伊勢神宮 内宮三重県伊勢市

秋の伊勢神宮 内宮1 秋の伊勢神宮 内宮2 秋の伊勢神宮 内宮3 秋の伊勢神宮 内宮4 秋の伊勢神宮 内宮5 秋の伊勢神宮 内宮6 秋の伊勢神宮 内宮7 秋の伊勢神宮 内宮8 秋の伊勢神宮 内宮9 秋の伊勢神宮 内宮10
冬の伊勢神宮 内宮1 冬の伊勢神宮 内宮2 冬の伊勢神宮 内宮3 冬の伊勢神宮 内宮4 冬の伊勢神宮 内宮5
  • 天照大御神を祀る、神宮の中心的なお宮
  • 倭姫命が五十鈴川のほとりに祠を建てたことに始まると伝わる皇大神宮
  • 宇治橋、五十鈴川、正宮、荒祭宮、風日祈宮で知られる「お伊勢参り」の核心

伊勢神宮 内宮とは、三重県伊勢市宇治館町にある神社である。正式には皇大神宮といい、皇室の御祖先であり、日本人の総氏神のように崇められる天照大御神を祀る。社伝では、天照大御神ははじめ宮中で祀られていたが、崇神天皇の御代に豊鍬入姫命が大和の笠縫邑に神籬を立てて祀った。その後、垂仁天皇の御代に倭姫命が新たな鎮座地を求め、大和、伊賀、近江、美濃などを巡り、伊勢国の五十鈴川の川上に至った。そこで天照大御神の御神託を受け、現在の地に祠を建てて祀ったことが、皇大神宮の御鎮座の始まりとされる。内宮の入口には五十鈴川に架かる宇治橋があり、橋を渡ると玉砂利の参道、神苑、御手洗場、瀧祭神、正宮、別宮の荒祭宮、風日祈宮へと続く。正宮では個人的な願い事ではなく、日々の感謝を捧げる場所とされ、内宮神楽殿では御祈祷、お神札・お守りの授与、御朱印の受付が行われている。内宮は、神話、皇室祭祀、式年遷宮、伊勢信仰、お伊勢参りの中心として、現在も全国から多くの参拝者を集めている。

伊勢神宮 内宮の特長
目的 天照大御神への感謝と崇敬、皇室の御祖神への祭祀、国家安寧、五穀豊穣、神宮式年遷宮の継承、伊勢信仰の中心、お伊勢参りの核心、日々の平安への祈り
特長 伊勢神宮、神宮、内宮、皇大神宮、天照大御神、八咫鏡、三種の神器、倭姫命、豊鍬入姫命、五十鈴川、宇治橋、正宮、荒祭宮、風日祈宮、瀧祭神、御手洗場、御稲御倉、内宮神楽殿、参集殿、式年遷宮、神明造、神嘗祭、御師、お伊勢参り、おかげ参り
他の神社との違い ・正式名称は「皇大神宮」で、一般には伊勢神宮の内宮として知られる
・天照大御神を祀る神宮の中心的なお宮であり、日本の神社信仰の中でも特別な位置にある
・五十鈴川のほとりに鎮まり、宇治橋を渡ることで日常から神域へ入る構成になっている
・正宮のほか、荒祭宮、風日祈宮、瀧祭神、御稲御倉など、神宮祭祀を支える宮社が神域内に点在する
・20年に一度、社殿や御装束神宝を新しくする神宮式年遷宮により、古代からの祭祀と建築技術が継承されている
伊勢神宮 内宮DATA
別称 皇大神宮、内宮、伊勢神宮内宮、お伊勢さん
正式名称 皇大神宮
所在地 三重県伊勢市
御鎮座 垂仁天皇の御代と伝わる。倭姫命が天照大御神の御鎮座地を求めて諸国を巡り、伊勢国宇治の五十鈴川の川上に祠を建てたことに始まるとされる
創祀者 倭姫命
祭神 天照大御神
御神体 八咫鏡。三種の神器の一つとされる神鏡
主な別宮 荒祭宮、風日祈宮。域外の別宮として月読宮、瀧原宮、伊雑宮、倭姫宮がある
主な宮社 正宮、荒祭宮、風日祈宮、瀧祭神、御稲御倉、由貴御倉、御酒殿
主な見どころ 宇治橋、五十鈴川、御手洗場、正宮、荒祭宮、風日祈宮、瀧祭神、御稲御倉、内宮神楽殿、参集殿、神苑
社殿様式 唯一神明造。古代の高床式穀倉に由来するとされる神宮独自の建築様式
住所 三重県伊勢市宇治館町1
電話番号 0596-24-1111(神宮司庁)
参拝時間 1月・2月・3月・4月・9月は5時~18時。5月・6月・7月・8月は5時~19時。10月・11月・12月は5時~17時。正月期間は変更あり
御祈祷・授与 内宮神楽殿で御神楽・御饌の御祈祷、お神札・お守りの授与、御朱印の受付を行う
休館日 境内参拝はなし
拝観料 境内参拝無料
備考 伊勢神宮 内宮は、天照大御神を祀る皇大神宮であり、外宮の豊受大神宮とともに「神宮」を構成する中心的なお宮である。参拝は古くから外宮を先に参り、その後に内宮を参る習わしがある。内宮では、宇治橋を渡り、五十鈴川の御手洗場で身を清め、瀧祭神を参拝してから正宮へ向かう流れが代表的である。正宮は日頃の感謝を捧げる場であり、個人的な願い事は別宮の荒祭宮などで祈るとされる。内宮周辺にはおはらい町、おかげ横丁、猿田彦神社、月読宮などがあり、外宮と別にページを作る場合は、内宮では天照大御神、倭姫命、宇治橋、五十鈴川、正宮、荒祭宮を中心に整理すると分かりやすい。
伊勢神宮 内宮への交通アクセス
近鉄鳥羽線「五十鈴川」駅から徒歩約35分。

HISTORY 伊勢神宮 内宮について

伊勢神宮 内宮の歴史
神代 天照大御神は皇祖神として崇敬され、八咫鏡は三種の神器の一つとして皇位の御璽とされる
崇神天皇の御代 天照大御神はそれまで宮中で祀られていたが、崇神天皇は御殿を共にすることを畏れ多いとし、皇女・豊鍬入姫命に命じて大和の笠縫邑に神籬を立てて祀ったと伝わる
垂仁天皇の御代 豊鍬入姫命に代わり、皇女・倭姫命が天照大御神を祀る永遠の地を求めて巡行を始める
垂仁天皇の御代 倭姫命は大和、伊賀、近江、美濃などを巡り、伊勢国の度会、宇治の五十鈴川の川上に至る
垂仁天皇の御代 天照大御神が伊勢の地を望んだという御神託により、倭姫命は五十鈴川の川上に祠を建てて祀ったと伝わる。これが皇大神宮、すなわち内宮の御鎮座の始まりとされる
古代 皇大神宮は、天照大御神を祀る皇室の御祖神の宮として、朝廷祭祀の中心的存在となる
天武天皇の御代 神宮式年遷宮の制度が定められたとされる
690年 持統天皇4年、第1回の神宮式年遷宮が行われる。以後、20年に一度、社殿と御装束神宝を新しくする制度が継承される
804年 延暦23年、『皇太神宮儀式帳』が神祇官へ提出される。神宮の祭儀や鎮座の由来を伝える重要な資料となる
平安時代 皇大神宮は、朝廷による奉幣、斎王制度、神嘗祭などを通じて、国家祭祀の中心として重視される
平安時代 伊勢国の神宮領や御厨が各地に広がり、伊勢信仰が地方社会にも浸透していく
鎌倉時代 神宮への参詣者が増え、武家や庶民にも伊勢信仰が広がる
鎌倉時代 御師と呼ばれる人々が全国に伊勢信仰を広め、参拝者の案内や宿泊、御祈祷を担うようになる
室町時代 戦乱や社会の変化の中でも、神宮は天照大御神を祀る特別な宮として崇敬を受け続ける
戦国時代 長く続く戦乱により式年遷宮の実施が困難になる時期もあったが、神宮の祭祀は守り継がれる
江戸時代初期 幕府による交通網の整備により、伊勢参宮の環境が整い、神宮への参拝が全国に広がる
江戸時代 御師の活動により、各地で神宮大麻が頒布され、伊勢講を通じて庶民のお伊勢参りが盛んになる
江戸時代 「一生に一度はお伊勢参り」といわれるほど、内宮と外宮への参拝は庶民の憧れとなる
1705年 宝永2年、全国的な伊勢参宮の高まりが起こり、のちに「おかげ参り」と呼ばれる群参現象の一つとなる
1771年 明和8年、大規模なおかげ参りが起こり、多くの人々が伊勢を目指す
1830年 文政13年、文政のおかげ参りが起こり、伊勢参宮は江戸時代の庶民信仰と旅文化を象徴する現象となる
明治時代 御師制度が廃止され、近代国家の神社制度の中で、神宮は皇祖神を祀る特別な宮として位置づけられる
明治時代 鉄道や道路の整備により、全国からの神宮参拝がさらに行いやすくなる
1946年 戦後の制度変更により神宮のあり方も大きく変化するが、天照大御神を祀る信仰の中心として崇敬は続く
1953年 昭和28年、第59回神宮式年遷宮が行われ、戦後の神宮祭祀の大きな節目となる
1973年 昭和48年、第60回神宮式年遷宮が行われる
1993年 平成5年、第61回神宮式年遷宮が行われる
2013年 平成25年、第62回神宮式年遷宮が行われる。内宮では新しい正殿へ天照大御神がお遷りになる遷御の儀が斎行される
2025年 令和7年、第63回神宮式年遷宮に向けた諸祭・諸行事が始まる
現在 伊勢神宮 内宮は、天照大御神を祀る皇大神宮として、神宮の中心であり、日本を代表する信仰の場として多くの参拝者を迎えている

伊勢神宮 内宮と関連する事件を読む

東海道中膝栗毛江戸時代の大ベストセラー
東海道中膝栗毛とは 東海道中膝栗毛とは、戯作者で絵師の十返舎一九による滑稽本のこと 弥次郎兵衛と喜多八、通称「弥次さん」「喜多さん」が江戸を出発し、東海道を通って伊勢詣をし、京や大坂まで旅する様子を描