松坂城三重県松阪市

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  • 蒲生氏郷が築いた伊勢の近世城郭
  • 天守や櫓は残らないが、豪壮な石垣が残る城
  • 現在は松阪公園として整備され、城下町を一望できる

松坂城とは、三重県松阪市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正16年(1588)に、豊臣秀吉から南伊勢を与えられた蒲生氏郷が、四五百森と呼ばれる独立丘陵に築いた。氏郷は城の築城とともに城下町を整備し、商人を集めて松阪発展の基礎を築いた。現在、天守や櫓などの建物は残らないが、本丸・二の丸・隠居丸などに豪壮な石垣が残り、松阪を代表する城跡として整備されている。

松坂城の特長
目的 南伊勢支配の拠点、蒲生氏郷の居城、松阪城下町形成の中心
特長 蒲生氏郷、平山城、野面積、打込接、天守台、松阪公園、本居宣長旧宅
他の城との違い ・蒲生氏郷が築いた伊勢の代表的な近世城郭である
・現存建物はないが、城跡全体に豪壮な石垣が残る
・城跡内には本居宣長旧宅「鈴屋」や松阪市立歴史民俗資料館があり、城と城下町文化をあわせて学べる
松坂城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、算木積み、石垣、天守台、曲輪、平山城
石材 自然石、割石など
特長 松坂城の最大の見どころは、本丸・二の丸・隠居丸などに残る豪壮な石垣である。自然石を用いた野面積を基調としながら、場所によって打込接や隅部の算木積みも見られる。天守や櫓などの建物は残っていないが、高く積まれた石垣と曲輪の配置から、蒲生氏郷が築いた近世城郭の規模を感じることができる。石垣の上からは、松阪の城下町を見渡すことができる。
松坂城DATA
別称 松阪城、四五百城、鶴城
所在地 三重県松阪市
築城 1588年
築城者 蒲生氏郷
住所 三重県松阪市殿町
電話番号 0598-23-7771
開園時間 松坂城跡は見学自由。松阪市立歴史民俗資料館は4月~9月が9時~16時30分、10月~3月が9時~16時
休園日 松坂城跡はなし。松阪市立歴史民俗資料館は月曜日、祝日の翌平日、年末年始、展示替え期間
入園料 松坂城跡は無料。松阪市立歴史民俗資料館は一般150円、6歳以上18歳以下70円
備考 松坂城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。現在は松阪公園として整備され、城内には本居宣長旧宅「鈴屋」、松阪市立歴史民俗資料館、松阪神社などがある。城跡内に現存城郭建造物はない。
松坂城への交通アクセス
JR紀勢本線・近鉄山田線 松阪駅から徒歩約15分。

HISTORY 松坂城について

松坂城の歴史
1584年 蒲生氏郷が羽柴秀吉により松ヶ島城へ入る
1588年 蒲生氏郷が四五百森の独立丘陵に松坂城を築き、入城する
安土桃山時代 蒲生氏郷が城下町を整備し、有力商人を集めて松阪発展の基礎を築く
1590年 蒲生氏郷が会津へ移封される
江戸時代 紀州藩領となり、松坂城には城代が置かれる
1644年 台風により天守が倒壊したと伝わる
江戸時代 松坂は城下町・商業都市として発展し、松阪商人を生み出す
1871年 廃藩置県により城としての役割を終える
明治時代 城内の建物が失われ、城跡は公園として整備されていく
1909年 本居宣長旧宅「鈴屋」が魚町から松坂城跡へ移築される
2006年 日本100名城に選定される
2011年 松坂城跡が国の史跡に指定される

松坂城と関連する人物記を読む

織田信雄信長亡き後の織田家当主
室町時代後期、戦国と呼ばれた世界で織田信長は勢力を広めます。ところが信長は本能寺の変で、明智光秀によって自害に追い込まれました。この信長亡き後の織田家当主となったのが織田信雄です。信雄は信長の次男とし

松坂城を藩庁とする、松坂藩の歴史

対い鶴

蒲生氏家紋「対い鶴」

松坂藩DATA
藩庁 松坂城
旧地域 伊勢国
石高 5万5000石
譜代・外様 外様
主な藩主 古田氏

東軍に与した吉田重勝が5万5,000石に加増されて立藩。その後弟の吉田重治が跡を継いだが移封。松坂は紀州藩の領地となる。

松坂城(松阪城)、蒲生氏郷が築いた石垣の名城

三重県松阪市にある松坂城は、天正16年(1588年)に蒲生氏郷によって築かれた平山城です。日本百名城にも選ばれた城の美しい高石垣は、松坂市のシンボル的存在として知られています。城跡内は公園として整備されており、桜や藤、イチョウの名所としても有名です。

松坂城
松坂城の歴史
松坂城を築いた蒲生氏郷はもとは織田信長に仕えた武将で、信長の娘・冬姫と結婚した、信長の娘婿にあたる武将です。天正10年(1582年)に信長が本能寺の変で自刃した後は豊臣秀吉に仕えました。天正12年(1584年)に秀吉からこれまでの功績が評価され、南伊勢12万3000石の飯高郡松ヶ島城主となりました。
氏郷は城下が手狭だったことから新たな城を築城しようと、松ヶ島城の南約4kmにある四五百森(よいほのもり)に目を付けます。そして築城を開始し、天正16年(1588年)に平山城「松坂城」を完成させました。城は本丸、二の丸、きたい丸、隠居丸、出丸などの郭で構成され、外郭には堀や水堀を巡らせました。また、本丸の天守台には3重5階の天守がそびえていました。
氏郷が小田原征伐の軍功で天正18年(1590年)に会津60万石に転封された後、松坂城には服部一忠が3万5000石で入城します。ところが一忠は豊臣秀次切腹事件に連座したことで自害。代わって古田重勝が3万4千石で入城し、後に関ヶ原の戦いの軍功により2万石を加増されました。その後、息子の古田重恒が跡を継ぎますが、幼少のため重勝の弟である古田重治が代行しました。
元和5年(1619年)になると紀州徳川家の祖・徳川頼宣の領地となり、以後は城代が置かれ、紀伊藩領伊勢支配の拠点のひとつとして機能しました。なお、正保元年(1644年)に天守が台風で倒壊し、以後は土台のみとなっています。
江戸時代を通じて城は維持されましたが、明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となり、建物の多くが取り壊されました。現在は公園として整備され、石垣や郭の構成が良好な状態で残っています。平成18年(2006年)には日本100名城に選定され、平成23年(2011年)には「松坂城跡」として国の史跡に指定されました。
松坂城の見どころ①高石垣
松坂城の一番の見どころは、本丸や二の丸に今も残る高石垣です。最大で高さ10m超の石垣は見ごたえがあります。最も古いものは蒲生氏郷築城当時の野面積みのもので、近江から穴太衆を招いて造られたもの。天守跡や本丸跡で見ることができます。
松坂城の築城の際、大量の石が必要だったため、城の周辺の石がかき集められました。このため石垣には転用石も多く、古墳時代の石棺の蓋が使われていた様子が天守台などから分かります。
二の丸や隠居丸のあたりの石垣は打ち込みハギ。二の丸の石垣の隅は算木積みで、江戸時代に修復された後世の石垣です。
松坂城の見どころ1 松坂城の見どころ2 松坂城の見どころ3
松坂城の見どころ②隠居丸跡の本居宣長旧宅
本丸南の隠居丸跡は、もともと道具蔵や宝蔵、米蔵があった場所です。現在は松坂出身の江戸時代の国学者で『古事記伝』を記した本居宣長の旧宅が移築されています。
旧宅は宣長が12歳から72歳に亡くなるまで暮らした家で、現在は1階にある宣長が医療活動をした「店の間」や、講釈や歌会に使用したという「奥の間」が見学できます。2階の書斎「鈴屋」は非公開ですが、石垣上にある見学場所から内部を除くことができます。
松坂城の見どころ4 松坂城の見どころ5 松坂城の見どころ6
松坂城の見どころ②三の丸の御城番屋敷
松坂城の裏門跡の先、三の丸跡には武家屋敷「御城番屋敷」が並びます。かつて城を警護する「御城番」の武士20名とその家族が住んだ武家の組屋敷で、現在も子孫が住んでいます。このうちの西棟北端にある1棟は現在公開されており、内部が見学できます。
広々とした土間や縁側など、江戸時代の風情が残る建物にはレトロな小道具が展示されており、当時の人々の生活を垣間見ることができます。映画『るろうに剣心 最終章 The Beginning』のロケ地にもなりました。
松坂城の見どころ7 松坂城の見どころ8 松坂城の見どころ9
松坂城のおすすめフォトスポット
松坂城には表門や天守台跡、二の丸の石垣など、さまざまな石垣撮影スポットがあるので、散策しながら撮影を楽しみましょう。また、御城番屋敷の石畳の通りと垣根は江戸時代を思わせる美しいスポットです。松坂城跡の徳川陣屋跡からは全体を俯瞰する写真が撮影できますよ。
松坂城の見どころ10 松坂城の見どころ11 松坂城の見どころ12
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。