山中城静岡県三島市

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  • 後北条氏が小田原城の西方防備のために築いた山城
  • 障子堀・畝堀に北条流築城術が残る城
  • 豊臣秀吉の小田原攻めで半日で落城した国指定史跡

山中城とは、静岡県三島市山中新田にある戦国時代の城跡である。天文年間から永禄年間、1530〜1560年頃に、小田原城を本城とする後北条氏が西方防備のために築いた山城である。箱根西麓の標高約580mに位置し、山田川や来光川の源流に挟まれた急峻な斜面を利用した自然の要害であった。天正年間、豊臣秀吉の小田原攻めが迫ると、山中城は韮山城、足柄城とともに前線の軍事拠点として重視され、堀や出丸などが大きく改修された。天正18年(1590)3月29日、豊臣軍の総攻撃を受けて半日で落城し、その後は廃城となった。現在は山中城跡公園として整備され、障子堀、畝堀、土塁、曲輪、岱崎出丸などを見ることができる。

山中城の特長
目的 小田原城の西方防備、箱根路の監視、駿河・伊豆方面への備え、豊臣秀吉の小田原攻めに対する前線防衛拠点
特長 後北条氏、小田原城、箱根路、障子堀、畝堀、北条流築城術、岱崎出丸、西ノ丸、西櫓、二ノ丸虎口、宗閑寺、松田康長、間宮康俊、日本100名城、国指定史跡
他の城との違い ・小田原城の西方防備を担った後北条氏の支城である
・石垣を使わず、土塁と空堀を主体に築かれた土の山城である
・障子堀や畝堀など、後北条氏の城に特徴的な堀の形をよく残している
・小田原攻めの前線拠点として改修されたが、豊臣軍の大軍に攻められ半日で落城した
山中城の石垣・土塁
石垣 なし
土塁 現存。一部復元整備あり
種類 土塁、空堀、障子堀、畝堀、堀障子、曲輪、虎口、出丸、山城、土の城、後北条氏の支城
石材 石垣を主体とする城郭ではないため、該当なし
特長 山中城は、石垣ではなく土塁と空堀で守る後北条氏の山城である。三島市の説明では、後北条氏の築城技術を駆使して造られた城で、曲輪の周囲に巡らされた堀や土塁、木橋の跡、門柱跡などが発掘調査で確認されている。特に障子堀や畝堀は山中城を代表する遺構で、堀の中に土手状の畝を掘り残し、上から見ると障子や畑の畝のように見えることからそう呼ばれる。現在は型崩れ防止のため芝生が張られているが、本来はローム層の赤土が露出し、滑りやすく登りにくい構造であった。山中城では、石垣ではなく、障子堀、畝堀、土塁、曲輪の配置、箱根路を押さえる立地を合わせて見るのが自然である。
山中城DATA
別称 なし
所在地 静岡県三島市、田方郡函南町
築城 築城時期は明確ではない。永禄年間(1558~1570)頃に、後北条氏が小田原城の西方防備のために築いたと考えられている
築城者 後北条氏
住所 静岡県三島市山中新田
電話番号 055-983-2672(三島市教育委員会 文化財課)
開館時間 山中城跡公園は見学自由。駐車場の利用時間は9時~17時
休館日 山中城跡公園は見学自由
入館料 無料
備考 山中城は国指定史跡で、日本100名城の40番に選定されている。昭和9年(1934)1月22日に国の史跡に指定され、昭和54年(1979)3月20日に追加指定された。昭和48年(1973)から発掘調査が始まり、昭和56年(1981)に史跡公園として一般開放された。日本100名城スタンプは売店入口に設置され、売店が閉まっていても押印できる。公園内は起伏があり照明がないため、夜間の入場は避けた方がよい。
山中城への交通アクセス
JR「三島」駅からバス約31分、徒歩約1分。

HISTORY 山中城について

山中城の歴史
1530〜1560年頃 後北条氏が、小田原城の西方防備のために山中城を築いたとされる
戦国時代 山中城は小田原城の支城として、箱根路と駿河・伊豆方面を押さえる軍事拠点となる
戦国時代 城は標高約580mの自然の要害に築かれ、本丸、二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、岱崎出丸などが整えられる
1589年頃 豊臣秀吉の小田原攻めに備え、堀や出丸などの大改修が行われたと考えられる
1590年3月29日 豊臣秀吉軍が山中城を攻撃する
1590年3月29日 松田康長ら北条方が防戦するが、豊臣軍の大軍の前に山中城は半日で落城したと伝えられる
1590年 山中城は落城後に廃城となる
江戸時代 城としては使われなくなるが、土塁、堀、曲輪などの遺構が残る
1934年 1月22日、山中城跡が国の史跡に指定される
1973年 三島市により、山中城跡の発掘調査が始まる
1979年 3月20日、山中城跡が追加指定される
1981年 三島市制40周年にあわせ、山中城跡が史跡公園として一般開放される
2006年 日本城郭協会により、山中城が日本100名城のひとつに選定される
現在 山中城跡公園として整備され、障子堀、畝堀、土塁、曲輪、岱崎出丸などを見学できる城跡となっている

山中城、障子堀と畝堀が美しい北条氏の山城

静岡県三島市の山中城は、小田原北条氏が箱根西麓に築いた山城です。石垣を使わず土塁と空堀で築かれた城で、ワッフルのような形の障子堀や畝堀が特徴です。現在は山中城跡公園として整備されています。日本100名城にも選ばれました。

山中城
山中城の歴史
山中城は永禄年間(1558~1570年)に、小田原北条氏によって築かれたと考えられています。城は石を使わない山城で、小田原から箱根峠を越えて三島宿に至る、箱根旧街道沿いに築城されました。
山中城は西から小田原へ侵入する敵を防ぎ、街道を監視する「境目の城」として重要な役割を担いました。
天正15年(1587年)ごろ、豊臣秀吉との関係が悪化し対立する可能性が高まると、北条氏は山中城の大改修を始めます。西側からの攻撃に備えて岱崎出丸などを増築し、堀や土塁を強化しました。
しかし、工事は完成しないまま天正18年(1590年)の小田原攻めを迎えます。
同年3月29日、豊臣秀次を総大将とする豊臣方の大軍・6万7000(諸説あり)が山中城を攻撃しました。徳川家康、池田輝政、堀秀政、山内一豊らそうそうたるメンバーが参加したとされます。対する城方は城将・松田康長や副将・間宮康俊、増援として訪れた玉縄城主の北条氏勝を中心に4000人ほどでした(諸説あり)。
北条方は堀や土塁を生かして抵抗し、一柳直末を討ち取るなど豊臣方にも損害を与えましたが、圧倒的な兵力差の前に城は半日ほどで落城しました。松田康長らは討死しました。一説によれば両軍合わせての戦死者は約2000人で、激しい戦いが繰り広げられたのが分かります。
山中城の陥落後、豊臣軍は小田原へ進軍しました。城はそのまま廃城となったため、後世の改変が比較的少なく、小田原北条氏独自の築城技術を伝える遺構が残されました。
昭和9年(1934年)、山中城跡は国の史跡に指定されました。その後、三島市が発掘調査と復元整備を進め、土塁や空堀の形が分かる史跡公園として公開されています。平成18年(2006年)には日本百名城に、平成30年(2018年)には日本遺産「旅人たちの足跡残る悠久の石畳道—箱根八里で辿る遥かな江戸の旅路─」の構成遺産に選ばれました。
山中城の見どころ①ワッフルのような障子堀
山中城を代表する遺構が、西の丸周辺に残る障子堀です。空堀の中にある衝立障子のような掘り残しがあることから名付けられたもので、ワッフルのような特徴的な形をしています。西の丸や西櫓から見るのがおすすめです。芝で整備されており、とても綺麗な状態で残されています。冬場の雪が積もった姿も美しいですよ。
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山中城の見どころ②畝堀
障子堀と並ぶ特徴的な遺構が畝堀です。空堀の底に土手状の畝を掘り残して堀を区画したもので、一列に並んでいるため敵兵の動きを妨げられることが特徴です。
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山中城の見どころ③激戦地となった岱崎出丸
城の南側に張り出す岱崎出丸は、対秀吉のために北条氏が増築した防御拠点です。工事途中で小田原攻めを迎えたことから未完成のままとなりました。小田原攻めの際は激戦地となっています。
岱崎出丸は出丸でも高い位置にあり、富士山がとてもきれいに見えるビュースポットです。
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山中城の見どころ④本丸の天守台跡や神社
城の中心部にある本丸には天守台跡(天守櫓跡)があり、ここが山中城の戦いにおける最終決戦地となったと伝わっています。南東角には駒形諏訪神社が祀られています。
本丸と二の丸の間には深い堀があり、復元された木製の二の丸橋で繋がっています。当時は半分が木の橋、もう半分が土橋で、いざというときに木の橋を落として本丸への侵入を防げる仕組みでした。
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山中城の見どころ⑤田尻の池
山中城には「田尻の池」「箱井戸」の2種類があります。箱井戸は山中城将兵の飲料水、田尻の池は馬用の飲み水として使用されていました。季節には睡蓮の花が鑑賞できますよ。
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山中城のおすすめ撮影スポット
おすすめは、西櫓付近から見下ろす障子堀です。縦横に走る畝を正面気味に収めると、独特の形が伝わります。富士山を望むのであれば西の丸周辺や岱崎出丸から。晴れた日は土塁や緑の堀と富士山を一枚に収められます。
このほか、初夏の障子堀近くに咲くツツジやスイレンなど、季節の花の撮影もおすすめです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。