小牧山城愛知県小牧市

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小牧山城DATA
築城 1563年
住所 愛知県小牧市堀の内1-1
電話番号 0568-72-0712
開館時間 9時~16時30分
休館日 第3木曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
登閣料 大人100円/中学生以下無料

小牧・長久手の戦いの舞台で有名な歴史色の濃い山城。

小牧山城への交通アクセス
名鉄小牧線「小牧駅」からこまき巡回バス・ピーチバス・とよやまタウンバス・名鉄バスの「小牧市役所前」停留所を下車。

HISTORY 小牧山城について

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小牧山城、信長が美濃攻略のために築いた初の「石の城」

愛知県小牧市にあった「小牧山城」は、織田信長が美濃攻略を進める拠点として築いた城です。現在は模擬天守閣が建てられているほか、城があった小牧山の東麓部が史跡公園として整備されています。

小牧山城
小牧山城の歴史
小牧山城は永禄6年(1563年)、織田信長によって築かれた平山城です。信長は永禄3年(1560年)の「桶狭間の戦い」で今川義元を破ったのち、徳川家康と手を結び、美濃の攻略のための拠点を探します。そこで見つけたのが平野のなかにぽつんとある小牧山でした。7月には主な兵力を清洲城に移しています。
信長は美濃攻略を進め、犬山城から中美濃に侵攻し、次々と城を攻略。永禄10年(1567年)の「稲葉山の戦い」で勝利し、美濃を手に入れました。
その後、信長は戦いで手に入れた稲葉山城を「岐阜城」と改名して移り住みます。このため小牧山城は廃城となり、城下町も衰退していきます。結局信長は4年間しか小牧山城に居住しませんでした。
このため以前は「小牧山城は美濃攻めのための一時的な砦だった」と考えられていましたが、平成16年(2004年)からの小牧市教育委員会による主郭地区の各種調査で天守を囲む石垣が発掘されたことで本格的な城であったことが分かっています。また、城下町跡や武家屋敷のものと思われる井戸なども出土しました。
天正12年(1584年)には羽柴秀吉VS織田信雄・徳川家康の「小牧・長久手の戦い」が起こります。この際、小牧山は徳川家康の本陣となり、小牧山城は改修され、山のふもとを一周する土塁や堀などが新たに作られています。城の強固な守りのせいで小牧山付近では小競り合い程度しか起こりませんでした。
江戸時代に入ると小牧山は家康の「御勝利御開運の御陣跡」として尾張藩領となり、一般人の立ち入りが禁止されました。このため荒らされることなく堀や土塁などの跡がきれいに残っています。
明治時代に入ると版籍奉還で国有地となり、明治6年(1873年)には愛知県が「小牧公園」として一般公開しています。その後、尾張徳川家の所有となり一般公開は中止されましたが、昭和2年(1927年)に国の史跡となり一般公開が再開。一時期中学校がありましたが、のちに移転しました。
昭和43年(1968年)には山頂に模擬天守・小牧山歴史館(旧小牧市歴史館)が、平成31年(2019年)にはふもとに小牧山城史跡情報館「れきしるこまき」がオープンしており、小牧山を訪れた人々の必須スポットとなっています。
小牧山城の見どころ①模擬天守・小牧市歴史館
山頂にある模擬天守は昭和42年(1967年)、名古屋市在住の実業家・平松茂が私財を投じて建築を開始したものです。小牧市に寄贈後、翌昭和43年(1968年)に竣工式がおこなわれ、同年「小牧市歴史館」としてオープンしました。
外観は安土桃山時代に建てられた京都・西本願寺の庭園内にある楼閣建築「飛雲閣」がモデルになっています。鉄筋コンクリート造りの3層4階建てで、4階の展望室からは小牧市内を含む濃尾平野の絶景が望めます。
小牧市歴史館は令和5年(2023年)4月1日にリニューアルオープンしました。以前は小牧市の歴史民俗資料を展示する施設でしたが、リニューアルオープンで小牧・長久手の合戦など、戦国時代の小牧山に関する展示に変更されています。また、毎週土日には忍者衣装試着体験も実施。大人から子どもまで人気を博しています。
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小牧山城の見どころ②城郭史上初めて!? 石垣を使った「石の城」
小牧山城は織田信長が初期に築いた城で、安土城の原型的存在とされています。中世からの城は山や丘などの地形を活かしつつ、土塁や堀をメインとした「山城」、いわゆる「土の城」でした。戦国時代には土の城から石垣を使った「石の城」へと移行していくのですが、その第一号が信長による小牧山城だったと言われています。
石垣は野面積みで、令和6年(2024年)4月1日には、南川大手道に信長が築いた石垣が復元展示されています。石垣はもとの岩盤を削ってその上に積まれたもので、岩盤を含めるとおよそ4mの高さを誇っており、見ごたえがあります。
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小牧山城の見どころ③れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)
小牧山城のふもとに平成31年(2019年)にオープンした「れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)」。小牧山城の石垣や城下町、小牧・長久手の合戦などについて、プロジェクションマッピングなどを活用して展示しています。なかでも発掘調査に基づいた石垣の模型や、石垣をどう積んだのか、積み方が学べるコーナーは必須のスポット!実際に石を積んだり、重さを感じたりして楽しみましょう。
小牧山城のフォトスポット
小牧山を登るための大手口は道がまっすぐに続いており、雰囲気のある写真を撮影できます。模擬天守を撮影するなら石垣とともに。ひきで撮るなら小牧市役所6階にあるレストラン(平日)からがおすすめです。春は桜と模擬天守のコラボが楽しめます。山頂からは開放感のある写真が撮れますよ。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。