- 熊本藩加藤家と細川家が治める
- 熊本藩は「肥後藩」とも呼ばれ、球磨郡・天草郡を除く地域と豊後国の一部を治めた藩です。藩庁は熊本城であり、「築城の名手」と呼ばれた加藤清正を祖とする加藤家と細川家によって治められました。そんな熊本藩の歴
熊本城とは、熊本県熊本市中央区にある江戸時代初期の城である。加藤清正が築いた城として知られ、慶長12年(1607)に完成したとされる。旧城域は約98万平方メートル、周囲約5.3キロメートルに及ぶ広大な規模を持ち、大小天守、櫓、櫓門、城門を備えた西国有数の近世城郭であった。加藤家改易後は細川氏の居城となり、熊本藩の政庁として機能した。明治10年(1877)の西南戦争直前に天守や本丸御殿などを焼失したが、宇土櫓など築城当時の建物も残る。平成28年(2016)の熊本地震で大きな被害を受け、現在も復旧工事が進められている。
| 目的 | 肥後国支配の拠点、熊本藩の政庁、西国支配と九州防衛の要衝、城下町形成の中心 |
|---|---|
| 特長 | 加藤清正、細川氏、武者返し、宇土櫓、大小天守、本丸御殿、飯田丸五階櫓、長塀、復旧工事、桜の馬場城彩苑、日本100名城 |
| 他の城との違い | ・加藤清正が築いた実戦的な大規模近世城郭である ・下部は緩やかで、上部へ向かうほど反り返る「武者返し」の石垣が大きな特徴である ・西南戦争、熊本地震という二度の大きな損傷を経て、復旧の過程そのものを公開している城である |
| 石垣 | 現存・復旧整備中 |
|---|---|
| 土塁 | 一部現存 |
| 種類 | 野面積、打込接、切込接、算木積み、武者返し、高石垣、天守台、櫓台、枡形虎口、平山城 |
| 石材 | 安山岩、凝灰岩など |
| 特長 | 熊本城の石垣は、通称「武者返し」と呼ばれる反りのある高石垣で知られる。下部は緩やかで登れそうに見えるが、上へ行くほど勾配が急になり、敵の侵入を防ぐ構造になっている。竹の丸から飯田丸に向かう通路は何度も折れ曲がり、高石垣と櫓門を組み合わせて守る複雑な防御線を形成していた。平成28年(2016)の熊本地震では多くの石垣が崩落・変形したため、現在も石材の回収、解体、積み直し、建造物の復旧が進められている。熊本城では、完成した石垣だけでなく、復旧途中の石垣を通して、城郭修復の技術と時間を見学できる点も重要である。 |
| 別称 | 銀杏城 |
|---|---|
| 所在地 | 熊本県熊本市 |
| 築城 | 1601年頃着工、1607年完成とされる |
| 築城者 | 加藤清正 |
| 住所 | 熊本県熊本市中央区本丸1-1 |
| 電話番号 | 096-223-5011 |
| 開園時間 | 熊本城特別公開は9時~17時。最終入園は16時。天守閣最終登閣は16時30分まで |
| 休園日 | 12月29日。荒天などにより休園の場合あり |
| 入園料 | 高校生以上800円、小・中学生300円、未就学児無料。30名以上の団体は高校生以上640円、小・中学生240円 |
| 備考 | 熊本城跡は国指定特別史跡で、日本100名城にも選定されている。天守閣は昭和35年(1960)に鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元され、平成28年(2016)の熊本地震で被災した後、令和3年(2021)3月に完全復旧した。宇土櫓は築城当初から現存する唯一の多重櫓で、国指定重要文化財である。宇土櫓は2022年から本格的な解体復旧が進められており、完成は2032年予定である。日本100名城スタンプは各券売所、南口券売所・北口券売所に設置されている。 |
熊本城は、慶長12年(1607年)現在の熊本県熊本市中央区にある茶臼山丘陵一帯に建てられた平城です。築城の名手と名高い加藤清正によって築かれました。平成28年(2016年)に熊本地震で大きな被害を受けましたが、令和3年(2021年)にようやく天守閣復旧工事が終了し、往年の姿を取り戻します。そんな熊本城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1467年~1469年頃 | 菊池氏一族の出田秀信が、茶臼山周辺に千葉城を築いたと伝わる |
|---|---|
| 1496年頃 | 鹿子木親員が隈本城を築いたと伝わる |
| 1588年 | 加藤清正が肥後北半国の領主として隈本城に入る |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い後、加藤清正が肥後一国52万石の大名となる |
| 1601年頃 | 加藤清正が茶臼山一帯で新たな城の築城を本格化させる |
| 1607年 | 熊本城が完成したとされ、「隈本」から「熊本」へ改められたと伝わる |
| 1611年 | 加藤清正が死去する |
| 1632年 | 加藤家が改易され、細川忠利が肥後熊本藩主として入城する |
| 江戸時代 | 細川氏が代々熊本藩を治め、熊本城が藩政の中心となる |
| 1877年 | 西南戦争直前の火災により、天守や本丸御殿など多くの建物が焼失する |
| 1877年 | 西南戦争で熊本城が政府軍の拠点となり、西郷軍の攻撃に耐える |
| 1960年 | 明治時代初期の写真などをもとに、大小天守が外観復元される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2008年 | 本丸御殿大広間が復元される |
| 2016年 | 熊本地震により、石垣の崩落、建造物の倒壊・破損など甚大な被害を受ける |
| 2021年 | 天守閣が完全復旧する |
| 2022年 | 宇土櫓の本格的な解体復旧が始まる |
| 2023年 | 監物櫓が復旧完了する |
| 2032年予定 | 宇土櫓の復旧完成が予定されている |
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| 藩庁 | 熊本城 |
|---|---|
| 旧地域 | 肥後国飽田郡熊本 |
| 石高 | 54万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 加藤家、細川家 |
| 推定人口 | 64万8277人(文政11年) |
熊本県熊本市の熊本城は、加藤清正が築いた天下の名城として知られるお城です。日本三名城で「武者返し」と呼ばれる強固な石垣が有名ですが、2016年の熊本地震により石垣が崩落し、復元天守や重要文化財建造物13棟、石垣などが大きな被害を受けました。2024年現在も修復が続いています。