竹田城とは、兵庫県朝来市にある中世から近世初頭にかけての山城跡である。標高353.7メートルの古城山山頂に築かれ、雲海に浮かぶ姿から「天空の城」として知られる。嘉吉年間に但馬守護・山名宗全が太田垣氏に命じて築かせたのが始まりと伝わり、戦国時代には太田垣氏の城として発展した。現在残る総石垣の城郭は、赤松広秀の時代に整備されたと考えられている。天守などの建物は残らないが、天守台、本丸、南千畳、北千畳、花屋敷などの石垣群が山上に広がり、但馬を代表する山城の姿を伝えている。
| 目的 | 但馬支配の拠点、山名氏・太田垣氏の城、南但馬の軍事・交通拠点 |
|---|---|
| 特長 | 天空の城、総石垣、野面積、穴太積み、天守台、南千畳、北千畳、山城 |
| 他の城との違い | ・雲海に浮かぶ姿から「天空の城」と呼ばれる ・山上に大規模な総石垣の曲輪群が残る ・建物は残らないが、天守台や曲輪を構成する石垣が当時の城郭構造をよく伝えている |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 種類 | 野面積、穴太積み、算木積みなど |
| 石材 | 自然石 |
| 特長 | 竹田城の石垣は、大小さまざまな自然石を組み合わせて積む野面積で築かれている。近江の石工集団・穴太衆による穴太積みと伝わり、天守台の隅部には算木積みも見られる。天守台、本丸、南千畳、北千畳、大手口など山上の曲輪群を支える石垣が広く残り、建物が失われた現在も城の輪郭を明瞭に伝えている。石垣と山上の地形、雲海が重なる景観が竹田城最大の見どころである。 |
| 別称 | 虎臥城、安井ノ城 |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県朝来市 |
| 築城 | 1443年頃と伝わる |
| 築城者 | 山名宗全が太田垣氏に命じて築かせたと伝わる |
| 住所 | 兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169 |
| 電話番号 | 079-672-4003 |
| 観覧時間 | 季節により変動。入城できる時間が定められているため、公式情報の確認が必要 |
| 休城日 | 冬季閉山期間あり。気象状況等により入城不可の場合あり |
| 観覧料 | 大人500円、中学生以下無料 |
| 備考 | 竹田城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。城跡内に建物は残らないが、石垣が当時の姿をよく伝えている。見学所要時間は城跡内で30分~60分ほどが目安。雲海は秋から冬の早朝に発生しやすいが、気象条件に左右される。 |
| 1443年頃 | 但馬守護・山名宗全が太田垣氏に命じ、竹田城を築かせたと伝わる |
|---|---|
| 戦国時代 | 山名氏の重臣・太田垣氏が代々城主を務め、南但馬支配の拠点となる |
| 1580年 | 羽柴秀吉による但馬攻めで竹田城が落城し、太田垣氏が没落する |
| 1585年 | 赤松広秀、斎村政広が竹田城に入城する |
| 安土桃山時代 | 赤松広秀の時代に、現在残る総石垣の城郭へ整備されたと考えられる |
| 1600年 | 関ヶ原の戦いで赤松広秀が西軍に属する |
| 1600年 | 赤松広秀が鳥取城攻め後の責任を問われて自刃し、竹田城は廃城となる |
| 1943年 | 竹田城跡が国の史跡に指定される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
兵庫県朝来市にある竹田城は、「天空の城」として知られる日本屈指の山城です。雲海に浮かぶ幻想的な姿を撮影した写真で一躍有名になり、その姿から「日本のマチュピチュ」とも称されます。平成18年(2006年)には日本100名城にも選ばれました。