- 広島藩浅野家が治め続ける
- 広島は、戦国時代に毛利家が陶氏(大内氏)を滅ぼして自らの領地とした場所です。広島藩の藩庁であった広島城は毛利元就の孫にあたる毛利輝元によって建てられました。 しかし、慶長5年(1600年)に起こった関
広島城とは、広島県広島市中区にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正17年(1589)に毛利輝元が太田川デルタ上で築城を始め、城と城下町を一体で整備した。関ヶ原の戦い後は福島正則が入り、その後、浅野長晟を初代として浅野氏が代々広島藩を治めた。明治以降も天守や一部の建物が残っていたが、1945年8月6日の原爆投下により天守は倒壊し、門や櫓も焼失した。現在は広島城跡として整備され、復興天守、二の丸復元建物、石垣、堀、被爆樹木などが広島城の歴史を伝えている。
| 目的 | 毛利氏の本拠、広島藩の政庁、太田川デルタと瀬戸内海交通の支配拠点 |
|---|---|
| 特長 | 平城、水堀、石垣、復興天守、二の丸復元建物、浅野氏、被爆樹木、広島大本営跡 |
| 他の城との違い | ・毛利輝元が太田川デルタに築いた大規模な平城である ・原爆により旧天守や城郭建造物が失われ、戦後復興の象徴として天守が再建された ・近世城郭、軍都広島、被爆と復興の記憶が同じ城跡に重なる |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、打込接、石垣、水堀、平城、枡形、曲輪 |
| 石材 | 花崗岩など |
| 特長 | 広島城は、太田川デルタ上に築かれた平城で、石垣と水堀を組み合わせて防御した城である。本丸・二の丸周辺には石垣と堀が残り、二の丸表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓は平成6年(1994)に復元されている。石垣は、毛利期・福島期・浅野期の改修が重なった城郭遺構として見る必要がある。特に福島正則は無断修築を理由に改易されたことで知られ、広島城の石垣は単なる防御施設ではなく、江戸幕府による大名統制を考える上でも重要である。 |
| 別称 | 鯉城、在間城、当麻城 |
|---|---|
| 所在地 | 広島県広島市 |
| 築城 | 1589年 |
| 築城者 | 毛利輝元 |
| 住所 | 広島県広島市中区基町21-1 |
| 電話番号 | 082-221-7512 |
| 開館時間 | 広島城天守は2026年3月に閉城。二の丸復元建物などの公開時間は公式情報の確認が必要 |
| 休館日 | 広島城天守は閉城中。公開施設は施設ごとに異なる |
| 入館料 | 広島城天守は閉城中。公園散策は無料 |
| 備考 | 現在の天守は1958年に広島復興大博覧会に合わせて建てられた鉄筋コンクリート造の復興天守である。老朽化などを理由に2026年3月に閉城し、外観のみ鑑賞できる。二の丸表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓は1994年に復元された。城内には広島大本営跡や被爆樹木も残り、城郭史と近代史の両面から見学できる。 |
広島城は、広島県広島市中区に築かれていた平城です。毛利氏14代目当主であり毛利元就の孫にあたる毛利輝元によって築城され、明治時代まで広島藩の藩庁として機能しました。
1945年に広島市に投下された原子爆弾により、現存していた天守閣などはすべて倒壊し、1958年に再建されました。そんな広島城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1588年 | 毛利輝元が上洛し、聚楽第や大坂城などを見て新たな本拠地築城を構想する |
|---|---|
| 1589年 | 毛利輝元が五ケ村で鍬初めを行い、この地を広島と名付ける |
| 1589年 | 毛利輝元が広島城の堀普請を家臣に命じる |
| 1590年 | 広島の町割が進められ、城下町整備が本格化する |
| 1591年 | 毛利輝元が広島城に入城する |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い後、毛利氏が防長二国へ減封され、福島正則が広島城主となる |
| 1619年 | 福島正則が広島城の無断修築を理由に改易される |
| 1619年 | 浅野長晟が広島城に入り、以後、浅野氏が明治維新まで広島藩を治める |
| 江戸時代 | 広島城が広島藩の政庁として機能し、城下町が発展する |
| 明治時代 | 城内に軍事施設が置かれ、日清戦争時には広島大本営が設けられる |
| 1931年 | 広島城天守が国宝に指定される |
| 1945年 | 原爆投下により天守が倒壊し、残っていた門や櫓も焼失する |
| 1958年 | 広島復興大博覧会に合わせ、現在の復興天守が建てられる |
| 1994年 | 二の丸表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が復元される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2026年 | 老朽化などにより広島城天守が閉城する |
広島城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 広島城 |
|---|---|
| 旧地域 | 安芸国安芸郡広島 |
| 石高 | 42万6000石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 福島家、浅野家 |
| 推定人口 | 91万人(明治元年) |
広島のシンボル的存在の広島城。毛利輝元が現在の広島市に築城した城で、「鯉城」の別名で知られています。一説によれば城が建てられた一帯が「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたことにちなんだもので、「広島東洋カープ」の名の由来(カープは英語で鯉の意)にもなっています。