- 伊勢亀山藩多くの大名家が治める
- 伊勢亀山藩は8つの大名家によって治められてきた藩です。東海道の要所である「関」を藩地に持つため、小さい藩ですが幕府との結びつきは強いものでした。ここでは、伊勢亀山藩の歴史を紐解いていきましょう。 伊勢
伊勢亀山城とは、三重県亀山市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正18年(1590)に岡本宗憲が築いたとされ、江戸時代には亀山藩の政庁として東海道の要衝を押さえた。寛永9年(1632)頃、三宅康盛の代に天守が下ろされ、正保年間(1644〜1648)に本多俊次の時代、天守跡に現在の多門櫓が建てられたとされる。現在は本丸高石垣と多門櫓が残り、城下町亀山の面影を伝えている。
| 目的 | 東海道の要衝支配、亀山藩の政庁、伊勢国北部の防衛拠点 |
|---|---|
| 特長 | 多門櫓、本丸高石垣、野面積、東海道亀山宿、亀山藩の城 |
| 他の城との違い | ・三重県で唯一現存する城郭建造物である多門櫓が残る ・東海道亀山宿と一体で、交通の要衝を押さえた城である ・天守は現存せず、天守跡とされる高石垣上に多門櫓が建つ |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 種類 | 野面積、高石垣、天守台石垣 |
| 石材 | 自然石 |
| 特長 | 伊勢亀山城には、本丸東南隅に高石垣が残り、その上に多門櫓が建つ。石垣は長大な自然石を多用した野面積で、近世初期の城郭らしい荒々しさを伝えている。現在見られる旧亀山城多門櫓は、この本丸東南隅の石垣と上部の櫓を合わせた文化財として扱われる。城跡としては、天守や大規模な曲輪群よりも、高石垣と多門櫓を中心に見るのが伊勢亀山城の大きな特徴である。 |
| 別称 | 亀山城、粉蝶城 |
|---|---|
| 所在地 | 三重県亀山市 |
| 築城 | 1590年 |
| 築城者 | 岡本宗憲 |
| 住所 | 三重県亀山市本丸町575-2 |
| 電話番号 | 0595-96-1218 |
| 開館時間 | 旧亀山城多門櫓は9時~16時30分 |
| 休館日 | 月曜日。月曜日が祝日または振替休日の場合は翌日。年末年始(12月29日~1月3日) |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 旧亀山城多門櫓は、三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されている。多門櫓は平屋建て白壁塗込の建物で、江戸時代には武器庫として使われていたと考えられている。伊勢亀山城は、京都府亀岡市の丹波亀山城とは別の城である。 |
伊勢伊勢亀山城は、三重県亀山市本町にあった平城です。粉蝶城という別名も持っています。鎌倉時代に関氏によって築城され、戦国時代は織田信長の伊勢侵攻によりたびたび戦場にもなりました。江戸時代になると伊勢亀山藩の藩主の居城となり、東海道の要所でもあったことから将軍家の宿泊所としても利用されています。今回は、伊勢伊勢亀山城と伊勢亀山藩について詳しく解説しましょう。
| 1590年 | 岡本宗憲により伊勢亀山城が築かれたとされる |
|---|---|
| 江戸時代初期 | 東海道の要衝を押さえる亀山藩の政庁として整備される |
| 1632年頃 | 三宅康盛の代に天守が下ろされたとされる |
| 1644年~1648年 | 本多俊次の時代に、天守跡とされる高石垣上に現在の多門櫓が建てられる |
| 江戸時代 | 東海道亀山宿とともに、亀山藩の中心として機能する |
| 1873年 | 廃城令により城郭建造物の多くが失われる |
| 1953年 | 旧亀山城多門櫓が三重県史跡に指定される |
| 2007年 | 地震により石垣の一部が崩落する |
| 平成期 | 旧亀山城多門櫓の平成の大修理と石垣の復旧復元工事が行われる |
伊勢亀山城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 伊勢亀山城 |
|---|---|
| 旧地域 | 伊勢国鈴鹿郡亀山 |
| 石高 | 6万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏 |
| 推定人口 | 4万6000人(明治元年) |
東海道亀山宿を擁する交通の要所。奥平松平家をはじめ、譜代大名が置かれた。