竹田城兵庫県朝来市

秋の竹田城1 秋の竹田城2 秋の竹田城3 秋の竹田城4 秋の竹田城5 秋の竹田城6 秋の竹田城7 秋の竹田城8 秋の竹田城9 秋の竹田城10
  • 雲海に浮かぶ「天空の城」として知られる山城
  • 山上に総石垣の曲輪群が残る但馬の名城
  • 赤松広秀の時代に整備された石垣遺構が見どころ

竹田城とは、兵庫県朝来市にある中世から近世初頭にかけての山城跡である。標高353.7メートルの古城山山頂に築かれ、雲海に浮かぶ姿から「天空の城」として知られる。嘉吉年間に但馬守護・山名宗全が太田垣氏に命じて築かせたのが始まりと伝わり、戦国時代には太田垣氏の城として発展した。現在残る総石垣の城郭は、赤松広秀の時代に整備されたと考えられている。天守などの建物は残らないが、天守台、本丸、南千畳、北千畳、花屋敷などの石垣群が山上に広がり、但馬を代表する山城の姿を伝えている。

竹田城の特長
目的 但馬支配の拠点、山名氏・太田垣氏の城、南但馬の軍事・交通拠点
特長 天空の城、総石垣、野面積、穴太積み、天守台、南千畳、北千畳、山城
他の城との違い ・雲海に浮かぶ姿から「天空の城」と呼ばれる
・山上に大規模な総石垣の曲輪群が残る
・建物は残らないが、天守台や曲輪を構成する石垣が当時の城郭構造をよく伝えている
竹田城の石垣
石垣 現存
種類 野面積、穴太積み、算木積みなど
石材 自然石
特長 竹田城の石垣は、大小さまざまな自然石を組み合わせて積む野面積で築かれている。近江の石工集団・穴太衆による穴太積みと伝わり、天守台の隅部には算木積みも見られる。天守台、本丸、南千畳、北千畳、大手口など山上の曲輪群を支える石垣が広く残り、建物が失われた現在も城の輪郭を明瞭に伝えている。石垣と山上の地形、雲海が重なる景観が竹田城最大の見どころである。
竹田城DATA
別称 虎臥城、安井ノ城
所在地 兵庫県朝来市
築城 1443年頃と伝わる
築城者 山名宗全が太田垣氏に命じて築かせたと伝わる
住所 兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169
電話番号 079-672-4003
観覧時間 季節により変動。入城できる時間が定められているため、公式情報の確認が必要
休城日 冬季閉山期間あり。気象状況等により入城不可の場合あり
観覧料 大人500円、中学生以下無料
備考 竹田城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。城跡内に建物は残らないが、石垣が当時の姿をよく伝えている。見学所要時間は城跡内で30分~60分ほどが目安。雲海は秋から冬の早朝に発生しやすいが、気象条件に左右される。
竹田城への交通アクセス
JR播但線「竹田」駅、徒歩約40分。

HISTORY 竹田城について

竹田城の歴史
1443年頃 但馬守護・山名宗全が太田垣氏に命じ、竹田城を築かせたと伝わる
戦国時代 山名氏の重臣・太田垣氏が代々城主を務め、南但馬支配の拠点となる
1580年 羽柴秀吉による但馬攻めで竹田城が落城し、太田垣氏が没落する
1585年 赤松広秀、斎村政広が竹田城に入城する
安土桃山時代 赤松広秀の時代に、現在残る総石垣の城郭へ整備されたと考えられる
1600年 関ヶ原の戦いで赤松広秀が西軍に属する
1600年 赤松広秀が鳥取城攻め後の責任を問われて自刃し、竹田城は廃城となる
1943年 竹田城跡が国の史跡に指定される
2006年 日本100名城に選定される

竹田城、雲海に浮かぶ「天空の城」

兵庫県朝来市にある竹田城は、「天空の城」として知られる日本屈指の山城です。雲海に浮かぶ幻想的な姿を撮影した写真で一躍有名になり、その姿から「日本のマチュピチュ」とも称されます。平成18年(2006年)には日本100名城にも選ばれました。

竹田城
竹田城の歴史
竹田城は嘉吉年間(1441年〜1444年)、但馬守護の山名宗全の命により、家臣の太田垣氏によって築かれたのが始まりだと伝わっています。城は古城山(虎臥山、標高約353.7m)の山頂にあり、城からは円山川流域が一望できます。竹田は播但街道(但馬街道)や山陰街道が通り、山陰、山陽と京を結ぶ交通の要所だったため、竹田城は重要な拠点と位置付けられました。
戦国時代に入ると山名氏の勢力は衰退し、但馬は争乱の舞台となります。天正5年(1577年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が但馬侵攻を開始し、竹田城は秀吉の弟・羽柴秀長により攻め落とされました(竹田城の戦い)。その後、秀長が城代として入り、一度毛利方が奪還するものの、再び秀長が竹田城を手中に収めます。その後、秀長配下の桑山重晴を経て、天正13年(1585年)に播磨龍野城主であった赤松広秀(斎村政広)が朝来郡2万石で入城しました。広秀の時代に竹田城は整備・改築されており、このころ石垣が造られたと考えられています。
竹田城は総石垣の城で、規模は南北400m、東西100m。最も高いところに本丸を置き、本丸の天守台から三方向に伸びる形でそれぞれ北千畳曲輪、南千畳曲輪、花屋敷曲輪を設けました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、赤松広秀は当初、西軍方について丹後田辺城を攻めました。しかし、西軍の敗戦を知ると竹田城に撤退。次に東軍として鳥取城を攻めていた因幡鹿野城主の亀井玆矩から来援要請を受け、東軍方として出陣します。しかし、鳥取城攻めの際に城下町を放火したことを徳川家康にとがめられ、自刃させられてしまいます。その後、竹田城は山名豊国が接収したのち、廃城になりました。
元和元年(1615年)以降、竹田城は生野奉行(後の生野代官)の管理下に置かれますが、大幅な破却を迎えることなく明治維新を迎えます。そして昭和18年(1943年)に国の史跡に指定され、平成21年(2009年)には国史跡の追加指定を受けています。
竹田城が有名になったのは、平成18年(2006年)に日本100名城に選ばれた翌年のこと。雲海に浮かぶ竹田城跡の写真が100名城の公式ガイドブックに採用されたことなどで一大ブームを巻き起こし、「天空の城」として有名になりました。
竹田城のアクセス
竹田城まではJR竹田駅から登山道で入口まで徒歩約40分、または中腹の駐車場までバスやタクシーで10分ほど移動して徒歩約20~30分です。足元が悪い場所もあることや城址の保護の観点から、サンダルなどではなく歩きやすい靴や登山用の靴を履いていきましょう。
なお、竹田城はシーズンごとに見学時間が決まっているほか、冬は1月上旬から2月末は閉山するため入城できません。また、混雑期や雲海シーズンを中心に、朝来市による車両規制が実施される場合があります。訪れる前に公式情報を確認しておきましょう。
竹田城の見どころ① 山頂一帯に広がる石垣群
竹田城の最大の特徴は、山頂一帯に広がる石垣群です。本丸・二の丸・三の丸・南千畳・北千畳といった曲輪が連続し、それぞれが石垣で囲まれています。石垣は野面積みで、近江の穴太衆の手によるものだと言われています。
石垣は強度を高め、攻めにくくするため折れ曲がりを多くした横矢掛りです。隅角部には算木積みや反りを設けています。
このほか、北千畳敷の枡形虎口、三の丸と二の丸の間にある食い違い状の虎口など、防衛のための工夫が随所に施されています。
なお、竹田城は遺跡保護の観点から見学ルートが決まっているので注意しましょう。
竹田城の見どころ1 竹田城の見どころ2 竹田城の見どころ3
竹田城の見どころ②雲海に浮かぶ「天空の城」
竹田城でぜひ拝みたいのが、雲海の中に浮かぶ姿です。雲海の出る時期は9月下旬から4月上旬の明け方から午前8時ころまでで、9月下旬~11月下旬が出やすくなっています。前日の夜から明け方の気温が低くなり、日中に向けて暖かくなる、寒暖差が10℃以上ある、朝の天気が良く、風がない、等の条件があるので、雲海予報サイトなどをうまく活用しましょう。
天空の城を拝むのであれば、竹田城跡からJR竹田駅と円山川を挟んだ反対側に位置する、標高757mの朝来山の中腹にある県立自然公園「立雲峡」がおすすめ。条件がそろえば展望台から美しい光景を拝むことができます。なお、早朝の登山になるため、歩きやすい靴、防寒対策、懐中電灯は必須です。
また、竹田城跡にある天守台や二の丸、三の丸からも、雲海と南千畳の姿を眺めることができます。
竹田城の見どころ4 竹田城の見どころ5 竹田城の見どころ6
竹田城のおすすめ撮影スポット
竹田城跡内では、天守台から南千畳や南二の丸を見下ろして撮影するのがおすすめ。また、桜や紅葉の時期の竹田城も美しいですよ。春の特別観覧や早朝ライトアップなどを実施していることもあるので、あらかじめ公式サイトをチェックしておきましょう。
竹田城の見どころ7 竹田城の見どころ8 竹田城の見どころ9
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。