菅沼家家紋「丸に釘抜き紋」
長島城とは、三重県桑名市長島町にあった中世から近世にかけての城である。木曽川・長良川・揖斐川が流れる河口部の輪中地帯に位置し、水に囲まれた地形を活かした城であった。戦国時代には願証寺を中心とする長島一向一揆の拠点となり、織田信長との激しい攻防の舞台となった。江戸時代には長島藩の居城として用いられたが、現在、城跡の中心部は長島中部小学校・長島中学校の敷地となり、城郭遺構は限られている。
| 目的 | 長島一向一揆の拠点、木曽三川河口部の防御拠点、長島藩の政庁 |
|---|---|
| 特長 | 水城、輪中地帯、長島一向一揆、願証寺、長島藩、移築大手門 |
| 他の城との違い | ・木曽三川河口部の水に囲まれた地形を活かした城である ・織田信長と長島一向一揆の攻防の舞台となった ・現在は学校敷地となっており、城跡として見られる遺構は少ない |
| 石垣 | 一部痕跡あり |
|---|---|
| 土塁 | 現存遺構は限定的 |
| 種類 | 水城、平城、堀、土塁、石垣、輪中地帯の城 |
| 石材 | 不明 |
| 特長 | 長島城は、高石垣や天守を見せる城ではなく、木曽川・長良川・揖斐川が入り組む輪中地帯の水辺地形を防御に活かした城である。現在、城跡の中心部は学校敷地となっており、城郭遺構は多く残っていない。城跡としては、石垣そのものよりも、長島一向一揆の拠点となった水城としての立地、願証寺との関係、江戸時代の長島藩居城としての歴史を中心に理解するのが自然である。なお、旧長島城大手門は蓮生寺の山門として移築されている。 |
| 別称 | 伊勢長島城 |
|---|---|
| 所在地 | 三重県桑名市 |
| 築城 | 1245年に館が築かれたと伝わる |
| 築城者 | 藤原道家と伝わる |
| 住所 | 三重県桑名市長島町西外面2175番地周辺 |
| 電話番号 | 0594-24-1361 |
| 開館時間 | 城跡周辺は見学自由。ただし学校敷地内への立ち入りは不可 |
| 休館日 | なし |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 現在、長島城跡の中心部は長島中部小学校・長島中学校の敷地となっている。校内の「大松」は樹齢300年以上と推定されるクロマツで、市の指定文化財である。旧長島城大手門は、明治9年(1876)に蓮生寺の山門として移築されている。近鉄長島駅から徒歩約10分。 |
| 1245年 | 藤原道家が長島に館を築いたと伝わる |
|---|---|
| 戦国時代 | 木曽三川河口部の水辺地形を活かした城として、長島周辺の支配拠点となる |
| 1570年 | 願証寺を中心とする長島一向一揆が起こり、長島城が一揆勢の拠点となる |
| 1570年代 | 織田信長が長島一向一揆を攻め、長島城周辺で激しい攻防が行われる |
| 1574年 | 織田信長により長島一向一揆が制圧される |
| 安土桃山時代 | 滝川一益や織田信雄らが長島城に関わる |
| 江戸時代 | 長島藩の居城として用いられる |
| 1876年 | 旧長島城大手門が蓮生寺の山門として移築される |
| 現在 | 城跡の中心部は長島中部小学校・長島中学校の敷地となり、周辺に城跡の記憶を伝える |
長島城と関連する事件を読む
菅沼家家紋「丸に釘抜き紋」
| 藩庁 | 長島城 |
|---|---|
| 旧地域 | 伊勢国桑名郡長島 |
| 石高 | 2万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 菅沼家・松平(久松)家・増山家 |