洲本城兵庫県洲本市

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  • 淡路水軍ゆかりの三熊山に築かれた山城
  • 脇坂安治により総石垣の城へ改修された
  • 大阪湾を望む登り石垣と日本最古の模擬天守で知られる

洲本城とは、兵庫県洲本市にある中世から近世にかけての城跡である。三熊山の山上一帯に築かれた山城で、大永6年(1526)に淡路水軍を率いた安宅氏によって築かれたと伝わる。天正13年(1585)に脇坂安治が入城すると、山上の城は総石垣の城へ大きく改修され、大阪湾を望む南海の要塞として整えられた。現在は国指定史跡として保存され、壮大な石垣、大石段、登り石垣、模擬天守などが城の姿を伝えている。

洲本城の特長
目的 淡路支配の拠点、淡路水軍の城、大坂湾防衛の拠点
特長 総石垣、登り石垣、山城、上の城、下の城、模擬天守、大阪湾を望む眺望
他の城との違い ・三熊山上の城郭と山麓の居館部を持つ複合城郭である
・山上と山麓をつなぐ登り石垣が残る
・現在の天守は史実上の天守を復元したものではなく、昭和初期に建てられた模擬天守である
洲本城の石垣
石垣 現存
種類 野面積、打込接、登り石垣、総石垣、大石段
石材 自然石
特長 洲本城は、脇坂安治の時代に総石垣の城へ改修された山城である。三熊山上には本丸、東の丸、南の丸などを囲む石垣が残り、山腹には山上の城と山麓の下の城をつなぐ登り石垣が築かれている。登り石垣は全国的にも数例しかない珍しい遺構で、洲本城を代表する見どころである。自然石を用いた荒々しい石垣、大石段、山上から大阪湾を見渡す立地が一体となり、海を意識した山城としての個性を伝えている。
洲本城DATA
別称 三熊城、上の城
所在地 兵庫県洲本市
築城 1526年と伝わる
築城者 安宅氏と伝わる
住所 兵庫県洲本市小路谷1272-2
電話番号 0799-25-5820
開館時間 洲本城跡は見学自由
休館日 なし
入場料 無料
備考 洲本城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。現在の模擬天守は、昭和天皇の即位を記念して1928年に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で、史実上の天守を復元したものではない。日本最古の模擬天守として知られる。三熊山上からは洲本市街や大阪湾を一望できる。
洲本城への交通アクセス
洲本バスセンターから徒歩約30分。

HISTORY 洲本城について

洲本城の歴史
1526年 淡路水軍を率いた安宅氏により、三熊山に洲本城が築かれたと伝わる
戦国時代 安宅氏の城として、淡路支配と海上交通に関わる拠点となる
1581年 羽柴秀吉の淡路攻めにより、淡路が豊臣方の支配下に入る
1585年 脇坂安治が洲本城に入城する
安土桃山時代 脇坂安治により、洲本城が総石垣の城へ大きく改修される
1609年 脇坂氏が伊予大洲へ移り、山上の洲本城は事実上の廃城となる
1630年頃 蜂須賀氏の淡路支配にともない、山麓の下の城が整備される
1928年 昭和天皇の即位を記念し、山上に模擬天守が建てられる
1999年 洲本城跡、上の城が国の史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される

洲本城を藩庁とする、洲本藩の歴史

輪違い紋

脇坂家の家紋「輪違い紋」

洲本藩DATA
藩庁 洲本城
旧地域 淡路国津名郡洲本
石高 3万石
譜代・外様 外様
主な藩主 脇坂氏・池田氏

洲本城、脇坂安治が整備した登り石垣で知られる城

洲本城は兵庫県洲本市、淡路島の三熊山(標高133m)に築かれた山城(上の城)と、山麓の下の城からなる大規模な城郭です。淡路国を支配する拠点として重要な役割を果たしており、脇坂安治が築いた登り石垣で有名です。平成29年(2017年)に続日本100名城に認定されています。

洲本城
洲本城の歴史
洲本城は大永6年(1526年)頃、紀伊熊野出身で淡路水軍を率いた淡路の国人衆・安宅信康がこの地に城を築いたとされています(※諸説あり)。当初の城は三熊山の山頂に築かれた山城で、土塁や柵などを使った土の城でした(上の城)。
安宅氏は洲本城を拠点として淡路を支配しました。洲本城は瀬戸内海を見渡す位置にあり、海上交通を押さえる軍事拠点として重要でした。
天正9年(1581年)、羽柴秀吉が淡路を攻略すると、洲本城は豊臣政権の支配下に入ります。天正10年(1582年)、仙石秀久が5万石で洲本城に入城。天正13年(1585年)に秀久が讃岐に転封になると、賤ケ岳七本槍の一人・脇坂安治が入城し、大坂城の防備のため、城を東西800m、南北600mに及ぶ強大な総石垣の城に改修しました。本丸・南の丸・東の丸を主郭部とし、東の丸の東側に武者溜、南の丸の西側に谷を挟んで西の丸を配置しました。
また、北麓にも城が整備され(下の城)、上の城と山麓の下の城をつなぐ登り石垣が2条築かれています。
脇坂氏が伊予大洲に移った慶長14年(1609年)、洲本城は藤堂氏の預かりとなった後、徳川家康の娘婿である池田輝政が入りますが、輝政は城を使わず、洲本城は事実上の廃城となりました。慶長18年(1613年)、淡路国が三男の池田忠雄に与えられると、忠雄は由良城を新築してそちらを利用します。
元和元年(1615年)、淡路国が大坂の陣の論功行賞で蜂須賀至鎮に与えられたため、阿波藩領となります。至鎮は当初由良城に城代を派遣しますが、交通の便が悪かったことなどから寛永8年(1631年)から4年がかりに城と町を洲本に移す「由良引け」を実施。洲本城は再び政治経済の中心に返り咲きます。
至鎮はこの際、下の城に御殿を建築し、石垣や堀を整えて淡路を統治しました。その後、下の城は政治経済の中心地として明治維新まで続くことになります。
昭和3年(1928年)、上の城には鉄筋コンクリート製で模擬天守が建造されました。また、平成11年(1999年)には国の史跡に指定されています。なお、下の城は昭和58年(1983年)に洲本市の指定記念物に認定されています。
洲本城の見どころ①日本最古の模擬天守
洲本城の象徴的な存在が、三熊山山頂に建つ模擬天守です。昭和3年(1928年)に建てられたもので、日本最古の模擬天守(展望台)と言われています。なお、洲本城には天守があったという史料はありませんが、天守台付近の発掘調査で出土した瓦などから、あった可能性が高いとされています。
現在、模擬天守には入城できませんが、天守付近からの眺めは素晴らしく、洲本市街に紀淡海峡と大浜海岸、大阪湾、天気が良い日には関西国際空港や大阪の街並みまで見渡せます。
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洲本城の見どころ②登り石垣をはじめとした石垣群
洲本城の山頂には天正期から江戸初期に築かれた石垣が残されており、石垣の歴史が体感できます。もっとも有名なのが東西2条の登り石垣で、上下の城を結ぶ役割を果たしました。
登り石垣は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、秀吉軍が朝鮮に築いた倭城に見られるもので、脇坂安治も淡路水軍とともに参戦しており、その経験を活かして洲本城に採用したと推察されています。
全国に数例しか現存しない貴重な遺構ですが、洲本城の登り石垣は階段状に積まれているのが特徴。また、東登り石垣の外側には堅堀が築かれています。
このほか、本丸虎口につながる本丸大石段や、初期のころに作られたと推察される東の丸二段の曲輪の石垣や腰曲輪の二段積みの石垣など、さまざまな石垣が残されています。石垣をチェックしながら散策するのがおすすめです。
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洲本城の見どころ③洲本市立淡路文化史料館
蜂須賀氏の御殿があった洲本城の下の城跡にあるのが、洲本市立淡路文化史料館です。史料館では淡路島の歴史について紹介されており、洲本城に関連する羽柴秀吉の書状や、江戸時代の洲本城下町関連の展示品を見学できます。
史料館前には下の城の石垣と堀の一部が残されており、往時をしのばせます。
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洲本城の見どころ④洲本八幡神社の金天閣
洲本城跡の近くにある洲本八幡神社には、蜂須賀至鎮の子・蜂須賀忠英が寛永18年(1641年)に下の城に築いた洲本御殿の一部だと伝わる「金天閣」があります。
洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、玄関と書院は数回の移築を経て、大正14年(1925年)に神社内に移転されました。名前の由来は、名前の由来は、黒漆塗の折り上げ格天井に金箔が貼られていることによります。残念ながら内部は見学できませんが、玄関などで蜂須賀家の紋を見ることができます。
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洲本城のおすすめフォトスポット
洲本城の模擬天守は外せないフォトスポット。三熊山山上から近くで撮影する以外に、西の丸から大阪湾と城を収めるのもおすすめです。登り石垣や本丸大石段も忘れずに撮影しましょう。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。