有子山城兵庫県豊岡市

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  • 秋
  • 冬
  • 山名祐豊が此隅山城に代わる居城として築いた山城
  • 山名氏の土の城から織豊期の石垣城郭へ発展した城
  • 野面積の石垣と大堀切が残る国指定史跡

有子山城とは、兵庫県豊岡市出石町にある戦国時代から安土桃山時代の城跡である。天正2年(1574)、但馬守護の山名祐豊が、それまでの居城であった此隅山城に代わる新たな拠点として築いた。標高321mの有子山山頂を中心に、東西約740m、南北約780mに広がる大規模な山城である。天正8年(1580)、羽柴秀長による但馬攻めで山名氏が城を失うと、その後は羽柴秀長、前野長康、小出吉政らが城主となった。織豊期には山頂部を中心に大規模な石垣が築かれ、土の城から石垣を備えた城郭へと改修された。慶長9年(1604)に小出吉英が山麓に出石城を築くと、有子山城は廃城となった。現在も主郭周辺の石垣、曲輪、堀切、竪堀などが良好に残り、中世山城から近世城郭への移行を伝えている。

有子山城の特長
目的 但馬守護山名氏の居城、但馬地方の支配拠点、出石盆地の監視、豊臣政権下における但馬支配の軍事拠点
特長 山名祐豊、山名氏、羽柴秀長、前野長康、小出吉政、藤堂高虎、此隅山城、出石城、標高321m、山城、野面積、シノギ積、石垣、大堀切、竪堀、千畳敷、続日本100名城
他の城との違い ・山名氏が此隅山城を失った後、新たな居城として築いた山城である
・山名氏時代の土の城と、織豊期に築かれた石垣の城という異なる時代の特徴が残る
・主郭と千畳敷を隔てる大堀切や、山頂部に残る大規模な野面積の石垣が特徴である
・山麓に出石城が築かれたことで廃城となり、山城から平山城への移行を示している
有子山城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 現存
種類 野面積、シノギ積、石垣、土塁、堀切、竪堀、曲輪、虎口、山城
石材 自然石を主体とした石材。大きさや形状の異なる石を組み合わせた野面積の石垣が残る
特長 有子山城の石垣は、羽柴秀長や前野長康らが城主となった織豊期に整備されたと考えられている。山名氏が築いた当初は土を主体とする山城で、現在見られる大規模な石垣は後の時代に築かれたものである。主郭やその西側に連なる曲輪には野面積の石垣が残り、自然石を組み合わせた力強い石積みを見ることができる。また、石垣の隅角部には角度を鈍角に広げたシノギ積と呼ばれる技法も確認できる。主郭と千畳敷の間には大堀切が設けられ、山腹には竪堀や堀切が多数残る。石垣は藤堂高虎が築いたという説もあるが、確定していない。有子山城では、山名氏時代の土の防御施設と、織豊期の石垣を比較することで、戦国時代から近世初頭にかけての築城技術の変化を見ることができる。
有子山城DATA
別称 有子城、高城
所在地 兵庫県豊岡市
築城 天正2年(1574)
築城者 山名祐豊。石垣を用いた近世城郭への改修は羽柴秀長、前野長康らの時代と考えられる
住所 兵庫県豊岡市出石町内町周辺
電話番号 0796-52-4806(但馬國出石観光協会)
開館時間 城跡は見学自由
休館日 城跡は見学自由
入館料 無料
備考 有子山城は平成8年(1996)11月13日に此隅山城とともに国指定史跡「山名氏城跡」に指定され、出石城とあわせて続日本100名城の162番に選定されている。標高321mの山頂に主郭を置き、周辺には石垣、曲輪、大堀切、竪堀などが残る。登城口は出石城跡の最上段にある有子山稲荷神社付近にあり、山頂までは健脚向けの登山道で約40分。急斜面や滑りやすい場所があるため登山に適した装備が必要で、積雪期や野生動物にも注意が必要である。続日本100名城スタンプはいずし観光センターに設置されている。
有子山城への交通アクセス
JR「豊岡」駅、バス約37分、徒歩約12分(麓まで)。

HISTORY 有子山城について

有子山城の歴史
1569年 羽柴秀吉らの織田軍が但馬へ侵攻し、山名祐豊の居城であった此隅山城が落城する
1569年 山名祐豊は但馬を離れて堺へ逃れるが、今井宗久の仲介によって織田信長から帰国を許される
1574年 山名祐豊が標高321mの有子山に新たな城を築き、居城とする
1574年頃 此隅山城の「此隅」が「子盗み」を連想させることを嫌い、新城を有子山城と名付けたと伝えられる
1580年 羽柴秀長による但馬攻めで有子山城が落城し、山名氏による但馬支配が終わる
1580年以降 羽柴秀長が有子山城に入り、豊臣政権による但馬支配の拠点となる
1585年 豊臣秀吉の家臣である前野長康が有子山城主となる
安土桃山時代 羽柴秀長や前野長康らの時代に城の改修が進み、山頂部を中心に石垣が築かれる
安土桃山時代 藤堂高虎が羽柴秀長の命を受け、有子山城の石垣を築いたという説が伝わる
1595年 豊臣秀次事件に連座して前野長康が改易され、小出吉政が有子山城主となる
1600年 関ヶ原の戦い後も小出氏は所領を維持し、出石の支配を続ける
1604年 小出吉英が有子山城の山麓に出石城を築き、政治の中心を移す。有子山城は廃城となる
江戸時代 有子山城は城として使われなくなるが、山上には石垣、曲輪、堀切などの遺構が残る
1996年 11月13日、此隅山城跡とともに「山名氏城跡」として国の史跡に指定される
2017年 日本城郭協会により、出石城とともに続日本100名城のひとつに選定される