松陰神社とは、東京都世田谷区若林にある神社である。御祭神は、幕末の思想家・教育者として知られる吉田寅次郎藤原矩方命、すなわち吉田松陰である。松陰は安政6年(1859)10月27日、安政の大獄に連座し、江戸伝馬町の獄中で刑死した。その4年後の文久3年(1863)、門下生であった高杉晋作、伊藤博文らにより、遺骸は小塚原回向院から世田谷若林の地へ改葬された。この地は江戸時代、長州藩主毛利家の別邸があった場所で、大夫山と呼ばれていた。明治15年(1882)11月21日、松陰の門下の人々が墓畔に社を築き、松陰の御霊を祀ったことが松陰神社の始まりである。現在の社殿は昭和2年(1927)から昭和3年(1928)にかけて造営されたもので、境内には松陰の墓所、松下村塾の模造、吉田松陰像などがある。現在は学問の神、志を立てる神として、合格祈願や学業成就、心願成就を願う参拝者を集めている。
| 目的 | 吉田松陰の御霊を祀る神社、松陰の墓所を守る場、幕末志士の慰霊、学業成就、合格祈願、志の成就、心願成就、厄除、家内安全、世田谷若林の歴史を伝える場所 |
|---|---|
| 特長 | 松陰神社、吉田松陰、吉田寅次郎藤原矩方命、安政の大獄、伝馬町牢屋敷、小塚原回向院、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允、山縣有朋、松下村塾、松陰先生他烈士墓所、留魂録、長州藩、毛利家、大夫山、吉田松陰像、学問の神、合格祈願、松陰神社前駅、松陰神社通り商店街 |
| 他の神社との違い | ・古代神や武神ではなく、幕末の思想家・教育者である吉田松陰を祀る神社である ・吉田松陰の遺骸が改葬された墓所を起点として創建された、墓所と神社が一体になった場所である ・世田谷にありながら、長州藩、松下村塾、安政の大獄、明治維新の流れを体感できる ・境内には松陰の墓所だけでなく、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進など幕末烈士の墓碑も残る ・松陰神社前駅や松陰神社通り商店街に近く、世田谷代官屋敷、世田谷城跡、豪徳寺、世田谷八幡宮とあわせて巡りやすい |
| 別称 | 東京松陰神社、世田谷松陰神社、吉田松陰先生留魂の地 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都世田谷区 |
| 創建 | 明治15年(1882)11月21日。吉田松陰の門下の人々が、世田谷若林の墓畔に社を築き、松陰の御霊を祀ったことに始まる |
| 創建者 | 吉田松陰の門下の人々 |
| 祭神 | 吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰) |
| 社殿造営 | 昭和2年(1927)から昭和3年(1928)にかけて、現在の社殿が造営された |
| 主な見どころ | 社殿、吉田松陰墓所、松陰先生他烈士墓所、松下村塾の模造、吉田松陰像、石灯籠、御朱印 |
| 住所 | 東京都世田谷区若林4-35-1 |
| 電話番号 | 03-3421-4834 |
| 参拝時間 | 神社開門時間は7時~17時 |
| 受付時間 | お守り・お神札の受付は9時~17時。ご祈祷受付は9時~15時50分。いずれも社務所休務日や恒例祭典時を除く |
| 休館日 | なし。ただし社務所休務日あり |
| 拝観料 | 無料 |
| 備考 | 松陰神社は、安政の大獄で刑死した吉田松陰を祀る神社である。文久3年(1863)、高杉晋作、伊藤博文ら門下生により、松陰の遺骸は小塚原回向院から世田谷若林の地へ改葬された。境内墓域には、吉田松陰の墓碑をはじめ、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮などの墓碑がある。現在は学問の神、志を立てる神として崇敬され、合格祈願や学業成就、心願成就の参拝者が多い。東急世田谷線松陰神社前駅から徒歩約3分で、松陰神社通り商店街や世田谷区役所周辺とあわせて訪れやすい。 |
| 1830年 | 文政13年、吉田松陰が長州藩萩城下松本村に生まれる |
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| 1854年 | 安政元年、吉田松陰が下田で海外渡航を試みるが失敗し、のちに長州へ送られる |
| 1857年 | 安政4年頃、吉田松陰が萩で松下村塾を主宰し、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋ら多くの門下生に影響を与える |
| 1858年 | 安政5年、安政の大獄が始まり、尊王攘夷派や幕府批判者への弾圧が強まる |
| 1859年 | 安政6年10月27日、吉田松陰が安政の大獄に連座し、江戸伝馬町の獄中で刑死する |
| 1859年 | 刑死後、吉田松陰の遺骸は小塚原回向院に葬られる |
| 1863年 | 文久3年正月、高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人ら門下生により、吉田松陰の遺骸が小塚原回向院から世田谷若林の大夫山へ改葬される |
| 1863年 | 同時期に、頼三樹三郎、小林民部らも回向院から改葬され、来原良蔵の墓も芝青松寺から移される |
| 1863年 | 同年11月、福原乙之進がこの地に埋葬される |
| 1864年 | 元治元年、禁門の変後の長州征伐に際し、幕府により吉田松陰らの墓が破壊されたとされる |
| 1868年 | 明治元年、木戸孝允らの手により吉田松陰らの墓が修復される |
| 1869年 | 明治2年、松陰先生招魂祭のため、長州藩士たちが墓前に集う |
| 1882年 | 明治15年11月21日、吉田松陰の門下の人々が墓畔に社を築き、松陰の御霊を祀る。これが松陰神社の創建である |
| 明治時代後期 | 吉田松陰を敬慕する人々により、神社と墓所への参拝が続けられる |
| 1927年 | 昭和2年、現在の社殿の造営が始まる |
| 1928年 | 昭和3年、現在の社殿が整えられる |
| 昭和時代 | 境内整備が進み、吉田松陰像や松下村塾の模造など、松陰の生涯と思想を伝える要素が整えられる |
| 戦後 | 松陰神社は、吉田松陰を祀る神社として、幕末史や明治維新に関心を持つ人々の参拝を集める |
| 現在 | 松陰神社は、吉田松陰の御霊と墓所を守る神社として、学業成就、合格祈願、志の成就を願う参拝者を集めている |
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