岡崎城愛知県岡崎市

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  • 徳川家康が生まれた城
  • 松平・徳川氏の本拠として発展した城
  • 現在は岡崎公園の中心施設として整備

岡崎城とは、愛知県岡崎市にある中世から近世にかけての城である。15世紀中頃に西郷氏が築いた城を起源とし、松平清康の時代に現在の位置へ移され、松平・徳川氏の本拠として発展した。天文11年(1542)には徳川家康が岡崎城内で誕生し、桶狭間の戦い後に自立した家康が三河支配の基礎を固めた城として知られる。現在は岡崎公園として整備され、復興天守の岡崎城天守閣や三河武士のやかた家康館などが公開されている。

岡崎城の特長
目的 松平・徳川氏の本拠、三河支配の拠点、岡崎藩の政庁
特長 徳川家康生誕の城、復興天守、岡崎公園、清海堀、乙川沿いの城
他の城との違い ・徳川家康が生まれた城である
・戦国期には土塁・空堀・馬出を備えた「土の城」として発展した
・現在の天守は昭和34年(1959)に復興された建物である
岡崎城の石垣・土塁
石垣 現存・復元整備
土塁 現存
種類 石垣、土塁、空堀、水堀、馬出、総構え
石材 花崗岩など
特長 岡崎城は、近世城郭として石垣や堀を備える一方、戦国期には土塁・空堀・馬出を中心とした「土の城」として発展した。本丸・二の丸・東曲輪などを中心に曲輪が構成され、台地続きとなる北東方向には幾重にも空堀を設けて防御線としていた。岡崎城跡は城下町を堀や土塁で囲んだ総構えの城郭でもあり、現在も岡崎公園周辺で石垣、堀、土塁の名残を見ることができる。
岡崎城DATA
別称 龍城、竜ヶ城
所在地 愛知県岡崎市
築城 15世紀中頃
築城者 西郷頼嗣、または西郷稠頼
住所 愛知県岡崎市康生町561-1
電話番号 0564-22-2122
開館時間 9時~17時。入館は16時30分まで
休館日 12月29日~12月31日
入館料 大人300円、小人150円
備考 現在の岡崎城天守閣は1959年に復興された建物である。2023年に展示リニューアルが行われ、岡崎城や城下町、徳川家康に関する展示を見学できる。岡崎公園内には三河武士のやかた家康館、徳川家康公像、産湯の井戸、龍城神社などもある。
岡崎城への交通アクセス
名鉄名古屋本線 東岡崎駅から徒歩約15分。

HISTORY 徳川家康が生誕した城、岡崎城

岡崎城は、愛知県岡崎市康生町にあった平城です。江戸幕府を開いた徳川家康が誕生した城としても知られており、江戸時代は岡崎藩の藩庁として機能しました。 2023年の大河は徳川家康が主人公ということで、岡崎城にも改めて注目が集まっています。 そんな岡崎城の歴史を紐解いていきましょう。

岡崎城の歴史
15世紀中頃 西郷頼嗣、または西郷稠頼により岡崎城の前身となる城が築かれる
1531年 松平清康が城を現在の位置へ移し、岡崎城と称されるようになる
1542年 徳川家康が岡崎城内で誕生する
1560年 桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、徳川家康が自立する
1570年 徳川家康が本拠を浜松へ移し、嫡男・松平信康を岡崎城主とする
1590年 徳川家康の関東移封後、田中吉政が岡崎城主となる
江戸時代 譜代大名が岡崎城を守り、岡崎藩の政庁として機能する
1873年~1874年 廃城後、岡崎城の建物が取り壊される
1959年 三層五階の天守閣、井戸櫓、附櫓が復興される
2006年 日本100名城に選定される
2023年 岡崎城天守閣が展示リニューアルオープンする
岡崎城築城以前の歴史
岡崎城が築城された土地は、15世紀の初め頃である永享年間に西郷稠頼という人物が居城を構えことから開発と発展が始まります。 この居城は築城当時、「平岩城」と呼ばれていました。 享徳元年(1452年)~康正元年(1455年)にかけて、西郷稠頼が菅生川北岸にある龍頭山という場所に、新たに砦を建築します。 当時、東海道が菅生川南に通っており西郷稠頼が平岩城を築いたあたりが、「岡崎」と呼ばれていました。 そのため、平岩城は「旧岡崎城」とも呼ばれています。 西郷稠頼から数えて3代目にあたる西郷信貞(松平昌安)は、平岩城を居城にして、岡崎市南部一帯を支配しました。
岡崎城移築から明治までの歴史
大永4年(1524年)、徳川家康の祖父にあたる松平清康が家臣の大久保忠茂等に命じて、西郷信貞の持ち城であった山中城を奇襲して落城させます。さらに信貞へ岡崎城の明け渡しを要求し、これを認めさせました。 松平清康は、今まで本拠にしていた安城から岡崎へ移します。 享禄3年(1530年)から翌年にかけて、松平清康は龍頭山の砦へと本拠を移し、旧岡崎城の建物も一部そちらへ移築しました。 これが、現在の岡崎城です。城だけでなく、岡崎松平家菩提寺の大林寺を城北に、安城からは甲山寺を城の北東に移築するなど城周辺の整備にも力を入れました。
天11年(1542)、徳川家康はこの城で誕生します。徳川家康は6歳で織田家、8歳で今川家へ人質となったため、この城で過ごした期間は短いのですが、永禄3年(1560)に起こった桶狭間の戦いで今川義元が討死にしたことをきっかけに人質から開放され、以後岡崎城を拠点に天下統一に乗り出すことになります。
元亀元年(1570)、徳川家康は自身の本拠地を遠江浜松(現、静岡県浜松市)へ移し、長男松平信康を城主に据えます。信康が自害した後、岡崎城は石川数正や本多重次といった徳川家重臣が城主を務めました。 天正18年(1590)に、徳川家康が豊臣秀吉の命によって江戸に本拠地を移すと、岡崎城の城主は豊臣家の家臣である、田中吉政となります。
徳川家康が征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開くと、岡崎城は本多氏、水野氏、松平氏などの譜代大名が城主を務めることが慣例となりました。 徳川家康が本拠地にしていた頃の岡崎城は山城の規模がやや大きくなった程度の規模でしたが、慶長6年(1601)に岡崎城城主となった本多康重、忠利の手によって大改築が行われて、現在復元されている状態に近くなります。 このとき、建築されたのが複合連結式望楼型3重3階の天守や、持仏堂曲輪などです。 岡崎城は、当時東海地方で3番目の規模をほこる大きな城となり、幕末まで岡崎藩の藩庁として機能しました。
明治以降の岡崎城
明治を迎え廃藩置県が実施されると岡崎城は廃城となり、建物はすべて取り壊されました。 遺構として残っているのは、仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪や石垣、堀のみです。 敷地は、龍城神社や岡崎公園として整備され、市民に広く開放されました。
昭和34年(1959)に天守閣が再興され、平成22年(2010年)に望楼式二重櫓で東隅櫓が再建されます。 この櫓は城の敷地から発掘された石材なども使い、江戸時代の工法を忠実に再現して建築されました。 なお、復興された天守は平成18年(2006)に日本の100名城に指定されました。
現在、岡崎城内部は歴史資料館になっており、岡崎公園内にある「三河武士のやかた家康館」と併せて見学すれば、徳川家康の天下統一までの歩みを知ることができます。 2023年放送の大河ドラマが徳川家康が主人公であることから、現在リニューアルを行っており、再オープンは2023年1月末を予定しています。
まとめ
岡崎城は岡崎の藩庁であると同時に徳川家康が誕生した神聖な場所として、重要視された城です。 現在も岡崎市内の再開発の際に、石垣や堀の遺構が見つかることもあり、当時の規模の大きさが分かります。 1月21日から、岡崎城と三河武士のやかた家康館がリニューアルオープンするので、足を運んでみてはいかがでしょうか?

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岡崎城を藩庁とする、岡崎藩の歴史

岡崎藩石高は低いが格は高い
岡崎藩とは 岡崎藩とは、愛知県東部の三河の地を治めた藩であり、岡崎城を関係する城とした藩である。 岡崎城は江戸幕府を開いた徳川家康が生まれた城であり、石高は低いながら格の高い大名家によって治められた藩
岡崎藩DATA
藩庁 岡崎城
旧地域 三河国
石高 5万石
譜代・外様 譜代
主な藩主 本多家、水野家、松平(松井)家
推定人口 5万3000人(明治元年)

徳川家康の生誕時である岡崎には、本多康重、水野忠善、松平康福、本多忠粛などが入封。いずれも譜代名門だった。

岡崎城、家康生誕の城

愛知県岡崎市の中心部に位置する岡崎城は、徳川家康の生誕地として知られる平山城(のちに平城)です。現在城跡は岡崎公園として整備され、日本百名城にも選ばれました。昭和の時代に建てられた復興天守は資料館となっています。

岡崎城
岡崎城の歴史
岡崎城の創建は15世紀中頃、三河国の守護代だった西郷頼嗣によって築城された城がもとになっています。享禄4年(1531)、徳川家康の祖父にあたる松平清康が現在の位置に城を移し、城郭を大規模に整備したことで「岡崎城」と称されるようになりました。
天文11年(1542年)12月26日、松平広忠の嫡男として城内で竹千代(のちの徳川家康)が誕生します。幼少期には今川義元のもとで人質生活を送った家康(当時は松平元康)ですが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで義元が戦死すると岡崎城を取り戻して帰城します。その後、元亀元年(1570年)に本拠地を浜松城に移すまで、岡崎城は家康の居城でした。
家康が浜松城に移ったのち、岡崎城の城主として家康の嫡男・信康が入りました。その後、信康は天正7年(1579年)に切腹。理由は諸説あり、信長を裏切って武田に内通したからとも、家康と不仲だったためとも言われています。
信康以降、岡崎城の城代は重臣の石川数正、本多重次と移り変わります。天正18年(1590年)、豊臣秀吉により家康が関東へ移封されると、岡崎城は秀吉の家臣である田中吉政が入りました。吉政は城を家康の抑えとするために大規模な改修工事を行い、総延長4.7kmの総堀「田中堀」などを整備しました。また、この時期に天守も築かれました。
家康が江戸幕府を開いてのちは、岡崎城は「神君出生の城」として重視され、本多忠勝、井伊直政、松平康長などの家格の高い譜代大名が入封。元和3年(1617年)、本多忠勝の跡を継いだ本多康紀による改修により、城は平山城から平城へと改められました。この際本丸には2つの櫓を持つ複合連結式望楼型の3重3階地下一階の天守が建てられました。
明治維新後は廃城令により廃城となり、建物や門の多くは破却されましたが、本丸跡地は「岡崎公園」として整備され、昭和34年(1959年)には鉄筋コンクリート造りの復興天守が再建されました。平成5年(1993年)には大手門、平成22年(2010年)には東隅櫓と土塀がそれぞれ木造復元されました。
岡崎城の見どころ①復興天守
昭和34年(1959年)に再建された復興天守は3層5階の鉄筋コンクリート構造で、内部は資料館となっています。2023年1月にリニューアルオープンし、デジタルサイネージやタッチパネル、AR(拡張現実)など最新技術を活用しながら、岡崎城や城下町等に関する資料などを展示しています。
4階の「岡崎城シアター」では現在の地図から江戸時代の城下町を没入感のある映像と音響で体感できます。また、1階の天守台穴倉にある心礎(心柱の礎石)は国内では岡崎城と姫路城にのみ現存する貴重な遺構です。5階は展望台になっており、岡崎の街を見下ろせます。
岡崎城の見どころ1 岡崎城の見どころ2 岡崎城の見どころ3
岡崎城の見どころ②三河武士のやかた家康館
岡崎公園内にある「三河武士のやかた家康館」は、家康と三河武士に焦点を当てた展示施設です。大河ドラマ『どうする家康』の放映中は内部が「大河ドラマ館」となっていましたが、ドラマの終了に伴い一時閉館し、2024年3月にリニューアルオープンしました。
リニューアル後は最新の研究結果を取り入れた展示解説に加え、兜をかぶって馬にまたがって写真撮影できるコーナーや、陣羽織を身に着けたり、火縄銃や長槍などの重さを体験できたりするコーナーが用意されています。とくに本多忠勝の愛槍「蜻蛉切」のレプリカを持ち上げられるのはなかなかできない貴重な体験です。
岡崎城の見どころ③公園に残る石垣や堀
岡崎城跡は岡崎公園として整備されており、公園内には石垣や堀、土塁が現在も残っています。石垣は野面積みから打ち込みハギ、切込みハギとさまざまな種類が観察できます。特徴的な石垣も多く、例えば持仏堂曲輪の腰巻石垣は算木積みで、角石の横の角脇石と一体になっています。また、本丸埋門北袖石垣には表面に刻印が刻まれています。
本丸北防衛のために設けられた「清海掘」は、西郷頼嗣の号「清海入道」から名づけられた堀で、曲線上の深い堀の石垣は見ごたえがありますよ。
岡崎城の見どころ4 岡崎城の見どころ5 岡崎城の見どころ6
岡崎城の見どころ④岡崎公園内の家康ゆかりのスポット
岡崎公園のなかにはさまざまな家康ゆかりのスポットがあります。天守近くの「東照公産湯の井戸」は、家康誕生時に使われたと伝わる井戸。へその緒を埋めたと伝わる「えな塚」や、家康と本多忠勝を祀った「龍城神社」など、見どころが点在しています。
岡崎城の見どころ7 岡崎城の見どころ8 岡崎城の見どころ9
岡崎城のフォトスポット
復興天守を撮るなら天守前の広場から。春や秋は桜や紅葉越しに天守を撮影するのがおすすめです。龍城神社から鳥居とともに撮るのも美しいですよ。
また、岡崎公園には「松平元康像」「しかみ像」「徳川家康公像」「家康公・竹千代像ベンチ」のように家康ゆかりの像がさまざまな場所に点在しています。ぜひ写真に収めましょう。
岡崎城の見どころ10 岡崎城の見どころ11 岡崎城の見どころ12
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。