- 津藩富田氏と藤堂氏による藩政
- 津藩は、富田氏と藤堂氏という2つの家が治めてきた藩です。富田氏は江戸時代初期に国替えし、以降は藤堂氏が代を重ねて津藩を治めていきます。その歴史と代々藩主の功績をひもといていきましょう。 津藩の基礎を築
津城とは、三重県津市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正8年(1580)頃に織田信長の弟・織田信包が創建したとされ、のちに富田氏が城主となった。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い前には、富田信高が西軍の攻撃を受けて籠城戦を行った。慶長13年(1608)に藤堂高虎が伊予今治から入ると、城の拡張、内堀・外堀の整備、城下町の再編を進め、津藩の中心となる近世城郭へ大改修した。現在はお城公園として整備され、本丸・西之丸の石垣と内堀の一部が残る。
| 目的 | 伊勢国中部の支配拠点、津藩の政庁、参宮街道・城下町支配の中心 |
|---|---|
| 特長 | 藤堂高虎、石垣、内堀、復興隅櫓、藤堂高虎騎馬像、お城公園、続日本100名城 |
| 他の城との違い | ・築城の名手・藤堂高虎が大改修した城である ・天守や現存櫓は残らないが、本丸・西之丸の石垣と内堀が城の姿を伝えている ・参宮街道を城下へ引き入れ、堀川を開くなど、城と城下町を一体で整備した点が特徴である |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡あり |
| 種類 | 石垣、内堀、外堀、平城、曲輪、復興隅櫓 |
| 石材 | 自然石、割石など |
| 特長 | 津城は、低湿地に築かれた平城で、本丸・西之丸を中心に石垣と堀で守られていた。藤堂高虎は慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、東北・西北の隅に三重櫓を築いたとされる。現在は外堀のすべてと内堀の大半が埋め立てられているが、本丸と西之丸の石垣、内堀の一部が残る。城跡としては、復興隅櫓よりも、苔むした石垣と堀、本丸・西之丸の郭構成を中心に見るのが自然である。 |
| 別称 | 安濃津城 |
|---|---|
| 所在地 | 三重県津市 |
| 築城 | 1580年頃 |
| 築城者 | 織田信包 |
| 住所 | 三重県津市丸之内27 |
| 電話番号 | 059-246-9020 |
| 開園時間 | お城公園は見学自由 |
| 休園日 | なし |
| 入園料 | 無料 |
| 備考 | 津城跡は三重県指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。現在はお城公園として整備され、本丸・西之丸・内堀の一部、石垣、復興隅櫓、藤堂高虎騎馬像などが見られる。明治維新後、城郭建造物はすべて取り壊され、外堀のすべてと内堀の大半が埋め立てられた。 |
津城は三重県津市の中心部に位置していた城です。織田信長の弟、織田信包によって築城され、1611年に築城の名手と呼ばれた藤堂高虎の手によって大規模な改修が行われました。そして、明治になり廃藩置県が行われるまで津藩の藩庁であり続けたのです。今回は、津城、そして津藩の歴史をひもといていきましょう。
| 1580年頃 | 織田信長の弟・織田信包が津城を創建したとされる |
|---|---|
| 1595年 | 富田氏父子が安濃津城へ入城する |
| 1600年 | 関ヶ原の戦いの直前、富田信高が西軍の攻撃を受け、津城で籠城戦を行う |
| 1608年 | 藤堂高虎が伊予今治から伊勢・伊賀へ入封し、津城主となる |
| 1611年 | 藤堂高虎が津城を大改修し、石垣・堀・城下町を整備する |
| 江戸時代 | 藤堂家の居城として、津藩の政庁となる |
| 江戸時代 | 藤堂高次の時代に城下町整備がさらに進み、津は32万石の城下町として発展する |
| 明治時代 | 廃城後、城郭建造物が取り壊され、外堀や内堀の多くが埋め立てられる |
| 2005年 | 津城跡が三重県指定史跡となる |
| 2017年 | 続日本100名城に選定される |
津城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 津城 |
|---|---|
| 旧地域 | 伊勢安濃郡安濃津 |
| 石高 | 32万3000石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 藤堂氏 |
| 推定人口 | 26万人(明治元年) |
藩祖は築城の名手で知られる藤堂高虎。外様ではあるが、幕末まで「奉幕」の藩風が続いたが、鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍として参戦。しかし、現地統帥藤堂元施が勅使の説得に応じて新政府軍に転じた。
三重県津市にある津城は、築城の名手・藤堂高虎が手がけた城として知られています。堀と石垣が美しく残り、徳川期には伊勢国津藩の中心として栄えました。現在は「津城跡公園」として整備され、市民に親しまれています。