吉田城愛知県豊橋市

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冬の吉田城1 冬の吉田城2 冬の吉田城3 冬の吉田城4 冬の吉田城5
  • 東海道と豊川水運を押さえた三河の要衝
  • 池田輝政により近世城郭として大改修された城
  • 豊川沿いに鉄櫓と石垣が残る豊橋の象徴

吉田城とは、愛知県豊橋市にある中世から近世にかけての城跡である。築城当初は今橋城と呼ばれ、戦国時代には今川氏・徳川氏・武田氏らが争う三河東部の重要拠点となった。徳川家康の関東移封後には池田輝政が入城し、石垣や櫓を備えた近世城郭へと大きく整備された。江戸時代には吉田藩の政庁となり、現在は豊橋公園として整備され、鉄櫓、石垣、土塁、堀跡などが城の面影を伝えている。

吉田城の特長
目的 三河東部の支配拠点、東海道・豊川水運の要衝、吉田藩の政庁
特長 豊川沿いの平城、鉄櫓、池田輝政期の石垣、土塁と堀
他の城との違い ・東海道と豊川水運を押さえる交通の要衝に築かれた
・池田輝政により、石垣や櫓を備えた近世城郭へ大改修された
・現在の鉄櫓は1954年に模擬復興された建物で、史実上の櫓を正確に復元したものではない
吉田城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 現存
種類 野面積、石垣、土塁、堀、曲輪、半輪郭式縄張り
石材 チャートなど
特長 吉田城は、本丸周辺に池田輝政期の石垣が残る一方、城全体は土塁と堀も併用した城である。豊川を背にした本丸を中心に、二の丸、三の丸を配する半輪郭式の縄張りで、鉄櫓下の北側・西側石垣は池田輝政時代の遺構と考えられている。鉄櫓西側の内堀に面する石垣は高さ約14メートル、幅約38メートルにわたり、自然石をそのまま用いた野面積で築かれている。
吉田城DATA
別称 今橋城、豊橋城
所在地 愛知県豊橋市
築城 1505年頃
築城者 牧野古白と伝わる
住所 愛知県豊橋市今橋町3番地
電話番号 0532-51-2430
開館時間 吉田城鉄櫓は10時~15時。外観見学は随時可能
休館日 月曜日、年末年始。月曜日が祝日の場合は開館
入館料 無料
備考 現在は豊橋公園として整備されている。鉄櫓は1954年に模擬復興された建物で、内部は無料公開されている。吉田城址の主要部分は2021年に豊橋市指定史跡となった。
吉田城への交通アクセス
JR「豊橋」駅下車。市電「駅前」から、「市役所前」又は「豊橋公園前」下車。徒歩3分。

HISTORY 吉田城について

吉田城の歴史
1505年頃 牧野古白により今橋城が築かれたと伝わる
戦国時代 今川氏・徳川氏・武田氏などが三河東部の拠点として争奪する
1565年 徳川家康が吉田城を攻略し、酒井忠次を城代として置く
1590年 徳川家康の関東移封により、池田輝政が15万2千石で吉田城に入る
1590年代 池田輝政により、石垣や櫓を備えた近世城郭へ大きく改修される
1601年 池田輝政が姫路へ移り、松平家清が吉田城主となる
江戸時代 吉田藩の政庁として機能し、譜代大名が城主を務める
明治時代 廃城後、城内の建物の多くが失われる
1954年 鉄櫓が模擬復興される
2021年 吉田城址の主要部分が豊橋市指定史跡となる

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吉田城を藩庁とする、三河吉田藩の歴史

丸に一つ引両

竹谷松平家の家紋「丸に一つ引両」

三河吉田藩DATA
藩庁 吉田城
旧地域 三河国吉田
石高 7万石
譜代・外様 譜代
主な藩主 松平(竹谷)家、松平(深溝)家、水野家、小笠原家、久世家、牧野家
推定人口 7万6000人(明治元年)

東海道の吉田宿を擁する交通の要衝。初代藩主は松平(竹谷)家清。代々、譜代の名門が藩主家を務めた。徳川家光時代に知恵伊豆と呼ばれた信綱の子孫も幕末に入った。当藩への入封が幕閣への登竜門と言われた。