9時~17時30分。天候により変更、荒天時は安全のため閉門の場合あり
拝観時間 冬季10月~2月は9時30分~16時、夏季3月~9月は9時30分~17時。社殿内部は非公開で、透塀の内側から社殿外観を拝観できる
休館日 無休。季節・天候により変更の場合あり
参拝料 境内参拝無料。社殿拝観は大人700円、小学生300円、20名以上の団体600円、未就学児無料
備考 上野東照宮は、上野公園内に鎮座する徳川家ゆかりの神社である。金色殿、唐門、透塀はいずれも慶安4年(1651)造営の江戸初期建築で、国の重要文化財に指定されている。社殿内部は通常非公開だが、拝観区域では透塀の内側から金色殿や唐門の彫刻を近くで見ることができる。境内には、全国の大名から奉納された銅灯籠、栄誉権現社、御神木、上野東照宮ぼたん苑などがある。上野公園、寛永寺、清水観音堂、五條天神社、不忍池、東京国立博物館、上野動物園とあわせて巡ると、徳川幕府と上野の山の関係を理解しやすい。
上野東照宮への交通アクセス
JR「上野」駅から徒歩約9分

HISTORY 上野東照宮について

上野東照宮の歴史
1616年 元和2年2月4日、危篤の徳川家康公が天海僧正と藤堂高虎を枕元に呼び、三人一つ処に末永く魂鎮まる場所を作ってほしいと遺言したと伝わる
1616年 徳川家康公が死去し、東照大権現として神格化される
1625年 寛永2年、天海僧正が現在の上野公園一帯に東叡山寛永寺を開く
1627年 寛永4年、寛永寺境内の一つとして東照社が創建される。これが上野東照宮の始まりである
1646年 正保3年、朝廷より正式に宮号を授けられ、東照社は東照宮となる
1651年 慶安4年、三代将軍・徳川家光により、日光東照宮に準じた豪華な社殿へ造営替えが行われる
1651年 現存する金色殿、唐門、透塀が造営される。社殿は本殿、幣殿、拝殿からなる権現造で整えられる
1651年頃 造営替えに際し、全国の大名から約250基の灯籠が競うように奉納されたと伝わる
江戸時代 上野東照宮は、日光まで参詣できない江戸の人々にとって、東照大権現を拝する重要な信仰の場となる
江戸時代 寛永寺の伽藍や子院とともに、上野の山は徳川幕府の祈りと権威を示す宗教空間として整えられる
1868年 慶応4年、上野戦争が起こり、寛永寺の伽藍や子院の多くが焼失するが、上野東照宮には火の手が及ばなかった
明治時代 神仏分離令により、境内の五重塔を寛永寺へ譲渡するなど、江戸時代に比べて境内地は縮小する
1911年 明治44年4月17日、東照宮社殿の本殿・幣殿・拝殿、唐門、透塀などが国の重要文化財に指定される
1923年 大正12年、関東大震災が発生するが、上野東照宮の社殿は倒壊を免れる
1945年 昭和20年、東京大空襲の際に金色殿のすぐ裏へ焼夷弾が投下されるが、不発弾であったため社殿は倒壊を免れる
戦後 上野公園内の神社として、多くの参拝者を集めるとともに、江戸初期建築を伝える文化財として保存される
平成以降 文化財保存修理や境内整備が進められ、金色殿、唐門、透塀の彫刻や彩色を間近に見られる拝観区域が整えられる
現在 上野東照宮は、徳川家康公・徳川吉宗公・徳川慶喜公を祀る神社として、出世、勝利、健康長寿を願う参拝者を集め、上野公園の歴史文化を伝えている