館山城千葉県館山市

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  • 里見氏最後の居城跡
  • 館山湾を望む丘陵上の城
  • 現在は館山城・八犬伝博物館として整備

館山城とは、千葉県館山市にある中世から近世初頭にかけての城跡である。戦国大名・里見氏の最後の居城として知られ、館山湾を望む丘陵上に築かれた。江戸時代初期に里見氏が改易されると城としての役割を終え、現在は城山公園として整備されている。山頂には三層四階天守閣形式の館山城、八犬伝博物館が建ち、里見氏を題材にした『南総里見八犬伝』に関する資料を展示している。

館山城の特長
目的 里見氏の居城、安房支配の拠点、館山湾を押さえる防御拠点
特長 丘陵上の城、里見氏最後の居城、館山湾を望む立地、八犬伝博物館
他の城との違い ・里見氏最後の居城跡である
・現在の館山城は、史実上の天守を復原したものではなく、昭和期に建てられた天守閣形式の博物館である
・城山公園として整備され、城跡・博物館・展望スポットとして親しまれている
館山城の石垣・土塁
石垣 なし
土塁 一部痕跡あり
種類 土塁、堀、曲輪、丘陵上の城
石材 該当なし
特長 館山城は石垣を主体とする城ではなく、館山湾を望む丘陵地形を活かした城である。現在は城山公園として整備されており、明確な石垣遺構を見せる城ではない。城跡としては、山頂部の立地、曲輪状の平場、周辺の地形を通して、里見氏の拠点だった城の構えを理解するのが自然である。
館山城DATA
別称 根古屋城
所在地 千葉県館山市
築城 16世紀末頃
築城者 里見義康
住所 千葉県館山市館山351-2
電話番号 0470-23-5212
開館時間 館山城・八犬伝博物館は9時~16時45分。入館は16時30分まで
休館日 月曜日。祝日・振替休日の場合は開館し、翌平日休館。年末年始
入館料 通常期は一般400円、小・中・高校生200円。特別展会期中は一般500円、小・中・高校生300円
備考 現在は城山公園として整備されている。山頂の館山城は八犬伝博物館で、三層四階天守閣形式の建物である。中腹には館山市立博物館本館があり、里見氏を中心に安房の歴史を紹介している。館山城の入館料で本館も観覧できる。
館山城への交通アクセス
JR東日本内房線 館山駅下車、東口からバスで「城山公園前」停留所下車、徒歩約5分。

HISTORY 里見氏改易と共に廃城となった館山城

館山城は、千葉県館山市に江戸時代の初期まで千葉県館山市にあった平城です。新田義貞から分家した安房里見氏によって築かれ、里見氏の改易によって廃城にはりました。 一族と命運を共にした館山城の歴史を紐解いていきましょう。

館山城の歴史
16世紀末頃 里見義康により館山城が築かれたとされる
戦国時代末期 里見氏の本拠として、安房支配の中心となる
1603年 里見忠義が館山藩主となり、館山城を拠点とする
1614年 里見忠義が伯耆国倉吉へ移され、里見氏が改易される
江戸時代 里見氏改易後、館山城は廃城となる
1982年 城山公園山頂に館山城、八犬伝博物館が開館する
1983年 城山公園中腹に館山市立博物館本館が開館する
館山城の築城
館山城は天正8年(1580年)に安房里見氏の第7代当主にあたる里見義頼によって建てられました。安房里見氏は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将、新田義重を祖とする新田氏の傍流であり、戦国時代に房総地方を支配しました。
里見義頼は長兄・義弘の養子になりましたが、領土の分割を巡って義弘の実子である里見義重と対立を深めていきます。里見義弘は、天正5年(1577年)に相模国一帯を治めていた後北条氏と和睦し、里見義頼は北条氏政の娘と妹を妻としました。里見義弘の死後、里見義頼と里見義重は彼の後継を巡って本格的な争いとなります。里見義頼は妻を通じて北条氏の後ろ盾を受け、里見義弘の実子である里見義重を破って領土全てを自分のものとしました。
館山城が建てられたのは里見義頼が房総半島を支配した後のことです。また、館山城が完成したのと同年、後北条氏に対抗するために武田信玄の嫡男武田勝頼と常陸国の佐竹義重が同盟を結びます。この同盟に里見義重も加わり、対後北条勢力ができあがったように見えましたが、天正10年(1582年)に織田信長が武田勝頼を滅ぼしたことにより、同盟は消滅しました。
なお、同年に織田信長は本能寺の変で嫡子織田信忠と共に明智光秀に討たれます。織田信長の死去により、旧武田領を巡る天正壬午の乱が勃発しました。この乱で里見義頼は北条氏に援軍を送るなど協力しますが、北条氏の一族であった自分の妻が亡くなると北条氏政と再び対立し、天下統一に向けて動き出し豊臣秀吉と連携を取ります。
卓越した外交手腕を見せた里見義頼のおかげで、里見氏は豊臣秀吉による小田原攻めの際に上総国と下総国を取り上げられるも、安房国だけ安堵されました。なお、このとき里見氏と豊臣秀吉を取りなしたのが、徳川家康と言われています。
館山城の廃城
里見氏は、慶長6年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いは東軍に味方します。その結果、論功行賞によって常陸鹿島領3万石を安堵され、里見氏は約12万石の大名に昇格します。 しかし、里見頼義の嫡子里見忠重が藩主となった慶長18年(1618年)に職務怠慢を理由に幕府より改易されてしまいました。
里見氏はその後大名に復活することなく子孫はバラバラとなって各藩に家臣として仕えます。里見氏の改易によって館山藩は一時廃藩となり、館山城も破却されます。 その後、天明元年(1781年)に稲葉正明が館山藩の藩主となって藩は復活しましたが、館山城は再建されませんでした。
館山城の再建と南総里見八犬伝
館山城は、昭和57年(1982年)に模擬天守閣が再建されました。
内部は、南総里見八犬伝の資料館となっています。南総里見八犬伝は、文化11年(1814年)に滝沢馬琴によって執筆された伝奇小説です。「仁義礼智忠信孝悌」の玉を持つ八犬士が、安房里見氏の危機を救う完全懲悪のストーリーは、多くの江戸庶民を魅了し、今なお映画化やドラマ化がされている人気作です。ストーリーはフィクションですが、館山藩を設立した里見氏がモデルとなったということで、館山城内では南総里見八犬伝に関する合本や浮世絵などが展示されています。
再建された館山城の周りは里見氏に関する資料を集めた博物館や芝生広場、梅園や桜の小道などがある公園として整備されており、地元の方の憩いの場になっています。
まとめ
館山城は戦国時代末期に建てられ、わずか40年ほどしか機能せずに廃城となりました。 館山藩は廃藩になってから100年以上も後に稲葉正明が新たに藩を設立します。しかし、一度廃城になった館山城が再建されることはありませんでした。しかし、里見氏はフィクションの中で蘇り、今でも多くの方に親しまれています。

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館山城を藩庁とする、館山藩の歴史

館山藩一度は廃藩になった
館山城は、千葉県南部にある安房一帯を治めていた藩です。長編伝奇小説南総里見八犬伝で有名な安房里見氏が開藩しましたが、わずか1代で改易され以後100年以上廃藩となり、稲葉正明によって再び藩として蘇ったと
館山藩DATA
藩庁 館山城
旧地域 安房国
石高 1万石
譜代・外様 譜代
主な藩主 稲葉氏
推定人口 2万4000人(明治元年)

館山藩は江戸時代初期、戦国大名を出自とする里見家を藩主として安房一国を統治していた時期と、江戸時代後期に稲葉家を藩主とする譜代の小藩であった時期の2つに分かれる。