内藤家の家紋「内藤藤」
鳥羽城とは、三重県鳥羽市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。織田信長・豊臣秀吉のもとで水軍を率いて活躍した九鬼嘉隆が、文禄3年(1594)に完成させたとされる。鳥羽湾に面した小山に築かれ、大手水門を海側に向けるなど、水軍の運用を重視した海城であった。江戸時代には鳥羽藩の政庁として機能し、現在は城山公園として整備され、本丸跡、石垣の一部、鳥羽湾を望む眺望が城の面影を伝えている。
| 目的 | 九鬼水軍の拠点、鳥羽湾の防衛、鳥羽藩の政庁、海上交通の監視 |
|---|---|
| 特長 | 海城、九鬼嘉隆、九鬼水軍、大手水門、鳥羽湾、城山公園、石垣 |
| 他の城との違い | ・大手門を海側に開いた、水軍拠点らしい海城である ・九鬼嘉隆が築いた九鬼水軍の本拠として知られる ・本丸周辺から鳥羽湾を一望でき、海と城の関係を体感できる |
| 石垣 | 一部現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡あり |
| 種類 | 野面積、石垣、海城、曲輪、水門、平山城 |
| 石材 | 近くの海や川から運び込んだ自然石など |
| 特長 | 鳥羽城は、鳥羽湾に面した小山に築かれた海城で、石垣と海を防御に取り込んだ城である。現在は城郭建造物の多くが失われているが、本丸跡や相橋周辺、市文化会館裏などに石垣の一部が残る。石材には、近くの海や川から運び込まれた石が使われたとされる。高石垣や天守を主役にする城ではなく、海側に開いた大手水門、鳥羽湾を見下ろす立地、九鬼水軍の拠点性をあわせて見るのが鳥羽城の本質である。 |
| 別称 | 錦城、鳥羽の浮城 |
|---|---|
| 所在地 | 三重県鳥羽市 |
| 築城 | 1594年 |
| 築城者 | 九鬼嘉隆 |
| 住所 | 三重県鳥羽市鳥羽3丁目周辺 |
| 電話番号 | 0599-25-1268 |
| 開園時間 | 鳥羽城跡・城山公園は見学自由 |
| 休園日 | なし |
| 入園料 | 無料 |
| 備考 | 鳥羽城跡は三重県指定史跡で、現在は城山公園として整備されている。標高約40メートルの高台から鳥羽湾を一望できる。城郭建造物は残らないが、本丸周辺や市文化会館裏などに石垣の一部が残る。九鬼嘉隆や九鬼水軍については、鳥羽市歴史文化ガイドセンター2階の郷土資料室でも関連資料を見学できる。 |
| 1594年 | 九鬼嘉隆により、鳥羽城が完成したとされる |
|---|---|
| 安土桃山時代 | 九鬼水軍の本拠として、鳥羽湾と志摩の海上交通を押さえる拠点となる |
| 1600年 | 関ヶ原の戦いで九鬼嘉隆が西軍につき、東軍についた子の九鬼守隆と対立する |
| 1600年 | 西軍敗北後、九鬼嘉隆が鳥羽城を離れて答志島へ逃れる |
| 江戸時代初期 | 九鬼守隆が鳥羽城主となり、鳥羽藩の基礎を固める |
| 1633年 | 九鬼氏が摂津三田へ移され、内藤忠重が鳥羽城主となる |
| 江戸時代 | 内藤氏、土井氏、稲垣氏などが城主となり、鳥羽藩の政庁として機能する |
| 明治時代 | 廃城により三層天守をはじめとする城郭建造物が解体される |
| 現在 | 城跡は城山公園として整備され、本丸跡や石垣の一部が残る |
内藤家の家紋「内藤藤」
| 藩庁 | 鳥羽城 |
|---|---|
| 旧地域 | 志摩国答志郡鳥羽 |
| 石高 | 3万5000石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 内藤家・土井家・松平家・板倉家・稲垣家 |