掛川城静岡県掛川市

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掛川城DATA
別称 懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城
築城 1469年〜1487年
住所 静岡県掛川市掛川1138-24
電話番号 0537-22-1146
開館時間 9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日 年中無休
登閣料 大人410円/小中学生150円

掛川城は木造天守閣です。山内一豊が城主となって建立し、その美しさから「東海の名城」と呼ばれる。

掛川城への交通アクセス
JR掛川駅より徒歩7分。

HISTORY 山之内一豊が築いた掛川城

掛川城は、静岡県掛川市掛川にある日本の平城です。掛川は東海道の要所であることから、戦国時代からたびたび戦の舞台になりました。 特に、徳川と武田の激しいぶつかり合いは有名です。 そんな掛川の地に建っていた掛川城の歴史を紐解いていきましょう。

江戸時代以前の掛川城
掛川城は、室町時代中期の文明年間に今川義元の祖父に今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城させた城が、掛川城の前身と伝えられています。 築城後、この城は朝比奈氏が城代を勤めてきました。 永禄11年(1568年)に朝比奈氏の主君に当たる今川氏真が、武田氏・徳川氏の両家から攻められて朝比奈氏のもとに逃げ込んできます。 これにより、城は徳川軍によって包囲されました。 朝比奈氏は善戦し、徳川軍は城を落とせずに苦労します。 結果的に朝比奈氏は主君今川氏真の助命を条件に、城を開城しました。 これにより、掛川城の前身は徳川家康のものになり、今川氏真は小田原の北条氏を頼って落ちのびていきます。 掛川城の前身は、家康の重臣・石川家成・康通親子が入り、城代を勤めます。
天正18年(1590年)徳川家康が豊臣秀吉の命令で江戸に移されると、掛川城は馬ぞろえや一筆啓上のエピソードで知られる山内一豊に与えられます。 山内一豊は、掛川城の大改築を実施し、天守や石垣などを増築して近世城郭へと生まれ変わらせました。 現在、復元されている掛川城の天守は山内一豊が増築したものです。 山内一豊は、豊臣秀吉の死後徳川家康に仕え、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に味方したため、土佐一国を与えられました。
江戸時代の掛川城
山内一豊が土佐に移封された後、掛川城は複数の大名家によって治められました。 最終的に太田氏が入城し、掛川藩を治めます。 幕末の安政元年(1854年)、安政の大地震が発生して、掛川城も天守をはじめとする大部分の建物が倒壊しました。 その後、二の丸御殿は政務ところでもあったので再建されましたが、天守は再建されることなく明治を迎えます。
明治以降の掛川城
明治2年(1872年)、掛川城は廃城となり多くの建物が取り壊されました。 しかし、御殿は取り壊しを免れ、現在も公開されています。 掛川城御殿は昭和55年(1980年)に重要文化財に指定され、江戸末期の建築を伝える重要な資料にもなっています。
平成6年(1994年)安政の大地震で失われた天守が木造で復元されました。 木造復元天守閣の中では最も古いものです。 翌年には大手門が位置をずらして復元され、平成18年(2006年)には日本100名城に指定されました。
まとめ
現在、掛川城は掛川市の観光名所となり、毎年数多くの催し物が行われています。 掛川城天守閣は修復中で、見学再開は2023年4月1日の予定です。 なお、御殿などほかの建物は見学ができます。

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山内一豊戦国の出世と内助の功
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掛川藩DATA
藩庁 掛川城
旧地域 遠江国掛川
石高 5万石
譜代・外様 譜代
主な藩主 松平(久松)家、安藤家、松平(久松)家、朝倉家、青山家、松平(桜井)家、本多家、松平(藤井)家、北条家、井伊家、松平(桜井)家、小笠原家、太田家
推定人口 6万人(明治元年)

徳川家康の異父弟・松平定勝が入封。以来、譜代大名が入れ代わった。最後の太田家で安定し7代続いた。

掛川城、山内一豊ゆかりの「東海の名城」

掛川城は静岡県掛川市に位置する平山城で、戦国時代から江戸時代を通じて東海道の要衝を守る城として重要な役割を果たしました。大河ドラマ『功名が辻』で知られる山内一豊と妻の千代の物語でも有名です。現在は平成6年(1994年)に復元された、木造天守閣が優美な姿を見せています。

掛川城
掛川城の歴史
掛川城は駿河守護・今川氏に命じられ、家臣の朝比奈泰煕が明応6年(1497年)から文亀元年(1501年)に龍胴山(子角山)に築城したのが始まりと伝わります(現在の掛川古城)。その後、現在の龍頭山に永正10年(1513年)頃に新たな城が築かれました。代々朝比奈氏が城代を務めていましたが、永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、今川氏は急速に衰退します。
永禄11年(1568年)には今川義元の息子・氏真が武田信玄と徳川家康に攻め込まれたため、駿府城を捨てて掛川城に立てこもりました。永禄12年(1569年)、家康が掛川城を攻撃します。氏真一行は籠城して抗戦しますが、約5か月に及ぶ攻防戦の末に降伏しました(掛川城の戦い)。
永禄12年(1569年)5月15日、掛川城は徳川方に明け渡され、氏真と泰朝は小田原城に移動します。掛川城は家康の重臣である石川家成が入城。以後、掛川城は武田氏との攻防の拠点となりました。また、このとき城郭の主要部分は大改修が行われました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉により家康が関東へ移封されると、掛川城には城代として山内一豊が入りました。一豊は城の大規模な増修築を行い、初の天守を築いたほか、大手門を修築、城下町の整備や大井川の治水工事などにも取り組みました。
その後、一豊は関ヶ原の戦いの際に家康方につき、土佐国一国を得て高知城に転封。代わって掛川城には松平氏をはじめとする譜代大名が入城しました。延享3年(1746)に太田氏が入ってからは、明治維新までその支配が続きます。
掛川城は安政元年(1854年)の安政東海地震で天守や大手門、二の丸御殿をはじめとした多くの建物が倒壊。その後、二の丸御殿などは再建されましたが、天守は再建されることはありませんでした。明治維新後に廃城となり、多くの建物が取り壊されました。
平成6年(1994年)、掛川市は日本初となる「本格木造天守閣の復元」を実現しました。伝統工法により3重4階の天守が甦り、全国的に注目を集めました。また、平成7年(1995年)には大手門が木造復元されています。
掛川城の見どころ①木造復元された天守
掛川城最大の見どころは、平成6年に再建された複合式望楼型、3重4階の木造復元天守です。江戸時代の絵図に加え、山内一豊が掛川城と同じように建てるよう命じた高知城の天守も参考にしました。白漆喰塗り籠めの美しい壁に、黒塗りの廻縁・高欄のコントラストは青空によく映えます。
内部は資料館になっており、掛川城の歴史や藩主に関する展示資料が見学できます。最上階の展望台からは掛川市街を一望でき、晴れた日には遠州灘に加え富士山まで見渡せる絶景が広がります。
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掛川城の見どころ②二の丸御殿
掛川城の二の丸御殿は、全国に4ヶ所しかない「現存する城郭御殿」です。安政の大地震で倒壊した後、当時の藩主・太田資功が安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建しました。
国の重要文化財に指定されており、江戸時代には藩主の公邸兼役所で、儀式や公式対面が行われていました。書院造の建物は襖で仕切られており、藩主の執務室の「小書院」や主室の「御書院上の間」、謁見者が控える「三の間」「次の間」等が見学できます。展示された甲冑などの武具も見どころです。
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掛川城の見どころ③本丸虎口と三日月堀
本丸前の虎口には半円形の空堀「三日月堀」があり、深さは8mにも及びます。徳川時代に築かれたもので、調査では堀の南側から石垣が見つかっており、さらにその下からは柱穴が並んで発見されました。
三日月堀を配した虎口(=馬出)内からは鉄砲や弓矢等を使って敵を攻撃できるようになっていました。さらに背後には十露盤(そろばん)堀と内堀(現在の松尾池)があり、掛川城の防衛力の高さが分かります。
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掛川城の見どころ④竹の丸でスイーツを堪能
竹の丸は山内一豊の時代に作られたと考えられている防衛の拠点で、家老などの重臣の屋敷が建てられていました。現在は江戸時代から葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が明治36年(1903年)に建てた、平屋建寄棟造の建物が残ります。おしゃれな近代和風建築は掛川市の指定文化財に指定されています。内部にカフェ「竹の丸カフェ」があり、掛川産のお茶を使ったスイーツが楽しめます。
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掛川城のフォトスポット
掛川城は春の桜に新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の変化が魅力の撮影スポットです。おすすめは本丸広場で、下から見上げる白壁の天守は迫力があります。また、二の丸の芝生広場から太鼓櫓や四足門等を入れての撮影や、二の丸御殿前から撮る天守と御殿の並びも美しいですよ。夜間のライトアップ時には幻想的な写真が撮影できます。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。