富岡城熊本県天草郡

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富岡城DATA
別称 臥龍城
築城 1605年
住所 熊本県天草郡苓北町富岡2245-15
富岡城への交通アクセス
JR「宇土」駅よりバスで約6分、徒歩約12分

HISTORY 富岡城について

富岡城と関連する事件を読む

島原の乱鎖国のきっかけとなったキリシタンたちの反乱
江戸時代初期、キリシタン農民たちによる大規模な反乱が発生します。それが寛永14年(1637年)10月25日から翌寛永15年(1638年)2月28日まで、約半年間にわたって続いた「島原の乱」です。「島原

富岡城と関連する人物記を読む

天草四郎島原の乱で散ったキリシタン
戦国時代が終わり、天下統一された当初は布教が制限されつつも認められていたキリスト教ですが、江戸時代になると締め付けが厳しくなり、ついにキリシタンは弾圧される事態になります。 しかし、布教や信仰を禁止す

富岡城、島原・天草の乱を耐え抜いた、海に囲まれた城

熊本県天草郡苓北町にあった富岡城は、肥前唐津藩の寺沢広高が築城した平山城です。天草下島の北西、海に細長く突き出た富岡半島の丘陵に位置し、三方を海に囲まれた難攻不落の城は、島原・天草の乱の際も一揆軍の猛攻に耐え抜きました。現在は櫓や高麗門などが再建されています。

富岡城
富岡城の歴史
富岡城は慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いの功績で天草郡を加増された肥前唐津藩(現佐賀県唐津市)藩主・寺沢広高が、天草郡を治めるために築城した城です。慶長7年(1602年)ごろから築城をスタートし、慶長10年(1605年)には完成しました。広高は城に城代を置き、天草統治の拠点としました。
広高は天草郡を「4万2千石」と算定しましたが、実はこの石高は実際の2倍にあたり、年貢の取り立ては領民達にとってかなり厳しいものとなりました。寛永10年(1633年)に2代目藩主に就任した息子の寺沢堅高も、父と同様厳しく年貢を取り立て、住宅税などの税金を付加して納入できない領民を拷問。さらに同地に多かったキリシタンを厳しく弾圧しました。
このため寛永14年(1637年)にはキリシタン農民たちによる一揆「島原・天草の乱」が発生。天草四郎率いる約3500人の一揆勢が富岡城に攻め寄せました。。一揆勢を迎え撃ったのは城代・三宅藤兵衛の率いる1500の兵たち。藤兵衛は城から討ち出て一揆勢の猛攻に耐えますが討ち死にします。その後は原田嘉種が息子たちと必死に抗戦し、結局一揆勢は富岡城を攻め落とせずに撤退し、海を渡って原城(長崎県南島原市)に籠城しました。
島原・天草の乱で落城を免れた富岡城でしたが、乱の責任をとり堅高は天草郡を没収され、代わって備中国成羽藩(岡山県高梁市)より山崎家治が4万2千石で入封し、富岡藩(天草藩)となりました。家治は大手門を造営し、百間土手を整備するなど富岡城を修築・拡張しました。しかし、寛永18年(1641年)に城の改修が終了すると、家治は讃岐国丸亀城(香川県丸亀市)に移り、天草は天領となります。
寛文4年(1664年)、三河国田原城(愛知県田原市)から戸田忠昌が入城し、再び富岡藩が立藩しますが、忠昌は寛文10年(1670年)、城の維持修復にかかわる領民の負担軽減を目的に本丸・二の丸を破却。三の丸に政治の中心である陣屋が残されてたものの、富岡城は事実上の廃城となりました。この廃城は「戸田の破城」と呼ばれ、後に良策として評価されています。
寛文11年(1671年)には天草は再び天領となり、三の丸には代官所が置かれ、明治維新まで天草行政の要地として役割を担い続けました。昭和30年(1955年)、天草の一部地域は天草国定公園に指定され、翌31年(1956年)に雲仙天草国立公園に編入。富岡城は観光施設としての整備が進み、1960年代に二の丸や本丸の展望台が設けられました。
昭和57年(1982年)から苓北町が文献や発掘調査を開始し、平成11年(1999年)から復元整備が進むことに。平成17年(2005年)、城跡は「富岡城公園」として整備され、本丸跡地に高麗門や櫓が復元されました。この時の櫓のひとつに「熊本県富岡ビジターセンター」が入居しています。その後、二の丸の角櫓、長屋(苓北町歴史資料館)が復元されました。
富岡城の見どころ①三重の石垣
富岡城には寺沢氏時代の石垣が現存しています。特に二の丸の石垣は復元整備の際、三重構造であることが発見され、その様子が分かるかたちで屋外展示が整えられています。
石垣の一番奥が寺沢氏時代の石垣で、その上に天草・島原の乱の跡に山崎家治が急いで作ったため壊れた石垣、さらにその上に家治が丁寧に改修した際の石垣が重なっており、見ごたえがありますよ。
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富岡城の見どころ②百間土手
城跡のふもとには山崎家治が整備した「百間土手」と呼ばれる土手と石垣が広がっています。天草・島原の乱を踏まえて城の防衛力を高めるために築いたもので、長さ約170m、高さ約8mに及びます。入江だった場所をせき止めて築いたもので、内側は人口池の「袋池」とし、この池が内堀の役割を果たしていました。
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富岡城の見どころ③苓北町歴史資料館
平成27年(2015年)にオープンした苓北町歴史資料館(観光交流センター)は復元された二の丸長屋のなかにある資料館です。ここでは富岡城に関する歴史や天草・島原の乱の解説、富岡城の城絵図などのさまざまな展示品を見学できます。
富岡城の見どころ④熊本県富岡ビジターセンター
本丸多聞櫓をモデルにして建てられた「熊本県富岡ビジターセンター」は2022年にリニューアルオープンしており、最新のデジタル技術を駆使して天草の自然・歴史について学べるようになっています。さらに、リニューアルにより3面スクリーンで天草の海中世界を体感できる「天草パノラマダイブ」が登場。東シナ海、有明海、八代海の特徴を水中カメラの映像で紹介しており、「海の中にいるかのよう」と好評です。
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富岡城のフォトスポット
復元された高麗門や櫓などは富岡城らしさを感じられる撮影スポット。また、本丸跡から富岡港や苓北町、有明海などを眺めるのもおすすめです。このほか、二の丸には富岡ゆかりの偉人として勝海舟・頼山陽、天草初代代官の鈴木重成・兄の鈴木正三の銅像があり、人気の撮影スポットとなっています。。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。