- 久留里藩新井白石を輩出
- 久留里藩は、千葉県君津市久留里一帯を治めていた藩です。徳川四天王の1人榊原康政の嫡男である大須賀忠政が開藩し、幕末まで大須賀(松平家)・土屋家・黒田家の3つの家が治めました。6代、7代将軍に仕えて「正
久留里城とは、千葉県君津市にある中世から近世にかけての城跡である。別名を「雨城」といい、霧や雨にまつわる伝承を持つ山城として知られる。中世には里見氏、近世には土屋氏・黒田氏などの居城となり、明治初期の廃城まで続いた。現在は城山公園として整備され、再建された天守風建物と久留里城址資料館が、房総の城と武士の歴史を伝えている。
| 目的 | 里見氏の本拠、上総支配の拠点、久留里藩の政庁 |
|---|---|
| 特長 | 山城、雨城の別名、曲輪、堀切、土塁、天守風建物、久留里城址資料館 |
| 他の城との違い | ・「雨城」と呼ばれる霧や雨にまつわる伝承を持つ ・房総丘陵の地形を活かした山城である ・現在の天守風建物は、史実上の天守を正確に復原したものではなく、昭和期に再建された建物である |
| 石垣 | なし |
|---|---|
| 土塁 | 現存 |
| 種類 | 土塁、堀切、曲輪、土橋、井戸、山城 |
| 石材 | 該当なし |
| 特長 | 久留里城は石垣を主体とする城ではなく、房総丘陵の尾根や斜面を活かし、曲輪・土塁・堀切によって構成された山城である。城山には山城らしい地形が残り、現在の天守風建物周辺からは久留里の町並みを見下ろすことができる。城跡としては、石垣ではなく土塁・堀切・曲輪を中心に見るのが自然である。 |
| 別称 | 雨城、霧降城、浦田城 |
|---|---|
| 所在地 | 千葉県君津市 |
| 築城 | 室町時代 |
| 築城者 | 不明 |
| 住所 | 千葉県君津市久留里字内山 |
| 電話番号 | 0439-27-3478 |
| 開館時間 | 久留里城址資料館は9時~16時30分 |
| 休館日 | 久留里城址資料館は月曜日。月曜日が祝日の場合は開館し、翌日休館。祝日の翌日、年末年始 |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 現在は城山公園として整備されている。天守風建物は昭和期に再建されたもので、久留里城址資料館では久留里城の築城伝説、戦国時代の里見氏、江戸時代の土屋氏・黒田氏など歴代城主に関する資料を見学できる。 |
久留里城は、千葉県君津市久留里にあった平城です。中世に築城された後、江戸時代に近世城郭として整備され、明治時代まで久留里城の藩庁として機能しました。 「城の完成後、3日に一度、21回雨が降った」という不思議な伝説に基づき、「雨城」とも呼ばれています。この他、「霧降城」「浦田城」といった複数の別名を持っています。 このような久留里城の歴史を紐解いていきましょう。
| 中世 | 久留里城の前身となる城が築かれたとされる |
|---|---|
| 戦国時代 | 里見氏の拠点として整備され、上総支配の要衝となる |
| 戦国時代 | 里見氏と後北条氏の抗争の中で、久留里城が房総の重要拠点となる |
| 江戸時代初期 | 大須賀氏・土屋氏などが城主となり、久留里藩の拠点となる |
| 1742年 | 黒田直純が久留里へ入り、以後、黒田氏が久留里を治める |
| 1871年 | 明治4年秋、久留里城が廃城となる |
| 1978年 | 天守風建物が再建される |
| 1979年 | 久留里城址資料館が完成する |
| 藩庁 | 久留里城 |
|---|---|
| 旧地域 | 上総国 |
| 石高 | 3万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 黒田氏 |
| 推定人口 | 2万3000人(明治元年) |
小田原征伐後、関東に入部した徳川家康は、徳川四天王の一人・榊原康政の嫡男・大須賀忠政(松平忠政)に久留里3万石を与えた。これが久留里藩の立藩である。