信貴山城奈良県生駒郡

秋の信貴山城1 秋の信貴山城2 秋の信貴山城3 秋の信貴山城4 秋の信貴山城5 秋の信貴山城6
  • 松永久秀が大和支配の拠点とした山城
  • 多聞城と並ぶ松永氏の重要拠点
  • 信貴山山上に曲輪・堀切・土塁が残る県指定史跡

信貴山城とは、奈良県生駒郡平群町にある戦国時代の山城跡である。信貴山上に築かれた城で、戦国時代には松永久秀が入城し、多聞城とともに大和支配の拠点とした。大和と河内を結ぶ交通の要衝に位置し、山上の地形を活かして広い城域が形成された。天正5年(1577)、織田信長に背いた松永久秀が籠城したが、織田信忠軍に包囲されて落城し、信貴山城は廃城になったと考えられている。現在は信貴山朝護孫子寺の周辺から山上部へ登ることで、曲輪、堀切、土塁などの山城遺構をたどることができる。

信貴山城の特長
目的 大和支配の拠点、河内・大和間の交通監視、松永久秀の居城
特長 松永久秀、山城、曲輪、堀切、土塁、信貴山、朝護孫子寺、多聞城との連携
他の城との違い ・松永久秀が大和支配の拠点とした城である
・多聞城とあわせて、松永久秀の政治・軍事拠点として機能した
・石垣や天守を見せる城ではなく、信貴山の地形を活かした曲輪・堀切・土塁を歩いて体感する山城である
信貴山城の石垣・土塁
石垣 一部石積みあり
土塁 現存
種類 土塁、堀切、曲輪、虎口、山城、石積み
石材 自然石
特長 信貴山城は、石垣を主体とする近世城郭ではなく、信貴山の尾根や山腹を利用し、曲輪・堀切・土塁によって構成された戦国時代の山城である。山上部には複数の郭が展開し、雄嶽山頂から一段東に下った郭跡には縄張り図を載せた解説板が設置されている。城内には一部石積みも見られるが、城郭としての本質は、山の地形をそのまま防御施設として取り込んだ土の城にある。信貴山朝護孫子寺の参拝とあわせて、山城遺構を歩いて確認できる点も特徴である。
信貴山城DATA
別称 信貴城、信貴山城跡
所在地 奈良県生駒郡平群町
築城 戦国時代
築城者 木沢長政、松永久秀らにより整備
住所 奈良県生駒郡平群町信貴畑・信貴山周辺
電話番号 0745-45-1017
開館時間 信貴山城跡は見学自由。朝護孫子寺境内も参拝自由
休館日 なし
入館料 無料
備考 信貴山城跡は奈良県指定史跡である。信貴山朝護孫子寺の境内や周辺の山道と一体で見学する山城で、朝護孫子寺本堂からは大和平野を望める。公共交通ではJR・近鉄「王寺」駅から奈良交通バス「信貴山門」行きで「信貴大橋」下車、徒歩約5分で朝護孫子寺方面へアクセスできる。
信貴山城への交通アクセス
近鉄生駒線「信貴山下」駅からバス。

HISTORY 信貴山城について

信貴山城の歴史
戦国時代前期 木沢長政が信貴山城を拠点としたとされる
1559年 松永久秀が大和へ侵入し、信貴山城に入って大和支配を進める
1560年 松永久秀が信貴山城で茶会を開いた記録がある
1560年代 松永久秀が信貴山城と多聞城を拠点に、大和の国人衆を支配下に組み込む
1568年 三好康長に攻められて信貴山城が落城する
1568年 松永久秀が織田信長に帰属し、その支援を受けて信貴山城を回復する
1577年 松永久秀が織田信長に背き、信貴山城に籠城する
1577年 織田信忠軍に包囲され、信貴山城が落城する
1577年 松永久秀が信貴山城で自害し、城は廃城になったと考えられる
1980年 信貴山城跡から石臼と茶臼が発見される

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