元興寺奈良県奈良市

春の元興寺1 春の元興寺2 春の元興寺3 春の元興寺4 春の元興寺5 春の元興寺6 春の元興寺7 春の元興寺8
  • 飛鳥寺を前身とし、平城遷都にともなって奈良へ移された南都七大寺の一つ
  • ならまちに残る旧元興寺極楽坊を受け継ぐ、真言律宗の世界遺産寺院
  • 国宝本堂、国宝禅室、国宝五重小塔、飛鳥・奈良時代の古瓦で知られる古刹

元興寺とは、奈良県奈良市中院町にある真言律宗の寺院である。現在の元興寺は、かつての大寺院・元興寺の僧坊の一部を受け継ぐ寺院で、旧称を元興寺極楽坊という。元興寺の前身は、飛鳥に蘇我馬子が建立した法興寺、すなわち飛鳥寺である。法興寺は日本最初の本格的伽藍を持つ寺院とされ、平城京遷都にともない、飛鳥から奈良へ移されて元興寺となった。奈良時代の元興寺は南都七大寺の一つに数えられ、現在のならまち一帯を含む広大な寺域を持ち、金堂、講堂、五重塔、僧坊などが立ち並んでいた。しかし平安時代以降、寺勢は次第に衰え、広大な境内は分割されていった。その中で、奈良時代の僧坊の一部が浄土信仰の場として残り、智光曼荼羅を本尊とする極楽坊として信仰を集めた。現在の本堂、極楽堂は、鎌倉時代に僧坊を改築して成立した建物で、隣接する禅室とともに国宝に指定されている。屋根には、飛鳥寺から移されたと伝わる飛鳥・奈良時代の瓦が今も使われ、古代寺院の記憶を現在に伝えている。法輪館には、奈良時代の木造建築模型である国宝五重小塔、重要文化財の仏像や中世庶民信仰資料が収蔵されている。平成10年(1998)には「古都奈良の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。

元興寺の特長
目的 阿弥陀如来への信仰、智光曼荼羅による極楽往生祈願、浄土信仰、真言律宗の法灯継承、南都七大寺の歴史継承、古代寺院建築と古瓦の保存、ならまちの歴史文化継承、世界文化遺産としての文化財保存
特長 元興寺、元興寺極楽坊、極楽坊、真言律宗、南都七大寺、法興寺、飛鳥寺、蘇我馬子、聖徳太子、平城京、智光法師、礼光法師、智光曼荼羅、極楽堂、本堂、禅室、五重小塔、法輪館、ならまち、飛鳥時代の瓦、奈良時代の瓦、行基葺き、石仏、浮図田、地蔵会、世界文化遺産
他の寺院との違い ・飛鳥寺を前身とし、平城遷都にともなって奈良へ移された、古代日本仏教の始まりに関わる寺院である
・現在のならまち一帯は、かつて元興寺の広大な境内地であり、寺院と町の歴史が重なっている
・本堂と禅室は、奈良時代の僧坊を鎌倉時代に改築した建物で、古代僧房の面影を伝えている
・屋根には飛鳥・奈良時代の瓦が今も使われ、現役の建築部材として古代の瓦を見られる点が貴重である
・本尊は仏像ではなく、阿弥陀如来の極楽浄土を表した智光曼荼羅であり、南都の浄土信仰を象徴している
元興寺DATA
別称 元興寺極楽坊、極楽坊、ならまちの元興寺、南都七大寺の一つ
正式名称 元興寺
所在地 奈良県奈良市中院町
前身 法興寺、飛鳥寺。蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最初の本格的伽藍を持つ寺院とされる
奈良への移転 平城遷都にともない、飛鳥の法興寺が奈良へ新築移転され、元興寺となった
現在の寺院 奈良時代の元興寺僧坊の一部を受け継ぐ旧元興寺極楽坊である
宗派 真言律宗
本尊 智光曼荼羅。曼荼羅中の阿弥陀如来を本尊とする
主な関係者 蘇我馬子、聖徳太子、推古天皇、智光法師、礼光法師、弘法大師空海、良弁、行基、叡尊
主な建築 本堂、極楽堂、禅室、東門、法輪館
主な見どころ 国宝本堂、国宝禅室、国宝五重小塔、智光曼荼羅、法輪館、浮図田、石仏群、飛鳥・奈良時代の古瓦、行基葺きの屋根、ならまちとの関係
文化財指定 本堂、禅室、五重小塔は国宝。東門、木造阿弥陀如来坐像、木造弘法大師坐像、中世庶民信仰資料などは国指定重要文化財。平成10年(1998)に「古都奈良の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録
住所 奈良県奈良市中院町11
電話番号 0742-23-1377
拝観時間 9時~17時。入門は16時30分まで
休館日 原則無休。行事、法要、特別展、文化財保護等により変更の場合あり
拝観料 大人700円、中学生・高校生500円、小学生300円。秋季特別展期間中は大人800円、中学生・高校生600円、小学生400円。障がい者はそれぞれ半額
法輪館 拝観料に含まれる。国宝五重小塔、重要文化財の仏像、中世庶民信仰資料などを収蔵・展示する
主な行事 地蔵会、節分会、春季・秋季特別展など
アクセス 近鉄奈良駅から徒歩約15分。JR奈良駅から徒歩約20分。奈良交通バス「福智院町」下車、徒歩約5分
備考 奈良市には、中院町の真言律宗元興寺と、芝新屋町の華厳宗元興寺がある。一般に世界遺産「古都奈良の文化財」の元興寺として知られるのは、中院町の元興寺、旧元興寺極楽坊である。現在の本堂と禅室は、奈良時代の僧坊を鎌倉時代に改築したもので、僧坊建築の遺構として貴重である。屋根には飛鳥寺から移されたと伝わる飛鳥時代の瓦や奈良時代の瓦が残り、古代の建築部材が現在も使われている。境内の浮図田には多くの石塔・石仏が集められ、中世以降の庶民信仰の厚みを感じられる。元興寺はならまちの中心に位置し、奈良町資料館、ならまち格子の家、十輪院、福智院、猿沢池、興福寺とあわせて巡りやすい。
元興寺への交通アクセス
近鉄奈良線「近鉄奈良」駅から徒歩約13分。

HISTORY 元興寺について

元興寺の歴史
588年頃 蘇我馬子が飛鳥に法興寺、飛鳥寺の建立を始めたとされる。日本最初の本格的伽藍を持つ寺院とされる
596年 推古天皇4年、飛鳥寺の伽藍が完成したと伝わる
飛鳥時代 法興寺は蘇我氏の氏寺であると同時に、日本仏教の中心寺院として重要な役割を果たす
710年 和銅3年、平城京遷都が行われる
718年頃 養老2年頃、飛鳥の法興寺が平城京へ移され、元興寺として新たに整備されたとされる
奈良時代前期 元興寺は、蘇我氏寺から国家的性格を持つ官大寺へと変化し、南都七大寺の一つに数えられる
奈良時代 元興寺には金堂、講堂、五重塔、僧坊などが整えられ、現在のならまち一帯を含む広大な寺域を持つ
奈良時代 三論宗、法相宗などの教学が行われ、元興寺は南都仏教の学問寺として栄える
奈良時代 学僧・智光と礼光が元興寺に住し、智光曼荼羅の信仰が生まれたと伝わる
奈良時代後期 光明皇后の発願により建立された西小塔堂に、木造の五重小塔が安置されたと伝わる
平安時代 平安京遷都後、奈良の諸大寺は政治的中心から離れ、元興寺も次第に寺勢を失っていく
平安時代後期 浄土信仰が広がり、智光曼荼羅を祀る僧坊の一角が極楽往生を願う信仰の場として注目される
鎌倉時代前期 元興寺の僧坊の一部が改築され、智光曼荼羅を祀る本堂、極楽堂と禅室が整えられる
1244年 寛元2年頃、現在の本堂、極楽堂が成立したとされる
鎌倉時代 極楽坊は、智光曼荼羅を本尊とする浄土信仰の道場として庶民の信仰を集める
鎌倉時代 叡尊ら西大寺系の律僧が南都で活動し、元興寺周辺の信仰にも影響を与える
室町時代 元興寺の旧境内は町場化が進み、寺域の中に人々の生活空間が広がっていく
1451年 宝徳3年、土一揆により正本と伝えられた智光曼荼羅が焼失したとされる
1497年~1498年 明応6年から7年にかけて、興福寺大乗院門跡尋尊と極楽坊主良堯らにより、2代目の智光曼荼羅が制作される
中世 極楽坊は元興寺本体から独立した信仰空間として発展し、念仏、地蔵信仰、石仏信仰など庶民信仰の場となる
江戸時代 元興寺旧境内は「ならまち」として町家が建ち並ぶ地域へと発展する
江戸時代 極楽坊は、智光曼荼羅、石仏、地蔵信仰を中心に、奈良町の人々の信仰を集める
明治時代 近代の神仏分離や寺院制度の変化の中で、元興寺の旧境内はさらに縮小し、極楽坊の伽藍が中心的に残る
1901年 明治34年、本堂と禅室が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1943年~1950年 昭和18年から昭和25年にかけて禅室の修理工事が行われ、鎌倉時代僧房の姿に復原される
1955年 昭和30年、本堂と禅室が国宝に指定される
1962年 昭和37年、五重小塔が国宝に指定される
1965年 昭和40年頃から境内の発掘調査や文化財研究が進み、元興寺旧境内の実態解明が進められる
1978年 昭和53年、旧称「元興寺極楽坊」から寺名を「元興寺」と改める
1998年 平成10年、元興寺が「古都奈良の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
現代 元興寺は、国宝本堂、国宝禅室、国宝五重小塔、智光曼荼羅、古瓦、石仏群を通じ、古代寺院から中世庶民信仰、ならまち形成までの歴史を伝える
現在 元興寺は、飛鳥寺を前身とする南都七大寺の一つ、旧元興寺極楽坊を受け継ぐ真言律宗寺院、ならまちの中心にある世界文化遺産として、多くの参拝者を迎えている

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