唐招提寺奈良県奈良市

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  • 唐から来日した鑑真和上が、戒律を学ぶ修行道場として開いた律宗総本山
  • 奈良時代の金堂・講堂・宝蔵・経蔵を伝える、天平建築の宝庫
  • 鑑真和上坐像、盧舎那仏坐像、千手観音立像、金堂の鴟尾で知られる世界文化遺産

唐招提寺とは、奈良県奈良市五条町にある律宗総本山の寺院である。唐の高僧・鑑真和上が、天平宝字3年(759)に新田部親王の旧宅地を朝廷から与えられ、戒律を学ぶ人々のための修行道場を開いたことに始まる。創建当初は「唐律招提」と呼ばれ、鑑真和上の私寺として出発した。鑑真和上は、唐から日本へ戒律を伝えるために渡日を決意し、12年にわたり5度の渡航に失敗しながらも、天平勝宝5年(753)に6度目の航海で来日を果たした。日本では東大寺で5年を過ごし、多くの人々に戒を授けた後、晩年の5年を唐招提寺で過ごした。唐招提寺の境内には、奈良時代建立の金堂、平城宮の東朝集殿を移築した講堂、校倉造の宝蔵・経蔵などが残り、天平文化の息吹を現在に伝えている。金堂は奈良時代の寺院金堂として唯一現存する遺構で、堂内には盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などを安置する。御影堂には日本最古級の肖像彫刻とされる国宝・鑑真和上坐像が伝わり、通常は非公開で、毎年6月の開山忌を中心に特別公開される。平成10年(1998)には「古都奈良の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録された。

唐招提寺の特長
目的 戒律の伝授、僧侶の修行、律宗の法灯継承、鑑真和上への崇敬、盧舎那仏への信仰、薬師如来への信仰、千手観音への信仰、天平伽藍の保存、奈良時代建築と仏教美術の継承、世界文化遺産としての文化財公開
特長 唐招提寺、律宗総本山、鑑真和上、唐律招提、新田部親王旧宅地、戒律、授戒、金堂、講堂、鼓楼、宝蔵、経蔵、礼堂、御影堂、開山堂、新宝蔵、鑑真和上坐像、盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像、梵天・帝釈天立像、四天王立像、鴟尾、校倉造、天平建築、戒壇、うちわまき、古都奈良の文化財、世界文化遺産
他の寺院との違い ・唐から来日した鑑真和上が、戒律を学ぶ人々のために開いた律宗総本山である
・金堂は奈良時代の寺院金堂として唯一現存する遺構で、天平建築の姿を今に伝える
・講堂は平城宮の東朝集殿を移築・改造した建物で、奈良時代の宮殿建築を伝える貴重な遺構である
・校倉造の宝蔵・経蔵、鎌倉時代の鼓楼など、奈良時代から中世にかけての建築が境内に残る
・鑑真和上坐像をはじめ、鑑真の来日と日本の戒律制度の確立を象徴する寺宝を伝えている
唐招提寺への交通アクセス
近畿日本鉄道「西ノ京」駅から徒歩約12分。

HISTORY 唐招提寺について

唐招提寺の歴史
688年 鑑真和上が唐の揚州に生まれる
702年頃 鑑真和上が14歳で出家し、洛陽・長安などで修行を積む
713年 鑑真和上が故郷の大雲寺へ戻り、江南第一の大師と称されるようになる
742年 天宝元年、日本から唐へ渡っていた留学僧・栄叡と普照が、鑑真和上に日本への渡航と授戒の師となることを願う
743年~753年 鑑真和上は日本渡航を試みるが、嵐、妨害、漂流などにより5度失敗する。この過程で次第に視力を失ったと伝わる
753年 天平勝宝5年、鑑真和上が6度目の渡航で日本へ到着する
754年 天平勝宝6年、鑑真和上が東大寺で聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇をはじめ多くの人々に戒を授ける
754年以後 鑑真和上は東大寺で約5年を過ごし、日本に正式な戒律を根づかせるために活動する
759年 天平宝字3年、鑑真和上が新田部親王の旧宅地を朝廷から下賜され、戒律を学ぶ人々のための修行道場を開く。これが唐招提寺の創建である
創建当初 寺は「唐律招提」と名付けられ、鑑真和上の私寺として始まる
創建当初 講堂、新田部親王旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあり、現在の大伽藍とは異なる簡素な道場であった
763年 天平宝字7年、鑑真和上が唐招提寺で入寂する
奈良時代後半 鑑真和上の弟子である如宝らの尽力により、金堂の造営が進められる
8世紀後半 金堂が完成したと伝わる。奈良時代寺院金堂の姿を伝える建築として現在に残る
奈良時代 講堂は平城宮の東朝集殿を移築して改造されたとされ、僧侶の講義や法会の場となる
奈良時代 経蔵と宝蔵が整えられる。校倉造の倉として、寺の経典や宝物を守る役割を担う
平安時代 唐招提寺は律宗の道場として存続し、鑑真和上への崇敬と戒律の伝統を守り続ける
平安時代後期 金堂などに修理が加えられ、堂宇の維持が続けられる
鎌倉時代 戒律復興の動きが強まり、唐招提寺も律宗の重要寺院として再び注目される
1240年 仁治元年、覚盛上人が唐招提寺に入り、戒律復興に尽力する
鎌倉時代中期 覚盛上人を中心に、唐招提寺で戒律の復興が進められる
1255年 建長7年、覚盛上人が入寂する
鎌倉時代後期 覚盛上人の遺徳をしのぶ行事として、のちの「うちわまき」につながる信仰が生まれる
1240年~1270年代 鼓楼、礼堂などが整えられ、鎌倉時代の伽藍整備が進む
1321年~1324年 元亨年間、金堂の屋根葺替などの修理が行われる
室町時代 戦乱の影響を受けながらも、唐招提寺は鑑真和上ゆかりの律宗寺院として信仰を保つ
江戸時代 幕府や諸大名、信徒の支援により、金堂や諸堂の修理が行われる
1688年~1704年 元禄年間、金堂の解体修理が行われる
江戸時代 御影堂や開山堂など、鑑真和上を顕彰する空間が整えられていく
明治時代 近代の文化財保護制度の中で、唐招提寺の奈良時代建築や仏像の価値が改めて評価される
1898年~1899年 明治31年から32年にかけて、金堂の大規模な保存修理が行われる
1901年 明治34年、金堂、講堂、鼓楼、宝蔵、経蔵などが旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1951年 昭和26年、金堂、講堂、鼓楼、宝蔵、経蔵などが国宝に指定される
1964年 昭和39年、鑑真和上坐像が国宝に指定される
1970年代 御影堂が整備され、東山魁夷による障壁画など、鑑真和上を顕彰する近代の文化空間が形成される
1998年 平成10年、唐招提寺が「古都奈良の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録される
2000年~2009年 金堂平成大修理が行われ、奈良時代建築を後世へ伝えるための大規模保存修理が実施される
2009年 平成21年、金堂平成大修理が完了し、落慶法要が営まれる
現代 鑑真和上坐像は通常非公開で、毎年6月5日から7日の開山忌を中心に特別公開される
現在 唐招提寺は、鑑真和上が開いた律宗総本山、奈良時代建築の宝庫、古都奈良の世界文化遺産として、多くの参拝者を迎えている

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