八剱八幡神社とは、千葉県木更津市富士見にある神社である。古くから鎮座地一帯は「八剱の里」と呼ばれ、その里の神は「八剱の神」として祀られていたと伝わる。社伝では、日本武尊が東征の際に相模から上総へ渡ろうとしたところ、海上で暴風雨に遭い、妃の弟橘媛が海神の怒りを鎮めるために入水したとされる。日本武尊はその死を悼んでこの地にとどまり、去ることをしなかったため、「君去らず」が木更津の地名の由来になったという伝承も残る。中世には源頼朝が鎌倉幕府開幕にあたり、神領を寄進して社殿を造営したと伝えられ、武家からの崇敬も集めた。現在は木更津の総鎮守として、厄除、交通安全、商売繁盛、合格祈願、学業成就などの信仰を集めている。毎年7月の例大祭では、嘉永3年(1850)に造られた重さ約1.5トンの大神輿が町を練り歩き、木更津を代表する夏祭りとして知られている。
| 目的 | 木更津の総鎮守、八剱の里の守護、日本武尊ゆかりの信仰、八幡信仰、厄除、交通安全、商売繁盛、合格祈願、学業成就、地域祭礼の中心 |
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| 特長 | 八剱八幡神社、木更津、八幡さま、八剱の里、八剱の神、日本武尊、弟橘媛、誉田別命、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、素盞嗚命、源頼朝、徳川家康、木更津総鎮守、関東三大神輿、大神輿、例大祭、拝殿天井絵、狩野派、あさりみくじ |
| 他の神社との違い | ・木更津駅西口から近い市街地にありながら、木更津の地名伝承や日本武尊伝承と深く結びつく神社である ・八幡信仰に加え、八剱の里の古い信仰、日本武尊伝承、源頼朝の社殿造営伝承が重なっている ・拝殿天井には、狩野派の技法による風景、花鳥、動物など162枚の装飾画が描かれている ・毎年7月の例大祭では、嘉永3年(1850)に造られた重さ約1.5トンの大神輿が渡御する ・木更津港、證誠寺、鳥居崎海浜公園、木更津駅西口周辺とあわせて巡ると、港町木更津の歴史と信仰を理解しやすい |
| 別称 | 八幡さま、木更津総鎮守 |
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| 所在地 | 千葉県木更津市 |
| 創建 | 創建年代は不詳。古くから八剱の里に八剱の神が祀られていたと伝わる。社伝では、日本武尊の東征伝承と結びつき、中世には源頼朝が神領を寄進して社殿を造営したとされる |
| 主な造営者 | 源頼朝 |
| 祭神 | 誉田別命、息長足姫命、足仲彦命、素盞嗚命、日本武尊 |
| 住所 | 千葉県木更津市富士見1-6-15 |
| 電話番号 | 0438-23-8881 |
| 受付時間 | 授与所は9時~16時30分。祈祷受付は9時~16時 |
| 休館日 | 無休 |
| 拝観料 | 無料 |
| 備考 | 八剱八幡神社は、木更津の総鎮守として信仰を集める神社である。拝殿天井には、狩野派の技法による162枚の装飾画が描かれており、18世紀の作品と考えられている。例大祭は毎年7月第2土曜日と翌日曜日に行われ、嘉永3年(1850)に造られた重さ約1.5トンの大神輿が渡御する。大神輿は関東三大神輿の一つに数えられ、平成元年(1989)に大改修された。境内では、木更津らしい「あさりみくじ」や水引飾りなども見られる。 |
| 創建時期不明 | 鎮座地一帯は古くから「八剱の里」と呼ばれ、里の神は「八剱の神」として祀られていたと伝わる |
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| 古代 | 社伝では、日本武尊が東征の際に相模から上総へ渡ろうとしたところ、海上で暴風雨に遭い、妃の弟橘媛が海神の怒りを鎮めるために入水したとされる |
| 古代 | 日本武尊は弟橘媛の死を悼み、しばらくこの地に滞留したと伝わる。この「君去らず」の伝承が、木更津の地名の由来とされる |
| 鎌倉時代初期 | 源頼朝が鎌倉幕府開幕にあたり、神領を寄進して社殿を造営したと伝わる |
| 1591年 | 天正19年、徳川家康が社領3石2斗を寄進し、御朱印の証を授与したと伝わる |
| 慶長年間 | 大坂の陣に際し、木更津の船頭たちが徳川方の軍船に関わったことから、八剱八幡神社の加護として崇敬が深まったと伝わる |
| 安永2年 | 現社殿が再建される。上棟に関わる御槌などが文化財として伝えられている |
| 寛政9年 | 社殿の修理が行われる |
| 18世紀頃 | 拝殿天井に、狩野派の技法による風景、花鳥、動物など162枚の装飾画が描かれたと考えられている |
| 1850年 | 嘉永3年、現在の大神輿が造られる。のちに関東三大神輿の一つに数えられるようになる |
| 大正時代 | 大正3年、社殿の大改修が行われる |
| 1989年 | 平成元年、大神輿の大改修が行われ、豪華な姿がよみがえる |
| 現在 | 八剱八幡神社は、木更津の総鎮守として崇敬を集め、毎年7月の例大祭では大神輿の渡御が行われている |