三原城広島県三原市

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  • 小早川隆景が築いた瀬戸内海の海城
  • 満潮時に海に浮かぶように見えた「浮城」
  • 現在は三原駅周辺に天主台・船入櫓跡・中門跡の石垣が残る

三原城とは、広島県三原市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。永禄10年(1567)に小早川隆景が築城を始めたとされ、大島・小島をつないだ埋め立て地に築かれた。瀬戸内海に面した城郭兼軍港として整備され、満潮時には海に浮かぶように見えたことから「浮城」とも呼ばれる。現在は市街地化と鉄道敷設により城域の多くが失われているが、三原駅周辺に天主台、船入櫓跡、中門跡、石垣、堀の一部が残り、瀬戸内海を押さえた小早川氏の城の姿を伝えている。

三原城の特長
目的 小早川氏の本拠、瀬戸内海水運の支配、城郭兼軍港、備後南部の政治・軍事拠点
特長 小早川隆景、浮城、海城、天主台、船入櫓跡、中門跡、石垣、三原駅、瀬戸内海
他の城との違い ・瀬戸内海に面した城郭兼軍港として築かれた
・現在の三原駅が本丸跡を横切るように建ち、駅周辺に城跡が点在する
・天主台は日本有数の広さを持つとされ、広島城の天守閣が複数入る規模と紹介されている
三原城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部痕跡あり
種類 アブリ積み、石垣、天主台、船入櫓、海城、平城、軍港
石材 自然石、割石など
特長 三原城の石垣は、天主台や船入櫓跡、中門跡などに残る。特に天主台は大規模で、裾を引いた扇の勾配を持つ美しい石垣として知られる。三原観光協会では、三原城の石垣に「アブリ積み」と呼ばれる特殊な工法が伝わると紹介している。船入櫓跡では、城が海と直接つながっていた軍港としての性格を感じることができる。城跡としては、天主台の巨大さ、船入櫓跡の石垣、海城としての立地をあわせて見るのが三原城の大きな特徴である。
三原城DATA
別称 浮城、玉壺城
所在地 広島県三原市
築城 1567年
築城者 小早川隆景
住所 広島県三原市館町・城町・本町周辺
電話番号 0848-67-6014
開館時間 三原城跡は見学自由。船入櫓跡の櫓台上広場は8時~17時
休館日 なし
入館料 無料
備考 三原城跡は国指定史跡「小早川氏城跡(三原城跡)」で、続日本100名城にも選定されている。現在は三原駅周辺に天主台、船入櫓跡、中門跡、石垣、堀の一部が残る。天主台へは三原駅構内からアクセスできる。城域の多くは市街地化しているため、駅周辺に点在する遺構を歩いて巡る城跡である。
三原城への交通アクセス
JR「三原」駅、徒歩0分

HISTORY 三原城について

三原城の歴史
1567年 小早川隆景により、大島・小島をつないだ埋め立て地に三原城の築城が始まったとされる
戦国時代後期 三原城が小早川氏の本拠となり、瀬戸内海水運を押さえる城郭兼軍港として整備される
1595年 小早川隆景が隠居し、三原城に移る
1597年 小早川隆景が三原城で死去する
1600年 関ヶ原の戦い後、福島正則が安芸・備後へ入り、三原城も福島氏の支配下となる
慶長年間 福島正則統治期にかけて、三原城が現在見られる城郭として整備されたと考えられる
1619年 福島正則が改易され、浅野氏が広島藩主となる
江戸時代 三原城には広島藩の三原浅野家が入り、備後南部の要地として機能する
明治時代 廃城後、城郭建造物の多くが失われる
1894年 山陽鉄道の開通により、三原駅が本丸跡を横切る形で設けられる
1957年 三原城跡が国の史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される

三原城を居城とする、広島藩の歴史

広島藩浅野家が治め続ける
広島は、戦国時代に毛利家が陶氏(大内氏)を滅ぼして自らの領地とした場所です。広島藩の藩庁であった広島城は毛利元就の孫にあたる毛利輝元によって建てられました。 しかし、慶長5年(1600年)に起こった関
広島藩DATA
藩庁 広島城
旧地域 安芸国安芸郡広島
石高 42万6000石
譜代・外様 外様
主な藩主 福島家、浅野家
推定人口 91万人(明治元年)