- 犬山藩慶応4年にようやく独立
- 犬山藩は慶応4年(1868年)に明治政府により、ようやく独立した藩として認められた特殊な藩です。江戸時代は尾張徳川家の附家老の一家であった成瀬家が代々藩主を務めました。そんな犬山藩の歴史をひもといてい
犬山城とは、愛知県犬山市にある戦国時代から近世にかけての城である。天文6年(1537)に織田信長の叔父・織田信康が築いたと伝わり、木曽川沿いの小高い山上に建つ「後堅固」の城として知られる。中山道や木曽街道、木曽川水運を押さえる交通・軍事・経済の要衝であり、戦国時代には織田氏・豊臣氏・徳川氏の争いにも関わった。現在は国宝天守が現存し、木曽川を見下ろす犬山の象徴となっている。
| 目的 | 尾張北部の防衛拠点、木曽川水運・街道支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 国宝天守、現存天守、木曽川沿いの山城、後堅固の城 |
| 他の城との違い | ・国宝に指定された現存天守を持つ ・木曽川を背後の防御線とする「後堅固」の城である ・戦国時代から江戸時代まで、尾張・美濃国境の要衝として重視された |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、石垣、土塁、曲輪、山城 |
| 石材 | チャート、砂岩など |
| 特長 | 犬山城は、木曽川沿いの独立丘陵を利用した山城で、天守台や本丸周辺に石垣が残る。石垣には自然石を加工せずに積む野面積が見られ、近世初期以前の城郭らしい荒々しさを伝えている。背後を木曽川の断崖に守られ、前面に曲輪や石垣を配置することで、防御性と眺望を兼ね備えた城となっている。 |
| 別称 | 白帝城 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県犬山市 |
| 築城 | 1537年 |
| 築城者 | 織田信康 |
| 住所 | 愛知県犬山市犬山北古券65-2 |
| 電話番号 | 0568-61-1711 |
| 開館時間 | 9時~17時。入場は16時30分まで |
| 休館日 | 12月29日~12月31日 |
| 入場料 | 一般1,000円、小中学生200円、幼児無料 |
| 備考 | 犬山城天守は国宝に指定された現存天守である。天守内は急な階段が多く、混雑状況によって入場制限が行われる場合がある。日本100名城にも選定されている。 |
犬山城は織田信長の叔父、織田信康によって築かれた平山城です。現在の愛知県と岐阜県の中間にあり、木曽川を背にした交通の要所にありました。「白帝城」という別名を持ち、天守が国宝に指定されている5城の1つです。平成16年まで個人で所有していた天守としても知られています。ここでは、犬山城の歴史をひもといていきましょう。
| 1537年 | 織田信康が木之下城を移し、犬山城を築いたと伝わる |
|---|---|
| 1547年 | 織田信康が死去し、子の織田信清が城主となる |
| 1565年 | 織田信長が犬山城を攻め、池田恒興が入城する |
| 1584年 | 小牧・長久手の戦いで、犬山城が羽柴秀吉方の拠点となる |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い前後に犬山城が東西勢力の争奪の舞台となる |
| 1617年 | 成瀬正成が犬山城主となり、以後、成瀬家が城を受け継ぐ |
| 1871年 | 廃藩置県により犬山城が廃城となる |
| 1935年 | 犬山城天守が国宝に指定される |
| 1952年 | 文化財保護法に基づき、犬山城天守が改めて国宝に指定される |
| 2004年 | 犬山城が成瀬家個人所有から財団法人所有へ移される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
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| 藩庁 | 犬山城 |
|---|---|
| 旧地域 | 尾張国と美濃国の境 |
| 石高 | 11万3000石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 小笠原家、平岩家、成瀬家 |
犬山藩が藩と正式に認められて立藩したのは慶応4年(1868年)1月の新政府の計らい。江戸幕府の幕藩体制のもとでは藩として認められていない。
木曽川沿いにある国宝・犬山城は、現存12天守として知られる平山城です。2004年まではなんと個人所有のお城だったという珍しい来歴の城で、近年では科学的な調査方法により「日本最古の木造天守」との説が有力となってきました。ここでは犬山城について魅力や見どころを解説します。