曳馬城静岡県浜松市

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  • 浜松城の前身となった戦国時代の城
  • 今川方の拠点を徳川家康が奪取した城
  • 現在は浜松元城町東照宮周辺に城跡碑が残る

曳馬城とは、静岡県浜松市にあった戦国時代の城である。引間城、引馬城とも表記され、現在の浜松城の前身となった城として知られる。永禄11年(1568)に徳川家康が今川方の拠点であった引間城を攻略し、その後、元亀元年(1570)に岡崎城から拠点を移して城を拡張し、浜松城と改めた。現在、曳馬城跡は浜松元城町東照宮周辺とされ、境内には「曳馬城跡」の石碑が建つ。

曳馬城の特長
目的 今川氏の遠江支配の拠点、徳川家康の遠江進出拠点、浜松城の前身
特長 戦国時代の城、浜松城の前身、浜松元城町東照宮、家康ゆかりの城跡
他の城との違い ・浜松城の前身となった城である
・徳川家康が遠江支配へ進出する足がかりとなった
・現在は城郭遺構よりも、浜松元城町東照宮と城跡碑によって城の記憶を伝える
曳馬城の石垣・土塁
石垣 現存遺構なし
土塁 現存遺構なし
種類 平山城、曲輪、堀、土塁、戦国期城郭
石材 該当なし
特長 曳馬城は石垣を主体とする近世城郭ではなく、台地上の地形を活かした戦国時代の城であったと考えられる。家康が浜松城を築く際、城の中心部は現在の浜松城天守付近へ移され、曳馬城は新しい浜松城の一郭に組み込まれた。現在の浜松元城町東照宮周辺には城跡碑が残るが、明確な石垣・土塁などの城郭遺構は確認しづらい。城跡としては、石垣ではなく、浜松城成立以前の前身地として理解するのが自然である。
曳馬城DATA
別称 引間城、引馬城、引間古城
所在地 静岡県浜松市
築城 戦国時代
築城者 不明
住所 静岡県浜松市中央区元城町111-2
電話番号 053-457-2021
開館時間 浜松元城町東照宮境内は見学自由
休館日 なし
入館料 無料
備考 現在は浜松元城町東照宮周辺が曳馬城跡として伝わる。浜松元城町東照宮は1886年に創建され、境内には「曳馬城跡」と刻まれた石碑がある。曳馬城は徳川家康による浜松城築城にともない、浜松城の一郭に取り込まれた。
曳馬城への交通アクセス
JR浜松駅からバスで約6分「浜松城公園入口」バス停下車、徒歩約1分。

HISTORY 曳馬城について

曳馬城の歴史
戦国時代 現在の浜松城周辺に、曳馬城、または引間城と呼ばれる城が築かれる
戦国時代 今川方の拠点として、遠江支配に関わる城となる
1568年 徳川家康が三河から遠江へ進出し、今川方の拠点であった引間城を攻略する
1570年 徳川家康が岡崎城から引間城へ拠点を移す
1570年 徳川家康が城を拡張し、浜松城と改名する
1570年代 浜松城の中心部が現在の天守付近へ移され、曳馬城は浜松城の一郭に取り込まれる
1586年 徳川家康が駿府城へ移り、浜松城を離れる
1886年 曳馬城跡とされる地に浜松元城町東照宮が創建される

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