仙石家の家紋「永楽銭」
出石城とは、兵庫県豊岡市出石町にある江戸時代初期の城跡である。慶長9年(1604)、小出吉英が有子山城の山上部分を廃し、山麓に新たな平山城として築いた。背後の有子山の地形を利用し、上段から稲荷曲輪、本丸、二の丸、三の丸を階段状に配置した梯郭式の城である。江戸時代には出石藩の政庁として機能し、小出氏、松平氏、仙石氏が城主を務めた。特に宝永3年(1706)に入封した仙石氏は、明治維新まで出石藩を治めた。現在は建物の多くが失われているが、築城当時の石垣や堀が残り、東西の隅櫓、登城門、登城橋が復元されている。城下町には辰鼓楼や伝統的な町並みが残り、但馬の小京都として知られている。
| 目的 | 出石藩の政庁、小出氏・松平氏・仙石氏の居城、但馬地方の支配拠点、城下町形成の中心 |
|---|---|
| 特長 | 小出吉英、小出氏、松平氏、仙石氏、仙石政明、出石藩、有子山城、梯郭式平山城、稲荷曲輪、野面積、算木積、石垣、隅櫓、登城門、辰鼓楼、出石城下町、続日本100名城 |
| 他の城との違い | ・戦国時代の有子山城を廃し、その山麓に築かれた近世城郭である ・稲荷曲輪、本丸、二の丸、三の丸を山の斜面に沿って階段状に配置している ・野面積の石垣が残り、隅角部では算木積の技法も確認できる ・城下町には辰鼓楼や伝統的な町並みが残り、城跡と城下町のつながりを感じられる |
| 石垣 | 現存。一部修復整備あり |
|---|---|
| 土塁 | 石垣と堀が主な現存遺構で、土塁の現存状況は明確ではない |
| 種類 | 野面積、算木積、石垣、梯郭式平山城、曲輪、虎口、内堀 |
| 石材 | 自然石を主体とした石垣。石材には加工痕の残るものも見られる |
| 特長 | 出石城の石垣は、慶長9年(1604)に小出吉英が築いた近世城郭の構造を伝える重要な遺構である。有子山の斜面を利用して稲荷曲輪、本丸、二の丸、三の丸を階段状に配置し、それぞれの曲輪を石垣で固めている。石垣には自然石を主体とした野面積が見られ、隅角部では長短の石材を交互に重ねる算木積の技法が用いられている。また、石材の一部には加工時のノミの跡も確認できる。現在の東西の隅櫓や登城門は復元建築だが、石垣や堀は築城当時の姿を伝えている。出石城では、山麓に連なる石垣と背後の有子山城をあわせて見ることで、中世山城から近世城郭への変化を理解できる。 |
| 別称 | 特になし |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県豊岡市 |
| 築城 | 慶長9年(1604) |
| 築城者 | 小出吉英 |
| 住所 | 兵庫県豊岡市出石町内町 |
| 電話番号 | 0796-52-4806(但馬國出石観光協会) |
| 開館時間 | 城跡は見学自由 |
| 休館日 | 城跡は見学自由 |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 出石城は有子山城とともに続日本100名城の162番に選定されている。慶長9年(1604)に小出吉英が有子山城の麓に築いた城で、江戸時代には出石藩の政庁として機能した。現存する石垣や堀に加え、昭和43年(1968)に東西の隅櫓、平成6年(1994)に登城門などが復元された。最上段の稲荷曲輪には有子山稲荷神社が鎮座し、城下町を一望できる。城下町には辰鼓楼、出石家老屋敷、伝統的な町並みが残り、出石皿そばでも知られている。 |
| 1574年 | 但馬守護の山名祐豊が有子山に有子山城を築く |
|---|---|
| 1580年 | 羽柴秀吉による但馬攻めで有子山城が落城し、山名氏による但馬支配が終わる |
| 安土桃山時代 | 羽柴氏の支配下で前野長康らが有子山城を利用し、石垣などの整備が進められる |
| 1595年 | 小出吉政が但馬出石に入封し、出石地方を治める |
| 1604年 | 小出吉英が有子山城の山上部分を廃し、山麓に出石城を築く |
| 江戸時代初期 | 出石城の築城に伴い城下町が整備され、出石藩の政治と経済の中心地として発展する |
| 1615年 | 一国一城令のもと、出石城は但馬国の中心的な城として存続する |
| 1697年 | 小出氏の断絶後、武蔵国岩槻から松平忠周が出石藩主として入封する |
| 1702年 | 松平氏が三の丸に対面所を建て、以後の藩主の居館として使用される |
| 1706年 | 松平氏と信濃国上田の仙石氏が国替えとなり、仙石政明が出石藩主となる |
| 江戸時代 | 仙石氏が出石藩5万8,000石を治め、城下町では商業や文化が発展する |
| 1835年 | 藩の家督や財政運営をめぐる仙石騒動により、仙石氏は5万8,000石から3万石へ減封される |
| 1868年 | 明治維新に伴い、出石城の城郭建物が取り壊される |
| 1871年 | 廃藩置県により出石藩が廃止され、出石県となる。その後、豊岡県に編入される |
| 明治時代 | 城下町の辰鼓楼に大時計が設けられ、出石を象徴する建物となる |
| 1968年 | 出石城の東西の隅櫓が復元される |
| 1994年 | 出石城の登城門などが復元される |
| 2017年 | 日本城郭協会により、出石城・有子山城が続日本100名城のひとつに選定される |
仙石家の家紋「永楽銭」
| 藩庁 | 出石城 |
|---|---|
| 旧地域 | 但馬国出石郡・養父郡・気多郡・美含郡 |
| 石高 | 5万8,000石、1835年以降は3万石 |
| 譜代・外様 | 外様・譜代 |
| 主な藩主 | 小出家・藤井松平家・仙石家 |
| 推定人口 | 藩全体の人口は不明。城下町の町方人口は4,499人(1840年) |