田丸城三重県度会郡

秋の田丸城1 秋の田丸城2 秋の田丸城3 秋の田丸城4 秋の田丸城5 秋の田丸城6 秋の田丸城7 秋の田丸城8 秋の田丸城9 秋の田丸城10
  • 春
  • 夏
  • 秋
  • 冬
  • 北畠氏の南伊勢支配を支えた城
  • 織田信雄が三層の天守を築いた城
  • 現在は石垣・天守台・曲輪が残る続日本100名城

田丸城とは、三重県度会郡玉城町にある南北朝時代から近世にかけての城跡である。延元元年(1336)に北畠親房が南朝側の拠点として築いたことに始まるとされ、室町時代には北畠氏の南伊勢支配を支える重要拠点となった。天正3年(1575)には、北畠氏を継いだ織田信雄が三層の天守を築き、南伊勢支配の拠点として大改修した。現在は田丸城跡として整備され、天守台、本丸、二の丸、石垣、堀跡などが往時の姿を伝えている。

田丸城の特長
目的 南朝方の拠点、北畠氏の南伊勢支配拠点、南伊勢の軍事・政治拠点
特長 石垣、天守台、曲輪、堀跡、北畠氏、織田信雄、紀州徳川家家老久野氏
他の城との違い ・南北朝時代に南朝方の拠点として築かれたと伝わる
・織田信雄が三層の天守を築いた城として知られる
・現在も天守台をはじめ、城跡全体に石垣がよく残る
田丸城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、石垣、天守台、曲輪、堀跡、平山城
石材 自然石、割石など
特長 田丸城は、田丸の町を見下ろす丘陵に築かれた平山城で、天守台や本丸周辺を中心に石垣が残る。石垣は自然石を用いた野面積を基調としながら、場所によって加工度の異なる石材も見られる。天守や櫓などの建物は残らないが、天守台、本丸、二の丸などの石垣によって、織田信雄の時代以降に整えられた近世城郭としての姿を感じることができる。
田丸城DATA
別称 玉丸城
所在地 三重県度会郡玉城町
築城 1336年
築城者 北畠親房
住所 三重県度会郡玉城町田丸字城郭114-1周辺
電話番号 0596-58-8212
開館時間 田丸城跡は見学自由。村山龍平記念館は施設情報の確認が必要
休館日 田丸城跡はなし
入館料 田丸城跡は無料
備考 田丸城跡は三重県指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。御城印や続日本100名城スタンプは村山龍平記念館で取り扱われている。城跡周辺には、田丸城内三の丸にあった御殿の一部とされる奥書院や、金森得水ゆかりの玄甲舎などもある。
田丸城への交通アクセス
JR紀勢本線・近鉄山田線 松阪駅から徒歩約15分。

HISTORY 田丸城について

田丸城の歴史
1336年 北畠親房が南朝側の拠点として田丸城、玉丸城を築いたと伝わる
1342年 伊勢守護・仁木義長により攻め落とされる
室町時代 北畠氏により復興され、多気に次ぐ北畠氏の重要拠点となる
1575年 北畠氏を継いだ織田信雄が田丸城を大改修し、三層の天守を築く
1580年 織田信雄が松ヶ島城へ移り、田丸城を離れる
安土桃山時代 田丸氏、稲葉氏、藤堂氏などが城主となる
1619年 田丸が和歌山藩領となり、紀州徳川家の家老・久野氏が城主となる
江戸時代 久野氏が城主を務め、紀州藩領南伊勢の拠点として機能する
明治時代 廃城となり、城郭建造物の多くが失われる
1953年 田丸城跡が三重県史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される

田丸城を藩庁とする、田丸藩の歴史

五瓜に三つ巴

久野家の家紋「五瓜に三つ巴」

田丸藩DATA
藩庁 田丸城
旧地域 伊勢国
石高 4万5700石
譜代・外様 外様
主な藩主 稲葉家・久野家

田丸城、北畠氏と織田信雄ゆかりの石垣の城

三重県度会郡玉城町の田丸城は、南北朝時代に築かれたと伝わる平山城です。北畠氏を経て織田信雄により改修されました。江戸時代には紀州徳川家の家老・久野氏が城代となり、明治維新まで存続。現在は天守台や石垣、堀などが残っています。桜や紅葉に加え、冬のライトアップが有名です。続日本100名城にも選ばれています。

田丸城
田丸城の歴史
田丸城の始まりは南北朝時代にさかのぼり、延元元年/建武3年(1336年)ごろ、南朝方の北畠親房またはその子・顕信が、南朝の拠点として玉丸山に砦を築いたと伝わります。ただし創築の経緯には諸説があります。その後は北朝側に攻め落とされますが、北畠氏の一族である田丸氏が拠点としました。
戦国時代、北畠氏は国司として伊勢南部に大きな勢力を築きましたが、永禄12年(1569年)8月に織田信長の侵攻を受けます。大河内城の戦いの激戦の末、10月に信長と北畠氏は和睦。信長の次男・茶筅丸が北畠具房の養子となり、大河内城は茶筅丸に明け渡されました。
その後、茶筅丸は元服して北畠具豊(後の織田信雄)と名乗り、天正3年(1575年)に大河内城を廃城にして田丸城を居城とします。
信雄は田丸城を本拠地として大規模な改修を進め、石垣や三層の天守を築いたとされます。しかし天正8年(1580年)、火災によって田丸城は天守を含む城の主要部が焼失しました。信雄は松ヶ島城へ本拠を移し、田丸城には家臣が置かれました。
その後、田丸城は蒲生氏郷の支配下に入りますが、天正12年(1584年)に氏郷が伊勢の領主となって松ヶ島城へ移ると、田丸直昌が城主となります。
蒲生氏郷が天正18年(1590年)の奥州仕置で陸奥国会津に移封となると、田丸直昌も氏郷の与力として陸奥に移動します。
代わって田丸城には稲葉重通が城代として入ります。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後は息子の稲葉道通が岩出城から入り、田丸藩を立藩しました。この際、道通は岩出城を廃城にして、城郭の主要な建造物や石塁等を田丸に移し、大改築をしたと伝えられています。
元和2年(1616年)に田丸藩が廃藩になると、津藩主の藤堂高虎に田丸領が加増されます。元和5年(1619年)には紀州徳川家領となり、紀州徳川家の家老・久野宗成が田丸城に入りました。以降は9代にわたって久野氏が城代を務めます。記録によれば、城は老朽化などにより、3代、5代、8代の時代に修復されています。
明治維新後は廃城となり、明治4年(1871年)には建物のほとんどが解体・処分されました。城跡には玉城町役場や学校が置かれましたが、本丸や二の丸の石垣、堀、富士見門などが残されました。
田丸城は昭和3年(1928年)には「城山公園」として一般に開放され、昭和28年(1953年)に三重県の史跡に指定されました。平成29年(2017年)には続日本100名城に選ばれました。
田丸城の見どころ①石垣
田丸城の一番の見どころは、城内に残る壮麗な石垣です。多くの石垣は野面積みですが、田丸城は何度も改修されており、打ち込みハギ、切り込みハギの石垣も混在しています。
見ごたえがあるのが本丸周囲の総石垣。横矢がかけられるよう複雑に折れ曲がっています。
田丸城の見どころ1 田丸城の見どころ2 田丸城の見どころ3
田丸城の見どころ②天守台
本丸の北端に位置する天守台は高さ約4m。内部に穴蔵を持つ古い形式のもので、東西約17m×南北約18mとほぼ正方形です。天守南には付櫓がついており、付櫓台は近世以降に改変された形跡があります。
天守台上からは城内や玉城の町並みを見渡せます。石垣の下から見上げたあと、上に登って眺望を楽しむのがおすすめです。
田丸城の見どころ4 田丸城の見どころ5 田丸城の見どころ6
田丸城の見どころ③二の丸・北の丸と複雑な縄張り
田丸城は丘陵上に本丸、二の丸、北の丸を配し、その周囲を堀で囲んでいます。曲輪同士の間には石垣や土塁が設けられ、限られた丘の地形を利用して防御力を高めました。二の丸跡などには学校施設がありますが、曲輪の段差や石垣はよく残り、城が現在の町に溶け込んでいる様子を感じられます。見学時は天守台だけでなく、曲輪をつなぐ通路や折れ、石垣の高さにも注目すると、平地から緩やかに登る平山城の構造が見えてきます。
田丸城の見どころ④移築された富士見門
城内には、江戸時代の建築と伝わる富士見門があります。明治初年に民間へ移築されたものを、昭和59年(1984年)に町が譲り受けて城跡へ移築復元しました。
元の位置は現在中学校の校庭となっており、復元場所は往時とは異なりますが、建物がほとんど失われた田丸城において、当時の姿を伝える貴重な存在です。
田丸城の見どころ⑤旧三の丸御殿 奥書院
旧三の丸には御殿の奥書院が移築復元されています。延宝5年(1677年)に久野家3代当主・久野宗俊が建てた御殿の一部で、久野氏が田丸城に入城する際に使用していました。
廃城の際に民間に払い下げられ移築されていましたが、平成2年(1990年)に玉城町が譲り受け、翌年現在の場所に移築復元しました。武家書院様式の書院で、花頭窓が特徴です。なお、見学は予約制です。
田丸城のおすすめ撮影スポット
おすすめは本丸から撮影する天守台です。石垣を見上げて角の曲がりや反りを撮影しましょう。天守台上からのパノラマも美しく、城内や玉城の町並みを一望できます。北の丸から空堀や本丸石垣を撮影するのも、城らしさが出ますよ。
田丸城の見どころ7 田丸城の見どころ8 田丸城の見どころ9
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。