吉田郡山城とは、広島県安芸高田市吉田町にある中世から戦国時代にかけての山城跡である。安芸国吉田庄に根を下ろした毛利氏の本拠であり、毛利元就の時代には郡山全山を城郭化する大規模な山城へと拡張された。標高約400メートルの山上には本丸・二の丸・三の丸などの曲輪が置かれ、周囲の尾根にも多数の郭が展開した。尼子氏との郡山合戦をはじめ、毛利氏が中国地方の戦国大名へ成長していく過程を伝える重要な城跡である。現在は国指定史跡「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」として保存され、毛利元就墓所や毛利一族墓所とあわせて見学できる。
| 目的 | 毛利氏の本拠、安芸国吉田庄の支配拠点、中国地方制覇の軍事・政治拠点 |
|---|---|
| 特長 | 毛利元就、郡山合戦、全山城郭化、曲輪群、土塁、堀切、毛利元就墓所、毛利一族墓所 |
| 他の城との違い | ・毛利氏が長く本拠とした山城である ・毛利元就の時代に、郡山全山を取り込む巨大な山城へ拡張された ・石垣や天守を見せる近世城郭ではなく、山全体に広がる曲輪・土塁・堀切を歩いて体感する城である |
| 石垣 | 一部石垣跡あり |
|---|---|
| 土塁 | 現存 |
| 種類 | 土塁、堀切、竪堀、曲輪、石垣跡、山城、惣構 |
| 石材 | 自然石など |
| 特長 | 吉田郡山城は、石垣を主体とする近世城郭ではなく、郡山の尾根や斜面を利用して多数の曲輪を配置した大規模な山城である。毛利元就の時代には城域が郡山全山へ広がり、城内には270段余りの平段があったとされる。山上には本丸・二の丸・三の丸、御蔵屋敷跡、釣井の壇などがあり、尾根筋には堀切や竪堀が設けられている。三の丸下通路には石垣跡も残るが、城の本質は石垣ではなく、山全体を要塞化した曲輪群と土の防御施設にある。 |
| 別称 | 郡山城、安芸郡山城 |
|---|---|
| 所在地 | 広島県安芸高田市 |
| 築城 | 南北朝時代頃 |
| 築城者 | 毛利氏 |
| 住所 | 広島県安芸高田市吉田町吉田郡山周辺 |
| 電話番号 | 0826-42-0070 |
| 開館時間 | 吉田郡山城跡は見学自由。安芸高田市歴史民俗博物館は9時~17時 |
| 休館日 | 吉田郡山城跡はなし。安芸高田市歴史民俗博物館は火曜日、祝休日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日)など |
| 入館料 | 吉田郡山城跡は無料。安芸高田市歴史民俗博物館は大人500円、中学生以下無料 |
| 備考 | 吉田郡山城跡は国指定史跡「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」の一部で、日本100名城にも選定されている。登城前後に安芸高田市歴史民俗博物館を見学すると、毛利氏と郡山城の歴史を理解しやすい。城跡には毛利元就墓所、毛利一族墓所、毛利隆元墓所なども残る。 |
| 南北朝時代 | 安芸国吉田庄に定着した毛利氏が、郡山を本拠の山城として整備し始めたとされる |
|---|---|
| 15世紀中頃 | 郡山の南東尾根に、毛利氏の本拠城が存在していたと考えられる |
| 1497年 | 毛利元就が誕生する |
| 1523年 | 毛利元就が毛利氏の家督を継ぐ |
| 戦国時代中期 | 毛利元就の時代に、郡山城が郡山全山へ拡張される |
| 1540年 | 尼子晴久が大軍で吉田郡山城を攻め、郡山合戦が始まる |
| 1541年 | 毛利元就が大内氏の援軍とともに尼子軍を退け、郡山合戦に勝利する |
| 1555年 | 厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢を破り、毛利氏が中国地方の有力大名へ成長する |
| 1571年 | 毛利元就が死去し、郡山城内の洞春寺跡に葬られる |
| 1591年 | 毛利輝元が本拠を広島城へ移す |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い後、毛利氏が防長二国へ減封され、吉田郡山城は廃城となる |
| 1940年 | 毛利氏城跡として国の史跡に指定される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
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