富岡城とは、熊本県天草郡苓北町富岡にある江戸時代初期の城跡である。関ヶ原の戦い後に天草を領有した唐津藩主・寺沢広高が、慶長7年(1602)に築いた。富岡は唐津との海上交通に近く、天草西北部を押さえる拠点として重視された。寛永14年(1637)の島原・天草一揆では、幕府側の拠点として一揆勢の攻撃を受けたが落城を免れた。一揆後には山崎家治により大規模な修築・拡張が行われ、石垣を備えた堅固な城となった。現在は本丸跡に熊本県富岡ビジターセンターがあり、復元された櫓・高麗門・白塀、石垣、二の丸跡などを見学できる。
| 目的 | 天草支配の拠点、唐津藩の飛び地支配、富岡港・海上交通の監視、島原・天草一揆時の幕府側拠点 |
|---|---|
| 特長 | 寺沢広高、山崎家治、島原・天草一揆、天草四郎、富岡港、石垣、二の丸、本丸、富岡ビジターセンター、櫓、高麗門 |
| 他の城との違い | ・唐津藩が天草支配のために築いた飛び地支配の城である ・島原・天草一揆で一揆勢の攻撃を受けながら落城を免れた城である ・本丸跡に富岡ビジターセンターがあり、天草の自然・歴史・文化を学びながら城跡を見学できる |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、石垣、櫓台、虎口、堀切、平山城、海城 |
| 石材 | 自然石、割石など |
| 特長 | 富岡城は、富岡半島の丘陵地を利用して築かれた平山城である。寺沢広高が築いた近世富岡城は石垣を備えた城郭で、一揆後に山崎家治が大規模な修築・拡張を行った。現在は本丸・二の丸周辺に石垣が残り、櫓・門・白塀などが復元整備されている。発掘調査でも近世の石垣、櫓、石段、排水路、瓦などが確認されており、天草支配の拠点として本格的な城郭だったことが分かる。城跡としては、石垣、復元櫓、富岡港を望む立地をあわせて見るのが自然である。 |
| 別称 | 臥龍城 |
|---|---|
| 所在地 | 熊本県天草郡苓北町 |
| 築城 | 1602年 |
| 築城者 | 寺沢広高 |
| 住所 | 熊本県天草郡苓北町富岡字本丸2245-15周辺 |
| 電話番号 | 0969-35-0170 |
| 開館時間 | 富岡城跡は見学自由。熊本県富岡ビジターセンターは9時~17時。最終入館は16時45分まで |
| 休館日 | 富岡城跡はなし。熊本県富岡ビジターセンターは水曜日、祝日の場合は翌日、12月30日・31日・1月1日 |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 熊本県富岡ビジターセンターは富岡城本丸跡にあり、外観はかつて実在した本丸多聞櫓をモデルにしている。館内では雲仙天草国立公園、天草の自然、歴史、文化について学べる。富岡城跡には復元された櫓・高麗門・白塀、石垣などがあり、富岡港や有明海、島原半島方面を望むことができる。富岡港から徒歩約15~20分。 |
| 中世 | 富岡周辺には、天草五人衆のひとつである志岐氏の拠点があったと考えられる |
|---|---|
| 戦国時代末期 | 小西行長が天草を攻めた際、志岐氏が富岡城で応戦したと伝わる |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い後、唐津藩主・寺沢広高が天草を領有する |
| 1602年 | 寺沢広高が天草支配の拠点として富岡城を築く |
| 1637年 | 島原・天草一揆が起こり、富岡城が一揆勢の攻撃を受ける |
| 1637年 | 富岡城は落城を免れ、一揆勢はのちに原城へ集結する |
| 1638年 | 島原・天草一揆が鎮圧される |
| 1638年以降 | 山崎家治が天草を領し、富岡城を大規模に修築・拡張する |
| 江戸時代前期 | 天草が天領となり、富岡は代官支配の中心地となる |
| 1670年 | 富岡城が破城される |
| 江戸時代 | 富岡は天草の行政拠点として機能し続ける |
| 2005年 | 富岡城本丸跡に熊本県富岡ビジターセンターが開館する |
熊本県天草郡苓北町にあった富岡城は、肥前唐津藩の寺沢広高が築城した平山城です。天草下島の北西、海に細長く突き出た富岡半島の丘陵に位置し、三方を海に囲まれた難攻不落の城は、島原・天草の乱の際も一揆軍の猛攻に耐え抜きました。現在は櫓や高麗門などが再建されています。