- 長篠・設楽原の戦いの発端となった城
- 豊川と宇連川の合流点に築かれた天然の要害
- 土塁・内堀・断崖地形が残る国指定史跡
長篠城とは、愛知県新城市にある戦国時代の城跡である。永正5年(1508)に菅沼元成によって築かれ、三河・遠江・信濃方面を結ぶ交通の要衝に位置した。豊川と宇連川が合流する断崖上に築かれ、背後の川を天然の堀として利用した後ろ堅固の城である。天正3年(1575)には奥平貞昌が城を守り、武田勝頼の大軍に包囲されたことで、長篠・設楽原の戦いへとつながった。
長篠城の特長
| 目的 |
三河・遠江・信濃方面を結ぶ交通の要衝、防御拠点、徳川方の前線拠点 |
| 特長 |
断崖上の平城、土塁、内堀、豊川・宇連川を活かした天然の要害 |
| 他の城との違い |
・長篠・設楽原の戦いの発端となった城である
・背後を豊川と宇連川に守られた後ろ堅固の城である
・石垣や天守ではなく、土塁・堀・断崖地形による防御が中心である |
長篠城の石垣・土塁
| 石垣 |
なし |
| 土塁 |
現存 |
| 種類 |
土塁、内堀、曲輪、断崖、天然の要害 |
| 石材 |
該当なし |
| 特長 |
長篠城は石垣を主体とする城ではなく、土塁と堀、そして豊川・宇連川の断崖を防御に活かした城である。現在も本丸周辺には大型土塁や巨大な堀跡が残り、城の東側を土塁と内堀で守り、後方を合流する2つの川が天然の堀として固める構造を確認できる。戦国末期の土の城としての姿をよく伝える城跡である。 |
長篠城DATA
| 別称 |
末広城、扇城 |
| 所在地 |
愛知県新城市 |
| 築城 |
1508年 |
| 築城者 |
菅沼元成 |
| 住所 |
愛知県新城市長篠字市場22-1 |
| 電話番号 |
0536-32-0162 |
| 開館時間 |
長篠城跡は見学自由。長篠城址史跡保存館は9時~17時。入館は16時30分まで |
| 休館日 |
長篠城跡はなし。長篠城址史跡保存館は火曜日。火曜日が休日の場合は次の平日。年末年始 |
| 入館料 |
長篠城跡は無料。長篠城址史跡保存館は一般300円、小中学生100円 |
| 備考 |
長篠城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。周辺には鳥居強右衛門磔死の碑、武田勝頼本陣跡の医王寺、設楽原古戦場など、長篠・設楽原の戦いに関わる史跡が点在する。 |
- 長篠城への交通アクセス
- JR飯田線「長篠城」駅下車徒歩9分。
HISTORY
長篠城について
長篠城の歴史
| 1508年 |
菅沼元成により長篠城が築かれる |
| 戦国時代 |
今川氏、徳川氏、武田氏が三河・遠江・信濃方面の拠点として長篠城をめぐって争う |
| 1571年 |
長篠城が武田氏に属する |
| 1573年 |
徳川家康が長篠城を奪回する |
| 1575年 |
徳川家康が奥平貞昌を城主とし、武田勝頼の侵攻に備える |
| 1575年 |
武田勝頼が長篠城を包囲し、鳥居強右衛門が援軍要請のため城を脱出する |
| 1575年 |
織田・徳川連合軍と武田軍が設楽原で戦い、武田軍が大敗する |
| 1576年 |
奥平信昌が新城城へ移り、長篠城は廃城となる |
| 1929年 |
長篠城跡が国の史跡に指定される |
| 2006年 |
日本100名城に選定される |
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