- 郡山藩柳沢吉保の子孫たちが治める
- 郡山藩は、奈良県郡山市にあり郡山城を藩庁とした藩です。郡山城は豊臣政権時代に豊臣秀吉の異父弟、羽柴(豊臣)秀長によって治められ、一時期は100万石の城下町として栄えました。その後、大阪の陣では主戦場の
郡山城とは、奈良県大和郡山市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正8年(1580)に筒井順慶が築いたことに始まり、豊臣秀長の時代に大和支配の拠点として大きく整備された。増田長盛の時代には外堀普請が行われ、内堀・中堀・外堀を備えた惣堀の城郭として規模が定まった。江戸時代には水野氏・松平氏・本多氏・柳沢氏などが城主となり、郡山藩の政庁として機能した。現在は郡山城跡公園として整備され、天守台、石垣、堀、追手門、追手向櫓、追手東隅櫓などが城の面影を伝えている。
| 目的 | 大和支配の拠点、郡山藩の政庁、城下町形成の中心 |
|---|---|
| 特長 | 天守台、石垣、転用石、さかさ地蔵、惣堀、追手門、追手向櫓、柳沢文庫、桜の名所 |
| 他の城との違い | ・大和国最大規模の近世城郭として整備された ・寺院の礎石、石仏、墓石などを石垣に用いた転用石が多く見られる ・天守台石垣の「さかさ地蔵」や「伝・羅城門礎石」など、石材不足を背景とした特徴的な石垣が残る |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、転用石、天守台石垣、石垣、土塁、水堀、惣堀 |
| 石材 | 自然石、寺院礎石、石仏、墓石、五輪塔、宝篋印塔など |
| 特長 | 郡山城の石垣は、石材不足を補うため、寺院の礎石、石仏、墓石、五輪塔、宝篋印塔などを転用した石が多く使われている点が大きな特徴である。特に天守台石垣には「さかさ地蔵」や「伝・羅城門礎石」と呼ばれる転用石が見られ、郡山城を代表する見どころとなっている。石垣は自然石を用いた野面積を基調とし、天守台や本丸周辺に残る石垣から、豊臣秀長の時代に整備された大和支配の拠点としての規模を感じることができる。 |
| 別称 | 雁陣之城 |
|---|---|
| 所在地 | 奈良県大和郡山市 |
| 築城 | 1580年 |
| 築城者 | 筒井順慶 |
| 住所 | 奈良県大和郡山市城内町周辺 |
| 電話番号 | 0743-58-2171 |
| 開園時間 | 郡山城跡は見学自由。柳沢文庫は9時~17時。入館は16時30分まで |
| 休館日 | 郡山城跡はなし。柳沢文庫は月曜日・第4火曜日、夏期、年末年始、展示替え期間など |
| 入館料 | 郡山城跡は無料。柳沢文庫は一般300円、学生200円。中学生以下無料 |
| 備考 | 郡山城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。日本さくら名所100選にも選ばれており、春には約1,000本の桜が城跡を彩る。続日本100名城スタンプは柳沢文庫に設置されている。 |
郡山城は、奈良県大和郡山市にあった平城です。豊臣政権の頃は豊臣秀吉の異父弟羽柴秀長(豊臣秀長)の居城でもありました。江戸時代は郡山藩の藩庁として機能し、現在は桜の名所としても有名です。 そんな郡山城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1580年 | 筒井順慶が郡山城の築城を始める |
|---|---|
| 1585年 | 豊臣秀長が大和・和泉・紀伊を与えられ、郡山城に入る |
| 安土桃山時代 | 豊臣秀長により、郡山城が大和支配の拠点として大きく整備される |
| 1590年代 | 増田長盛により外堀普請が行われ、惣堀の構えを持つ城郭として整えられる |
| 江戸時代 | 水野氏・松平氏・本多氏などが城主となり、郡山藩の政庁として機能する |
| 1724年 | 柳沢吉里が甲府から郡山へ入り、以後、柳沢氏が明治維新まで郡山を治める |
| 1873年 | 廃城令により郡山城が廃城となる |
| 明治時代 | 城郭建造物の多くが失われる |
| 1980年代 | 追手門、追手向櫓、追手東隅櫓などが復元整備される |
| 2017年 | 続日本100名城に選定される |
| 2022年 | 郡山城跡が国の史跡に指定される |
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| 藩庁 | 郡山城 |
|---|---|
| 旧地域 | 大和国 |
| 石高 | 15万1000石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 水野家、松平家、本多家、柳沢家 |
| 推定人口 | 10万人(明治元年) |
奈良県大和郡山市にあった「郡山城」は、豊臣政権下で豊臣秀長が大和・紀伊・和泉100万石を治める拠点として暮らした城です。江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれました。続日本百名城にも認定されています。